伏線回収について語りたい❶相関図あり★野鴨初日〜6日目感想まとめ④ | キスマイ FUJIGA屋 藤ヶ谷太輔観察ブログ

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ただでさえ難しい『野鴨』ですが、関係性がわかってないと意味不明なので、野鴨公式パンフを元に相関図を作ってみました(暇か)
ちょっとざっくりなので、後ほど加筆します。明日のプレゼン資料を作りながらpp野鴨してみました😏 マチソワンお疲れさまでした♡明日は休演日ですね。こんばんは★
 
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1幕冒頭、ヴェルレ家で父と対峙しグレーゲルスが『おやすみなさい。さようなら』と去ったあと、その足でグレーゲルスはエクダル家へ向かうわけですが、その間エクダル家ではヴェルレ家パーティでの話をきっかけに、ナーバスなヤルマールがヒステリックになって大爆発★家庭内の雰囲気が最悪。感受性が強く賢い娘、ヘドヴィクと妻ギーナがヤルマールの機嫌を取ろうと必死になって宥めるシーンがあるんですね。自分の発作?に気付いたヤルマールが娘に謝るシーンがあるんですけど、娘に対して父であるヤルマールが『俺にもいっぱい苦労があることを忘れないでほしい』っていうんですよ。ろくに仕事もせず(コラ)妻ギーナにすべてを押し付け家父長制に胡坐かいてるヤルマール。『はい?!』じゃないですか。娘は14歳。目が見えなくなりつつある病と闘いながらも明るく前向きに生きてる少女ですよ。父ヤルマールの胸に顔を埋めながら『うんうん』頷く優しいヘドヴィクが不憫でならないシーンなのですが、直後にヤルマールは『たとえ苦しくても貧しくても家族だ。ここにこそ幸せがある』とギーナも抱き寄せるシーンがあるんです。(どの口が言う…と毎回思うんですが、ギーナもヘドヴィクもその幸せを大切にしているから、それはもう仕方ないんですけど)
下手で展開されるこの1幕の家族愛は、2幕でヤルマールがヘドヴィクの出生の秘密を知り、半狂乱で絶望のどん底へ突き落ちてゆく家庭内バトル『この子の目を見て!』『お父さん!』とヤルマールに縋り泣き叫ぶ立ち位置と同じで、なんとも言えない感情になります。昨日までは幸せな日々を過ごしていたのに…グレーゲルスよ…と。
『野鴨』は伏線回収がなかなか面白い作品です。(面白いんか!)
 
 
⚠️さて、私の独断と偏見です⚠️
そして、無駄に長いです。
 
上村演出『野鴨 ーVildandenー』にドハマりしている当方、思い込みが激しいので観劇前の方はご覧にならない方がよいかと。
 
⚠️閲覧注意勧告⚠️しておきます念のため。すでに観劇されてる方はフーン程度でスルーしてくださいまし。
 
 
ではウキウキウォッチング✨😆✨
 
 
【伏線回収と思い込んでるシーン】
①『テーブルの13番目の客』
この舞台の最大の伏線って個人的には、グレーゲルス登場のドアタマ、パーティのテーブルについた客が13人だったというくだりだと思っているんですね。当初は12名だったはずなのに、ヤルマールを招待したことで人数が増えた。グレーゲルス父が『自分の館で13なんて不吉な数字はあり得ない』と激昂するんですが、ヤルマールを招待した本人グレーゲルスが直後に独り言のように『別に悪魔がくるってわけじゃあるまいし』っていうんですよ。
ご存知かと思いますが、イエス・キリストの12人の使徒の中に、イエスを裏切ったユダという人物がいるんですけど、彼は最後の晩餐で13番目の席についた人なんです。ユダはイエスに対する信仰の欠如と調和を乱した人物です。ユダがいなければイエスは十字架にかけられなかったのではという説があるほどの人物ですが(諸説あり)これってラストのグレーゲルスの台詞『テーブルの13番目の客になるってことさ…』の伏線ではないかと。なんとかしたかったという思いはあったにせよ余計な背中を押さなければ、ヘドウィクは哀しい結末を迎えることになかったわけですし、レリング先生が昼食会で悪魔ネタ(天の啓示)をグレーゲルスロックオンで語るのもそういうことなのかな?と。自分の名前グレーゲルス・ヴェルレについて『重い十字架を背負っているよう』と例えるグレーゲルスの良心の呵責も含めて西洋文化に疎い私的にここはもう少し注視して観劇したいところです。
 
