早期退職後~起業年収1千万円の道

早期退職後~起業年収1千万円の道

35歳サラリーマンエンジニア辞任。

1998年起業~  起業時代を綴ります。


直近では 大手企業早期退職者を起業後3か月で
年収1000万円へ導いたコンサルティングも。

誠意・創意・熱意をモットーに
朝から晩まで現場主義で活動中です。

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その3~続きです!


その4 プロフィール::日本初のLED電球への道-1


21世紀になったばかりの頃、この記事が読売新聞に掲載された。


多くの人から 連絡をいただいた。


また、取材もはいった。


ワールドビジネスサテライトの取材も来た。


ウシオ電機、カタログハウス、東急ハンズ、


小学館ビーパルと訪ねてきていただいた。


また、若い起業家(起業準備中)も数名訪ねてきてくれた。



しかし、どうすれば LED照明は作ることができるのか、、、


どうすれば販売ができるのか、、、


多くの人から質問されるほど 問題が多く上がり


製品にはならないような気持でいっぱいになった。


白色LEDは まだまだ高価なものだった。



どうしたものかな、、と 考えてばかりで


ひと冬を過ごした。


本日もありがとうござました。

おかげ様です。


つづく






その2より つづきです~~




2000年 秋葉原 


LEDを探してみると すでに 白色LEDは存在した。



その価格は 1個 1000円前後。


他のLEDが 1個 100円くらいだったので


10倍の価格だ。


しかも 大量売りはしていないので


交渉しても10個買って 10000円にもなる。



LED照明器具を作りたい一心であった。



勢いで白色LED10個 10000円くらいで購入した。



自宅へもどり 半田ごてを取り出し、


中学時代から使っている電気スタンドの60W白熱電球を取り外し


同じく秋葉原で購入したユニバーサル基板にて 電子回路作りを


はじめた。


AC100VからDCに変換する回路を作り 白色LEDを点灯する回路だ。


電気回路自体は すぐにできた、、


中学時代から使っている電気スタンドが 手作りの白色LEDの


灯りをともした。





その後 白色LEDは 少しずつ値段は下がっていき


試作品も増えていった。



時代は20世紀から 21世紀へ。



2001年の正月休み。


LED照明の試作を 当時経営していた自然食レストランで


手掛けていた時のことだ。



急に 読売新聞の記者が 訪ねてきた。


正月の 新春名刺交換会で 


「変わったことしている人がいる」   と


聞いて 取材ネタになるかと 来てみたそうである。



4時間くらい LED照明ほど 


「未来に役立つものはない」、


「環境にやさしい灯だ」


「電気使用量が 半分になる」


等、喋りまくった。

そして あっと言う間に  読売新聞に 紙面を大きくさいて


記事になった。



反響が 大きく 問い合わせが どーっときた。


LED



つづく


本日もありがとうございました。

おかげさまです。


起業して2年。


まだ時代は、20世紀は 太陽電池、、自然エネルギーは


・・・興味はあるが購入は考えていないのが現実。



製造業の社長はたくさん給料をもらいなさい@ものづくりマン-太陽電池システム


しかし、ある大事故をきっかけに


開業したばかりの


「街の自然エネルギー屋さん」 に 問い合わせが増えた。




その大事故とは、、、




1999年9月30日に起きた 東海村JCO臨界事故


日本国内で初めて、事故被爆による死亡者を出した事故である。


多量の放射線(中性子線)を浴びたため貴重な2つの命が奪われた。




今年 3月11日の大震災時の福島原発での放射能漏れ事故後と同様に


自然エネルギー利用する次世代エネルギー気運が高まった。




しかし、「街の自然エネルギー屋さん」 の看板だしていた私は


絶対的に発電量が少なく 夜や天候など自然の環境に


影響される発電方法の 自然エネルギーは代替エネルギーには


すぐには不可能ではないかと  くやしい算段がすぐにできた。




その一方で 省エネ、、


つまりは 大勢の人が使う日用電気製品で


使用量が極端に少なくできる方法がないかと


考えをめぐらせていた。




そこで聞こえてきたのが 


20世紀中には 開発は無理と言われていた



「青色発光ダイオード(LED)」



を研究開発した 中村修二先生 の 活躍話である。




私は すぐに中村先生に感化され

(とにかくエンジニアの開発物語が好きなのだ)、




「中村先生の発明した青色LED、すでに黄色のLEDは存在する。


青色に黄色を混ぜることが出来たら 白色ができる。




白色のLEDだと 日常の照明器具として 使えるので、


そうしたら、発熱電球や 蛍光灯の代替となり、

 


消費電力は 10分の1くらいになり、


原発がなくても 自然エネルギーで 必須電気量は足りるのではないか!」


秋葉原に LEDを仕入れに走った、、あてがある訳でもなかったのだが、、




そして、この思いつきが 日本製で日本で初めての


「LED電球」発売につながった。


2001年のことである。



つづく~



今日も 訪問いただきありがとうございました。

おかげさま。