お久しぶりです。6回目の投稿ですね。

やはり暑いですが外に出ないので平気です。論文は全く書けていません。恋も何も起こりません。

しかし、良い環境にいるだけで、メンタルは平静そのものを維持し、常に幸福感を得られています。

どんな人間も、衣食住が十分に与えられ、簡単に良い風景に触れられ、慣れ親しんで自在にコミュニケーションをとれる居場所があれば、かなり幸せになれるような気がしました。それがあれば、生存にそれほど関わらない欠乏に対する欲求不満による苦しみすら無視できるほど小さくなるみたいです。

一人でろくでもない生活に堕していた頃は、その人に会って話せないのが、メールすらできないのが苦しくて、無駄に泣き明かして寝不足でしたが、今はもう泣きません。

修行とか、真摯な思考によってではなく、単に生きやすい大好きな環境に身を置くだけで苦痛から解放されてしまったということで…。自分のことは自分だけで何とかするより、自分に許されている良い環境を存分に生かして自分を養ってもらうのが良いやり方のようだなと思います。

「その人」が、今はもう、私に許されている環境の一部でなくなってしまったのは悩んでも仕方ないですね。

ただ時間が経過しただけのこと。
私は、できることはやりきった。だからもう何も思いつかない。縋らないでいい。

本人にさよならなんて言うと、また感情的に書いてしまいそうだし「撤回、撤回」とか言うのも騒がしいから。

見えないところで言ってしまうね。
今までありがとう。本当に楽しかったし大好きだった。たまたま出会えたことが嬉しかった。
あなたは優しくしてくれた。あまりに正しさと平和を重んじる人なんだね。
私は自己中の子供で、自分の小さな世界だけが本当に意味あるものなんだ。
さんざん色々言っといて、最後は真っ直ぐ言えなくてごめん。
卒業しますね。長らくお待たせしました。
あなたの「おめでとう」も少しの寂しさも、分かってやれないけどね。


美談とか人としての美しさとか、私には意味がないことだ。理想的?都合がいい? つまらん。
分かりやすく納得できるエピソードで、私は説得されたんじゃない。ただあんたが物質的に肉体的に気に入って、私のホルモンやら脳神経やら怪奇的なエゴがあんたにしがみついたんだよ。で、私は生き延びて、今も生きててそろそろ寝ようとしてる。


今日は生きてて嬉しい気分です。
私はずっと、幸せも持っていたんだな〜と、幸せに生きてきた場所に帰ってきて改めて思い出せました。場所が蘇らせる記憶、恐るべし。

相変わらず身も蓋もないことを書きました。いつも読んでくださる方、ごめんなさい、ありがとうございます。
それではまた、何か書きましたら。