このブログの始まりともなったpapaとのお別れを書いていきます
やっと書けるようになった気がします。
学生時代から8年の交際を経て結婚した私たち。
25歳を前に強引に結婚へこぎつけたっという感じでした。
当時彼が務めていたのは営業のお仕事。
給料は10万代前半。
私の方が稼いでいたし共働きで何とかやっていける感じでした。
彼は仕事のつきあいと言って結婚しても毎日午前様。
そんな中すぐに子供が出来て、子育てに没頭していた私。
子どもが11ヶ月で仕事にも復帰したので、毎日ヘロヘロだった私は、papaの帰りを待たずに布団に入って寝てしまう事も。。
もうすでにこの頃からpapaの事、分からなくなっていたのかもしれません。
でも私は貧乏だけど気持ちはつながっているってそう思ってのんきに暮らしていました
3月、papaの鞄から大量の借金の明細の用紙を見つけてしまいました。
問い詰めてもだまったままのpapaに私は理由を問い詰めました。
すると、
この借金は、ある新薬が発表される会社に投資した
7月になれば倍になって返ってくる
とこたえました。
それ以上、疑う理由もなかった私は、papaの言葉を信じました
当時、papaのお給料は15万円。
今考えれば一家を養っていくにはとっても苦しい金額でした。
papaも無理をしていたのでしょう。
それでも仕事の後のお付き合いは お金は会社から出ているから と減ることもなく、終電過ぎれば、都内からタクシーで帰ってくることも当たり前。
けれどそれ以外にも、papaは数万必要だというので渡した、たいたいの為に貯めはじめた学費の入った通帳から、数万どころか数十万おろしてしまったり、借入書は増えていくばかりでした。
7月になってもお金は倍になることもなく、もう一ヶ月待って とpapa
私はすがる思いで義母に相談しました
義母と私と papaと3人で話し合い、papaは再度私にした説明を義母に繰り返しました
8月になれば倍になって返ってくる
私たちは主人の言葉を信じるしかありませんでした
夜は帰ってこないけれど、週末になれば優しいpapaを私もたいたいも大好きでしたから
信じたかったのです
この時 借金は300万程になっていました
今になって思えば返せない金額ではありません
でも当時の私たちにはとても日々の生活から捻出できる額ではありませんでした
それもあってか、私はだんだん主人を疑う言葉が増えていきました
こんな不安が続くなら一緒に暮らせない と泣いて訴えました
papaは 8月まで待って の一点張りでした
そして8月
お盆にpapa の両親と義妹と私たち家族で旅行に行きました。
穏やかな時間でした
その一週間後の金曜日です。
明日 支払いがあるからお金が戻ってくる
朝、出がけにpapaがいいました
良かった 安心した
と私は言いました
papaはたいたいを抱っこして、私は生ごみをもって家を出て、駅前の保育園まで一緒に歩いて行きました。
いってくるね
とpapaはたいたいの頭をいいこいいこして私に預けると 行ってくる といって駅に歩いて行きました。
これが、私たちがpapaを見た最後です。
その日の夜
papaは帰ってきませんでした
次の日も 次の日も 帰ってきませんでした
携帯もつながりませんでした
私は狂ったように留守電にメッセージを入れました
月曜日の夜
電話がかかってきました
心配かけてごめん
明日には帰る
そんな内容だったと思います
私は
安心が怒りに代わり、彼にひどい言葉をぶつけました。
そしてそれからpapaと連絡が取れなくなりました
そして、papaが家を出てから6日目の夜中0時30頃
携帯にメールが来ました
今までありがとう そしてさようなら
という内容
そして 翌日の警察からの電話
papaは東京から離れ 青森を最期の場所に選びました
papaの言葉をつづったノートもありました
私は彼の携帯の履歴、メール、電話番号
片っ端から調べました
彼の着信履歴には 私の番号に負けないくらい沢山の
借金会社からの連絡が残っていました
何社からお金を借りていたのか
お金は何に使ったのか
今でも 何一つわかりません
papaが毎晩どこで誰と飲んでいたのか
最期の一週間何をしていたのか
何を考えていたのか
投資の話は本当に嘘だったのか
家族として過ごした時間は本当だったのか
わたしと結婚したのは間違いだったのか
全ての事が偽りになりました
一年ほどうつ状態になりました
保育の仕事も休みながら
でも、保険降りず貯金もなく、残ったのは大量の借金と大切な息子。
生きていくために、必死で働きました。
悲しみと 向ける当てのない怒りと 絶望感と
彼を思う気持ちと 気付けなかった情けなさと
けして消えることはない悲しみ
誰かのブログに書いてあった
自死遺族は
心がばらばらに 砕け散ってしまう
そのかけらを必死で一つ一つつなげなおしていく
一度割れた傷は消えることがない
元どうりになったと思っても
何かのきっかけで すぐに継ぎ目が取れたり 欠けてしまう
そんな危うい心を抱えながら それでも
亡き人を思いながら 穏やかな気持ちになっていく
それまでにかかる時間は人それぞれだけど
必ず 時間が 和らげてくれるから
先日、papaの荷物を片付けていたら、学生時代の日記が出てきました
結婚前の不安が書き綴られていました
あと3ヶ月で結婚式
自分はやりたくもない仕事
情けない給料
こんなんでやっていけるのか
今でも自分の近くに 死 を感じる
こんな文章でした
自分が結婚式で浮かれているときにもうpapaは悩んでいたのかもしれません。
常に死を感じていた彼は、必死でその思いを打ち消しながら
あの日まで頑張って私たちとの日々を過ごしてくれたのかもしれません
それでも
たいたいは間違いなくpapaと私の宝物です。
papaも最後までたいたいのことを案じていましたから、
たいたいの人生だけは
みんなが望んで生まれてきたと、確信しています
写真の中のpapaはたいたいを抱えて笑っています
私は
papaが最期に残してくれたノートの
みんなに感謝しています
出逢えてよかった
これを思い出し信じていくほかありません。
papaへ
私の人生に確かにpapaはいて、大切なたいたいと、幸せな思い出をくれた。
あなたを守れなくて ごめんなさい
これからは大切な人達との一日一日を大切に過ごすこと
後悔しないように
これを胸に刻んで生きます
どうか たいたいを 見守っていてください
H18に前主人が亡くなり、1歳4か月の息子とスタートした生活。
辛い事の中で見つけた幸せを沢山つづってきました。
そして、H26.3月、5年間一緒の時間を過ごしてきたひろくんと一緒になり、3人での生活が始まりました。
このブログはここで一度終わりにします。
でもこのブログは私と息子を支えてくれた大切な宝物です。
私自身、自分のブログにコメントをもらったり、検索ワードでたどり着いた方たちの存在に救われてきました。
私と同じように同じように、闇の中をさまよってここにたどり着いた方の、少しでも力になれますように
辛い事の中で見つけた幸せを沢山つづってきました。
そして、H26.3月、5年間一緒の時間を過ごしてきたひろくんと一緒になり、3人での生活が始まりました。
このブログはここで一度終わりにします。
でもこのブログは私と息子を支えてくれた大切な宝物です。
私自身、自分のブログにコメントをもらったり、検索ワードでたどり着いた方たちの存在に救われてきました。
私と同じように同じように、闇の中をさまよってここにたどり着いた方の、少しでも力になれますように




感激








