自宅の自室、小さなシングルベッドの上。
震える指でさっき電話したお店の番号をリダイヤルする。
数回呼び出し音が鳴って、電話に出たのは昼間も応対してくれた男性スタッフと同じ声だった。
「あ、あの・・・秋斉さん・・・戻ってらっしゃいますか?」
消えそうな声でなんとかそう言えた。
「はい、少々お待ち下さいませ」
保留になり、軽快なメロディが流れ始めた。
待っていたのはほんの数十秒だけれど、とてつもなく長く感じられて。
その間、心臓は爆発しそうにドクドクと伸縮を繰り返し、今にも口から飛び出しそうだった。
『あー、もしもし?お電話替わりました』
違和感を覚えて一瞬思考が停止した後。
(・・・この声、慶喜、さん・・・?)
そしてすぐ、向こう側で少しバタバタと人が動く音が聞こえて、慶喜さんと思われる声の主が話し始めた。
『ねえ、どうして急に居なくなったりしたんだい?』
(・・・えっ?えぇっ?ええええええええええええっ!?)
さっきの事を言ってるのだとすぐに分かったけれど、喉元で言葉がつかえてしまって上手く声に出せないままでいる私。
『秋斉の事、好きじゃなかったのかい?』
『それとも、何か事情があったのかい?』
『もしかして具合が悪くなったとか?』
矢継ぎ早に慶喜さんが質問を投げかけて来る。
(違う、違うんです!さっき、実は・・・)
口の中がカラカラになった状態で、慌てて喋ろうとした私はつい咳き込んでしまった。
「ゴホ、ゴホッ、ケホ・・・・」
『あっ、だ、大丈夫?やっぱり具合が』
それ以降、慶喜さんの話す声が急に遠ざかっていったと思ったら
『何してますのや、あんさんいう人はっ!』
彼らしくない、激しくて大きな声。
聞こえて来る微かなやり取りから想像するに、どうやら秋斉さんが慶喜さんから電話を取り上げたらしかった。
『なんだよ、いいじゃないかー』
『わてにかかってきた電話どす!ほら、出てった出てった』
秋斉さんが、室内から慶喜さんを追い出す様子が手に取るように分かった。
バタン、とドアの閉まる音が聞こえて、少しの間無音になった。
(あ、れ・・・?)
耳を澄ませていると
『・・・すんまへん』
すぐ耳元で囁かれたように、秋斉さんの落ち着いた低い声が聞こえて背中がゾクリとする。
「い、いえ・・・」
私はやっと声が出せた。
ほっとしたのもつかの間、秋斉さんに伝えなくてはいけない事があって電話したのを思い出す。
その場でさっと背を正して、小さく咳払いをし、唾を飲み込み喉を潤してから私は切り出した。
「あの、さっきは・・・その、突然帰ってしまって、ごめんなさい」
『・・・ん、あ、あぁ・・・』
なんだか気まずそうな返事に、ちゃんと事情を説明しなきゃと気が焦る。
「実は、あの、母・・・母から電話がかかって来て・・・話していたら教室に戻っている途中だって聞いたので・・・それで、わた、私っ・・・」
―――――さっき、唇が触れる直前で来客があって、秋斉さんが裏口へ向かって。
そして腰砕け状態になった私は、その場でヘタり込んで放心していたのだった。
すると携帯に母からの着信があり、びくっと身体を強張らせ、暫く画面を見つめたあと私は電話に出た。
「あ、ど、どうしたの?」
秋斉さんが立っていた地面を見つめながら、呼吸を整えているのが母に気づかれないようになるべく普通を装った。
「今日ね、お義母さんがお家にいらっしゃるの忘れててね」
「う、うん」
「私、今日も遅くなるからあなたお家にいるならお義母さんと一緒に外で夕食済ませてくれないかしら?」
「ん、わかった、適当に二人でどこか行くよ」
「お願いねー」
「あ、お母さんっ!今、どこにいるの?」
もしかして、教室の近くにいたら・・・そんな事が頭をよぎって、電話を切ろうとした母を引き止めて、慌てて尋ねる。
「ええ、さっきちょうど藍屋先生が来て下さって、お母さんちょっと用事で出かけてたんだけどね。でも、もうすぐ教室に戻るところよ」
(も、もうすぐっ!?)
「そ、そ、そうなんだ、わかった!じゃあね」
一方的に別れを告げて、私は電話を切った。
(・・・私、帰らなきゃ・・・)
ここに居る事の言い訳が思いつかなくて、気が動転した私はガクガクした足をなんとか立たせ、秋斉さんに何も言わずに教室から走り去ったのだった―――――
たどたどしく事情を説明し終えると、再び沈黙が訪れた。
(どうしよう、怒ってる、よね・・・?)
じっと秋斉さんの反応を待っていると、
『は、ははっ、はははははっ、あはははは』
突然、今までに聞いた事もない彼の笑い声が聞こえた。
まさかの反応に私はびっくりして携帯を落っことしそうになる。
(なんで笑って、る・・・の?)
少しして、ひとしきり笑い終えた様子の秋斉さんが
『あぁ・・・良かった・・・。わてはてっきり、実はあんさんに嫌われててそんで何も言わんと帰ってしもたんかと・・・』
柔らかな口調で言った。
(やっぱり誤解、されてたんだ・・・)
「ちがっ、違います!嫌うだなんて、そんな訳ありませんっ!」
『・・・っ』
心から否定するあまり、自分で思っているよりも大きな声が出ていたらしく、電話の向こう側で秋斉さんが驚いている顔が見える様な気がした。
「あの・・・すみませんでした。誤解されるような事・・・突然黙って居なくなったりして・・・ごめんなさい」
『もう、謝らんといて』
「あ、きなりさん」
ぽつりと名前を呟いて、ちょっとだけ恥ずかしさが襲う。
かぁっと頬が熱を持ち始めたのを感じていると。
『えっと、その・・・今夜、都合どうどすか?』
「今夜、ですか?」
『ちゃんと、もう一度、ちゃんと話がしたいんどすけど』
「・・・はい、わかりました」
それから、私達は22時に待ち合わせの約束をして電話を切った。
きっとその時間だったら、夕食を外で済ませてとっくに帰ってきている頃だ。
携帯を握りしめながらそんな事をぼんやり考えていると、無意識のうちに緩んでしまう頬に温かい涙が伝い落ちて行った―――
≪秋斉編11へ続く・・・≫