今度はこっちを読み始めました🌃

日本での思い出を、まるまる一冊

こんなにも語ってるってすごい本ですね!


序文でもエピローグでもなく、

なんで鴨川スタートなんだい〜って話ですが

去年ちょうど、鴨川沿いを歩いたなぁと

… え。あの川の水を飲んだ!??キョロキョロ


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我喝過鴨川的水  京都 鴨川 

你們可以冷,但是不能在旅行的日子里。你們可以一輩子再也不說話,但是不能在京都不說話!

君たちが冷戦状態でもいい。けど旅行の時はだめ。もう一生口をきかなくてもいい。でも京都にいて話さないのはだめ!




旅途已經到了最後一站,我們一起走過充滿轟隆巨響的大都會,傾聽過枯山水無聲的白浪濤濤。一路上,我們有時一起暴飲暴食到走不動,有時文藝到一種嚇懷自己的程度。我們一起感動過,一起開心過,而這次長長的旅程,在平暖的鴨川水道旁,接近尾聲。

轟隆hōnglōng〘擬声語〙爆発音や雷などの大きな音。どかん どん ゴロゴロ (音が長く響く感じがある) /傾聽qīngtīng/ 一路上yīlùshang道中

旅ももう最後を迎えた。僕らは共に、轟々(ごうごう)と音が響き渡る大都会を歩き 、枯山水の音なく押し寄せる白波に耳を傾けた。道中、時に歩けなくなるほど暴飲暴食し、時に自分が驚くほど芸術的な人となった。僕らが共に感動し、共に楽しんだ今回の長い長い旅も、温かく穏やかに流れる鴨川のそばで終わりを迎えようとしていた。


在這裡,我想說一個有關鴨川的故事。那是屬於我在1998年一月的鴨川故事。

ここで、鴨川にまつわるエピソードを話したいと思う。それは僕の19981月の、鴨川物語。


那一年,是我第二次跟著學校老師同學來到日本旅行。同行的,除了我最常提到的「冠華老師」,還有我一位特別的大學同學。固執的她笑起來的時候,虎牙都會壓在下唇,笑得更多一點,圓圓的臉上,眼睛更會了裝不下任何心機的兩條窄縫。我們都取她的名字的最後一字,叫她「阿輪」。

虎牙hǔyá 八重歯/ chún/ 瞇mī目を細める/ 心機xīnjī苦心 思案 念入りなはかりごと/ 

その年は、学校の先生や同級生と日本へ来て旅行する2度目だった。同行者には、僕がよく触れる「冠華老師」だけでなく、特別な大学の同級生もいた。普段真面目な彼女が笑う時、八重歯は下唇を噛んで、もっと笑うと、丸い顔に、目は心のうちの秘密もこぼれてしまうほど細くなった。僕らはみんな、彼女の名前の最後の一字を取って彼女を「阿輪」と呼んだ。


那年,在學校放寒假之前,她跟冠華老師冷戦了。

その年、学校が冬休みに入る前、彼女と冠華老師は冷戦状態になった。


原因是,她不喜歡老師的評語。

原因は、彼女は先生の評価コメントが好きじゃなかったから。


上課聽老師講解我們作品的缺點,原本就是去能夠互相改進學習的最佳方式。每次精心做好的模型拿到課堂上,老師幾乎不會有任何誇張,只會一個一個地挑出缺點來看。偶爾被挑剔到自己也很心虛,說不出來的時候,就該準備痛快地享受冠華老師既幽默又駭人的評語地獄了。 

改進gǎijìn 改善する精心jīngxīn心がこもっている/ 课堂kètáng教室/ 幾乎jīhū〘副詞ほとんど ※数量や状況が非常に接近している/ 挑剔tiāoti けちをつける/ 心虛xīnxūびくびく自信がない 心細い/ 駭hài驚かす →【駭人聽聞】〈成〉聞く人をびっくりさせる(悪い出来事) 世間をぞっとさせる(社会的な事件)

授業で、僕らの作品の欠点について先生の解説を聞くのは、もともとは互いに改善し、学びあう一番良いものだった。毎回丹精込めて創り上げた模型を教室に持って行くと、先生はいかなる誇張もなく、ただ1つ1つ欠点を見つけて見ていく。たまたま自分がケチを付けられ、言い訳も見つからない時は、冠華老師のユーモア交じりのゾッとする評価コメント地獄を思い切り受ける覚悟をしなければならない。


一個星期,我們總有兩天的下午是冠華老師的課,一組十幾個人,一個一個講下來至少都得到晚上十點才會下課。日子久了,大家也都很習慣,偶爾被罵的不够,還會問老師:「啊?就這樣而已?」

一週間に、僕らは冠華老師の授業が午後2日あった。1クラス10数名で、毎回講義は少なくとも夜10時までかかってやっと終わった。日が経ち、みんなも慣れて来て、たまたまあまり罵られなかったりすると、「え?それだけですか?」と逆に先生に言ったりしていた。


但,那次上課,阿輪不知道突然哪裡轉不過來?為了老師的某一句評語,突然覺得很委屈,很生氣。老實說,大家都忘記是哪一句話了,只能說,那一定是一句聽起來就沒特別的評語。因為最毒的十句裡面,大概有七句是準備給組上最混的我,另外三句,也都是被我們幾個賴惰的男同學獨佔。

混 いい加減に過ごす ごまかす

でも、あの授業で、阿輪は知らぬ間に突然何が許せなくなったんだろう?先生のあるコメントに、突然やりきれなくなって、怒った。実を言うと、みんな何のコメントにだったかは忘れてしまった。ただ言えるのは、それは特別なコメントじゃなかったと言うこと。何故かと言うと、一番毒のある10のコメントのうち、およそ7つはグループのなかで一番いい加減な僕へ用意へ用意されたものであり、他の3つも、ダラけた何人かの男子学生へ分けられていたのだから。


總之,阿輪她就是突然腦筋轉不過來了。可能有一個她覺得很重要的想法,被老師否決了吧?