②『ヘドヴィクの目』
ヴェルレ家のパーティ終了後『目に良くない』とセルビー夫人に小言を言われながら支えられて上手に登場するグレーゲルス父が、目をショボショボさせている表情を見て、少し驚くヤルマール。ヘドヴィクの出自を知ったヤルマールの『そっくりじゃないか!』への伏線。2幕でヤルマールが出生の秘密を知って半狂乱になるのは、グレーゲルス父からの手紙が決定打となったのはもちろん、失明が遺伝の病であり、目が見えにくくなる時の表情がそっくりという一番ショッキングなシーンを体験してしまったから。
 
③『森は復讐する』
グレーゲルス父の陰謀によってすべてを失い、現実逃避するように納屋を森に仕立てて狩猟ごっこに興じるヤルマール父。(レリング先生曰く「素晴らしい人生の嘘」)グレーゲルスがエクダル家を訪ね、尊敬するエクダル中尉(ヤルマール父)と昔話をするシーン。ヤルマール父が猟をしていた懐かしい森について尋ねた時のこと。伐採が進んで森はだいぶなくなったというグレーゲルスに『森が復讐するぞ…』と予言。可愛い孫であるはずのヘドヴィクが亡くなっても現実を受け止めきれず『森が復讐する…森が復讐する…』と狼狽えながらも『俺は怖くない』と武者震いのような雄たけびを挙げ、納屋へ突き進んでゆくヤルマール父の後ろ姿に、人が生きてゆくことの難しさや『人生の嘘』について考えてしまいます…。
 
④『話してることと別のことを考えてるよう』
グレーゲルスがエクダル家を訪ね、ギーナに散々詰め寄って立ち去った後のヘドヴィクのひと言。
ヴェルレ家に憧れが強いヘドヴィクは、グレーゲルスに対して興味を持つんですが、元々感受性が強く、賢いヘドヴィクはグレーゲルスの話し方や表情から感じることが多かったのでしょう。『あの人言ってることと思ってることが違いそう』的なことを言うんですね。
グレーゲルスが再訪した際、学校へ行っていないヘドヴィクにとって、同じ目線で真剣に自分の話しを聞いてくれるグレーゲルスはきっと友達のように感じたでしょうし、事実グレーゲルスも少年のようなキラキラとした瞳でヘドヴィクの話に耳を傾け、野鴨についても納屋についても楽しそうに語り合うんです。お伽の世界のような納屋の話に『あの納屋では時間が止まっているんだね?』というメルヘンチックなグレーゲルス(30代男性)に対して、そんな考え方はなかったとばかり、それはそれは嬉しそうに喜ぶヘドヴィクの笑顔は純真無垢な子どもです。そんな二人の楽しげな会話の中から生まれる『海底(うなぞこ)』というワード。ヘドヴィクが『海底なんて言い方、ばかみたい~』と無邪気に笑うシーンが楽しければ楽しいほど、グレーゲルスがラストで発する『海底で…』がただの良心の呵責じゃ済まないグレーゲルスの闇を感じてなりません。
『話してることと別のことを考えてるよう』なグレーゲルスの魅惑の言葉の数々があったからこそ『神様への生贄』も感受性の強いヘドヴィクなりの解釈をしてしまったのかもしれません…。
 

 

一旦アップ。