(1975皐月賞馬カブラヤオー)
桜花賞、オークス、皐月賞、ダービー。全てが施行されるようになったのは1939年の事。そして、完全制覇の偉業を成し遂げたのは約70年の歴史を紐解いても菅原泰夫ただ一人である。パートナーは2頭の逃げ馬、テスコガビーとカブラヤオー。一口に逃げ馬と言っても様々なタイプの馬が居るところに競馬の面白さがある。スピードの違いで“逃げてしまっていた”テスコガビーに対し、カブラヤオーは“逃げなくてはならない”馬だった。血統が地味で全く期待されていなかったカブラヤオーであるが、デビュー2戦目から弥生賞まで破竹の5連勝。一躍、関東期待のクラシック候補として騒がれる。1番人気で迎えた皐月賞では1000m通過が58.9秒、続く東京優駿ではなんと58.6秒という脅威のハイペースで春の二冠を逃げきってしまう。このレースぶりから、今もなお史上最強馬に挙げる人が少なくない。さて、逃げなくてはならない理由の説明が遅くなった。有名な話であるが、幼少時に他馬に蹴られた後遺症から他の馬を恐れるようになったという。ところで、この1975年春の偉業達成の裏には面白いエピソードがある。カブラヤオーとテスコガビーは東京4歳Sで一度だけ対戦し、カブラヤオーが勝利を収めているが、菅原が騎乗していたのはテスコガビーであった。テスコガビーは他厩舎の馬であったため、いつでも乗れるカブラヤオーではなくテスコガビーを選んだ。カブラヤオーの秘密をバラすわけにはいかない菅原は、カブラヤオーの後ろを徹底ガードして他馬の接近を防いだと言われている。かくして、陣営のみぞ知る秘密ミッションは無事に成功し、その後の歴史的偉業へと繋がった。カブラヤオーの秘密が世間に初めて知られることとなったのは引退してからの話である。
逃亡者はいつの時代もその素性を明かさない。
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~花の命は短くて・・・
(1995桜花賞馬ワンダーパヒューム)
日本の女流詩人、林芙美子が「花の命は短くて苦しきことのみ多かりき」という言葉を残している。女性を花に例え、若く美しい時代はあっという間に過ぎ去って後は苦労する事が多いという意味合いらしいが、人間に限らず競走馬もまた然りである。牝馬3冠とは言うものの、桜花賞こそが牝馬クラシックの花形であると私は思う。その花のイメージ通り桜花賞馬にはどこか儚さが漂う。そんな主観もあって1995年の桜花賞馬ワンダーパヒュームは印象深い。同馬は新馬戦で後の菊花賞馬マヤノトップガンを抑え快勝。その後2戦を3着、2着とまとめて桜花賞に出走する。年始早々の阪神大震災の影響で京都競馬場での代替開催であった。この桜花賞から母ラブリースターの主戦でもあった田原成貴を鞍上に迎える。イレギュラーの京都開催、そして傘の花開く灰色の空の下で行われる事がすでにレースの波乱を予感させた。18番枠から中団外目をロスなく追走する7番人気ワンダーパフュームは徐々にポジションを押し上げ、直線を向いても勢いそのままに大外から豪快に差し切り。見事第55回桜花賞馬の座に輝いた。笠松のヒロイン、ライデンリーダーは馬群に消えた。その後のワンダーパヒュームはご存知の通り。オークスこそ3着に健闘するものの秋シーズンは成績不振に陥り、引退レースとなる翌1996年の京都牝馬特別で僅か4年足らずの生涯に幕を閉じた。桜花賞を制したが1年だけの競走馬生活。果たしてそれが幸せな馬生だったのか。そして今でも思う。あの日、もし雨が降っていなかったら、阪神競馬場での開催だったなら。それでも彼女は桜花賞馬だったのだろうか。なにせ芝で勝ったのが桜花賞のみ。真の実力さえもよくわからないまま天に帰っていった。
ただ、不思議な香り(Wonder Perfume)だけを残して・・