とにかく、阿輪は突然頭が回らなくなってしまった。もしかすると彼女が大切にしていた考え方の何かを、先生に否定されたのかな?


於是,從那一天的下課之後,她就開始跟老師冷戦。

そして、その日の講義が終わるとすぐ、彼女は先生と冷戦を始めた。


阿輪的身體不是很好,我也不知道她生了什麼病。但是她做起學校的設計作業,那份認真跟執著,每次都讓我覺得汗顏(是真的) 。即使對老師不爽,每個星期她還是製作了老師指定的作業,準時的捧著製作精細的大模型到教室里上課。但,她就是不說話。

汗顏 〈書〉赤面する 恥ずかしがる→ 汗顏無地 穴があったら入りたいほどに恥じる

阿輪は体調があまり良くなかったが、僕も彼女が何の病気かは知らなかった。それでも彼女は、学校の設計課題に取組み、その真面目に取組む姿に、毎回自分が恥ずかしくなるほどだった (本当に)。たとえ先生に対してわだかまりがあっても、彼女は毎週先生の出す課題を製作し、念入りに作った大きな模型を期日通りに教室へ持って来た。しかし、彼女はただ話をしない。


這樣的冷戦,一直延續到了那次的旅行。體貼的老師還叮嚀同學邀阿輪同行。

こんな冷戦が、ずっとあの旅行の時まで続いていた。優しい先生は、それでも同級生に阿輪も一緒に行くよう誘ってと繰り返し言い聞かせていた。


到了日本,我們一路打打鬧鬧看著建築,她就這樣安靜的跟著大家看建築,偶爾還專心的寫起了筆記。

日本に着いて、僕らはずっとふざけ騒ぎながら建築を見ていた。彼女は静かに皆について建築を見て、たまに集中してメモをとり始めたりする。


雖然這樣的相處模式,已經幾乎不會引起任何人的困擾,但我還是覺得很奇怪。在那次的旅程中,我一直有這樣的想法,尤其到了旅程的終點站京都,我的想法已經很強烈。

こんな付き合い方に、既にほぼ誰も困惑しなくなって来ていたけれど、でも僕はおかしいと思っていた。あの旅行の間、ずっとそう思っていて、特に最終目的地の京都に着いたら、僕のこの思いは既に強烈なものになっていた。






你們可以冷戦,但是不能在旅行的日子里。你們可以一輩子再也不說話,但是不能在京都不說話!

君たちが冷戦状態でもいい。けど旅行の時はだめ。もう一生口をきかなくてもいい。でも京都にいて話さないのはだめ!


無論如何,旅行總是這麼美好的一件事,怎麼可以留下讓往日後悔的遺憾?

どうであったとしても、旅行はいつもこんなにも素晴らしい事。どうして後になって後悔するわだかまりを残しておけるだろうか?


不過,大家已經進化到不被這事情影響的階段了。老師跟我們去哪裡也要帶著不說話的阿輪。

ただ、みんなこの出来事に影響を受けなくなる段階まで来ていた。先生と僕らはどこへ行くにも口を開かない阿輪を連れていた


結束了白天的工程,晚上我跟同組幾個重要的同學,總是緊緊的往冠華老師,一起去吃晚餐,喝咖啡,談論著一天累計的心得。我们都说自己是大鯊魚旁邊一起游水的吸盤魚,專門撿拾鯊魚覓食剩下的碎屑。

日中のスケジュールを終えると、夜は同じグループの仲の良い同級生と、いつもすぐ冠華老師の所へ行って、共に夕飯を食べ、珈琲を飲み、その日一日ためた感想を語り合った。僕らは皆、自分の事を、まるで大きなサメのそばを一緒に泳ぎ、サメが食べ物を探し、残したかすばかり拾う吸盤魚のようだと言った。


事實也是如此,冠華老師除了總是知道哪裡的東西好吃又便宜,哪裡的咖啡座最讓人永遠回憶。他也跟我們聊建築,談文學,聽音樂,我們像飢餓的吸盤魚大口享用著老師積累的半生知慧

現実もまさに同じで、冠華老師はいつも、どこの食べ物が安くて美味しいとか、どこのカフェが永遠に記憶に残るかを知っているだけでなく、僕らと建築の話をして、文学を語り、音楽を聴いた。僕らはまるで飢えた吸盤魚のように大きな口で、先生が蓄積した半生の知恵を享受していた。


To be continued ..... 

続くと思います。 ←だいぶ弱気

まだ鴨川の水飲んでないですし!きっと続く!