中高生のためのやさしい教学
信は荘厳より起こる
七月に入り、いよいよ夏の到来ですね。梅雨はまだ残るものの、暑さは日増しに本格的になってきました。
この時期、生き物達は活発に動き回り、草木は元気に生長しています。
中高生の皆さんも、休みの日には、庭の草取りなどの手入れを手伝ったりすると思います。これからの季節、屋外で作業をする時には、帽子や日傘などを上手に使って日差しを避け、本分をこまめに取るなどの熱中症対策を心掛けましょう。
《身の供養の大事》
皆さんは普段、参詣しているお寺の掃除をさせて頂いているでしょうか?
御本尊のまします寺院を掃除して荘厳することは、御本尊へ尊い御供養を申し上げたことになります。
御供養には、御本尊に財物などを供える「財の供養」、お題目を唱え、折伏などに精進する「法の供養」、日蓮大聖人の仏法のために身をもってお仕えする「身の供養」などがあります。
寺院清掃は、このなかの「身の供養」に当たります。
御本尊への毎日のお給仕や寺院行事のお手伝い、御本尊のまします寺院や自宅の仏壇を掃除することは、大変立派な身の供養です。
そして、真心込めて掃除すれば、お寺がきれいになるだけでなく、私達自身の心もきれいになり、尊い福徳を積むことができます。
日蓮大聖人は『白米一御書」に、
「私達凡夫は、「志」の文字を心得て成仏していくのである」(御書一五四四取意)
と仰せです。御供養の本義は、すべて御本尊への報恩感謝の心、すなわち”志”で行う尊いお供えです。私達はどこまでも純粋な信心をもって御供養申し上げていくところに、成仏の功徳善根を得ることができるのです。
したがって、寺院清掃のみならず、御報恩御講をはじめとする法要の準備、片付けにも積極的に参加して、身の供養をさせて頂きましょう。
《化他行につながる身の供養》
申すまでもなく、日蓮正宗の御本尊は、一切衆生を成仏に導いてくださる尊極無比の御本尊です。しかし、本堂に安置されている御本尊の素晴らしさは、寺院の外から拝することができないので解りません。
また、本堂の外を見た時、もしお寺の境内にゴミが散らかっていたり、そこらじゅうに雑草が茫々と生えていたらどうでしょう。まだ御本尊の素晴らしさを知らない人達は、そうした外観・外見から、「きっと本尊や教えも大したことなく、いい加減なものだろう」と早計に判断してしまうかも知れません。
どんなにおいしい料理でも、その料理を載せたお皿がみすぼらしく汚れていたら、口にするのをためらってしまうでしょう。たとえ万人が認める最高の味だとしても、食べてもらわなくては何も始まらないのです。
もちろん、内面(中身)が大切であることは当然です。しかし、決して外見や見映えを疎かにしていいということではありません。
信仰心は心の問題ですが、その始まりは、皆さんに連れてきてもらったお寺の清らかさや荘厳さ、静閑な佇まいなどを拝した時の、思わず手を合わせたくなるような、そうした感動から起こることもあるはずです。
「信は荘厳より起こる」と言います。
皆さんが真心から行った身の供養には、寺院を荘厳にし、自分の心を磨き、徳を積むだけではなく、他の人の信心を発させるという化他の一分もあるのです。
《荘厳にふさわしい信心を》
総本山第九世日有上人は、
「行体行儀の所は信心なり、妙法蓮華経なり」
(化儀抄、聖典一二〇三)
と仰せです。行体(修行を変形として表すこと)行儀(儀式を姿形をもって行ずること)は、単なる外面の形式ではなく、大聖人の教えがそのまま私達の振る舞いのなかに表れてきます。
また、御法主日如上人猊下は御影堂の大改修に寄せて、「我々は、このたび見事に大改修成った御影堂の威容にふさわしい強盛な信心をもって、日夜朝暮に唱題に励み、いかなる困難や妨害にも負けず、強靭な意志と飽くなき実践行動をもって折伏を行じ、全支部警願達成を目指して、大折伏戦を展開していかなければならないと思います」(大日蓮・平成二六年一月号)
と指南されています。
私達は荘厳なる寺院、崇高なる信仰に見合った信心を培っていくことが何よりも大切です。そしてその荘厳は、身の供養や財の供養、法の供養などによって日々培われる信心より起こります。
七月恒例の唱題行も始まりました。共々に題目を唱え、 強盛な信心を奮い起こし、いよいよ信行に努めてまいりましょう。
Myokyo July 2024
妙教No.382より