お父さん、ありがとう | Hiro's Style

Hiro's Style

人生楽しんだ者勝ちっす!

11月24日  13:23  僕の父が永眠致しました。


享年84歳



現役中だけでなく定年後にも数々の資格を取得してた父の功績。とにかく何でも追求する所はジャンルこそ違えど僕が引き継いでるのかも…遺品整理していて改めて感じました。



2年前までジムにまで通っていた父が

ここ2年近くは入退院の連続でした。


父は僕にとって尊敬の存在でもありながら

反面教師でもありました。


在学中はとにかく厳しい父でした。


戦後の混乱期に満洲から佐世保に引き揚げてきて

30円渡されて解散だったとよく聞かされてきました。


父のお父さんは若くしてフィリピンのルソン島で部隊が全滅し戦死。

母一人、子一人で船底に乗って命からがらに日本に引き揚げました。

それでも日本に戻れなかった人

日本に戻っても生き続けられなかった人

そんな人達が沢山いる中で


住む家も無くて居候から始まり根性と努力で乗り越え


そんな事を微塵も感じさせない生活を私にさせてくれました。


でも、贅沢を嫌う故に車も持たず旅行にも行かない。

他の家庭との差を感じ小さな反発もありましたが姉が大きく反発してるのを見て幼いながらに自分まで反発すると崩壊しそうで

幼いながらに自分は良い子でいないといけない

と我慢をしていたのを覚えています。



でも、父が若い頃の貧困故に成せなかった事を

僕に託したい想いが、僕にとっては重たくて…


スポーツにしても柔道、水泳、空手と惜しみなく通わせてくれていたからこそ今の健康で元気な体があると思ってる。


それに反して勉強は大嫌いで高校進学ですら危うかったし、警察に呼ばれる事も何度もあって父の期待に応えられなかった息子だったと思う。


それでも、時に厳しく殴られたことも何度かあったけど僕の将来のことを見据え心配し続けてくれた父が居ました。


コップの底に1cmぐらいの水を溜め

「もうこれだけしか無い」と思うのではなく

「まだこれだけあるじゃないか」と思うようにしなさい。

考え方1つでどうにでもなる。

当時はポジティブなんて言葉は行き交いしてなかったけど僕の根底にあるものは父から受け継いだものだと思います。



オートバイに乗ることも大反対だった父が

3年限りという期限付きで黙認する。

この約束が無かったら僕はあの領域まで達していなかったかもしれない。

3年後に最も速い状態で降りるという明確な目標が出来たからこそ。


僕の人生において最もやり切った感が強くて、その後の人生に大きな影響を与えた3年間を過ごさせてくれたこと。


父がそれを図ったとは思わないが、本当に父には感謝しかない。



そんな父も定年退職を迎えてから少しずつ変化していきました。

現役中は国内の旅行ですら行かなかった父が富士山に登ったり、海外旅行に何度も行く姿を見て

心底楽しんでほしいと思ったのを覚えています。


現役中は自分の欲を押し殺していたのだと思います。

僕らのために…


僕には真似の出来ない生き方で、若い頃は尊敬と反面教師が凄く入り交じる複雑な気持ちもありましたが


そんな定年後の姿を見て人生において成功とは何かを考えると、30円からのスタートで間違いなく父は成功者であると確信したのも凄く覚えています。




父が倒れてから2年の間、僕が出来ることを出来る限りやってきたつもりですが

父が僕に与えてくれたものに対してはあまりに小さく親孝行と言えるほどのものでは無かったと思いますが


気持ちだけは伝わっていると信じたい。


この半年は「ありがとう」と言い続けてきた。

こんな僕をここまで成長させてくれてありがとう。


僕はあなたの子で本当に幸せでした。


本当に


本当に


ありがとう。



僕らのことを見守ってなんて言いません。

もう十二分に見守ってもらったから。


特にこの2年は疲れたことでしょう。

どうか安らかにお休み下さい。



ありがとう、お父さん!