慶喜さんはそう言って、私の肩に手を添えた。
どきどきしながら、その手から伝わってくる熱を感じていると
「実はね・・・」
事の詳細をゆっくりと語り始めた。
「あのモデルの子が所属している事務所の社長さんがね、ある日キャバクラの帰りにお店の子と一緒にうちに飲みに来たんだよ―――」
社長と一緒に来たキャバクラ嬢は元々慶喜さんを指名している人らしく、その日は慶喜さんと秋斉さんで接客についたらしい。
そして社長は慶喜さんが今TVなどで騒がれている存在だと知ると、それまで不遜だった態度を急にコロっと変えて、お店を出た後にアフターへ行かないかと誘った。
とても気前よくボトルを入れてくれた事もあり、慶喜さんは少しだけならと了承してアフターへと付き合った。
向かった先は歌舞伎町の隠れ家的なバーで、キャバクラ嬢、社長、慶喜さんの3人が店に着いて30分ぐらいすると、モデルの高野ヨウコがやって来たと言うのだ。
「咄嗟に何かを仕組まれそうな気配を感じたからね、その後すぐに俺だけバーを出たんだ」
ここまで説明を終えると、肩に乗せていた手をすぅっと下へ滑らせて、私の両手を優しく握った。
「座ろうか」
「・・・はい」
慶喜さんに手を引かれ、私達は大きな黒革のソファに並んで腰を下ろした。
「会うなりいきなり俺の事を色々と聞いてきてね、うんざりしてすぐに帰ったら顔も覚えていなかったし、正直あの時の女が隣に引っ越して来た女だとは全く気がつかなかったんだよ」
そして、どうやらこのありもしない事実をその事務所が自ら雑誌社にでっち上げたという事が秋斉さんの調べによって分かったらしい。
「出版社からここに“マンションに出入りする写真を撮ったんですが”と電話があったしらしくてね」
先日、慶喜さんがなんだかイライラしながら電話していたのはその件だったのだろうと思った。
「じゃあ、あのマンション前にいた不審な男っていうのは・・・」
「そう、多分カメラマンか記者、だろうね」
テーブルの上のシガレットケースから1本煙草を取り出して、華麗な仕草で火を点ける。
ゆっくりと深く吸って、天を仰いで煙を吐き出した。
煙は不思議な形を作りながら上昇し、やがて消えた。
しばらく黙ってそれを見ていた慶喜さんがひとつ溜息をついて
「それにしても、タイミング的に考えると、そのすぐ後に俺の事を調べ上げてわざわざ隣の部屋に引っ越して来たんだろうな」
「・・・っ」
高野ヨウコのその狂気じみた行動にぞっと背筋が凍った。私が無意識のうちに自分の両腕を抱きしめる様にかかえ込むと、慶喜さんは眉を寄せて苦いものを噛みしめる様な表情で私を腕の中に閉じ込めた。
「本当にごめん、こんな嫌な思いをさせてしまって」
彼の大好きな煙草の匂いと、愛用している香水の香りがふわりと私の鼻をくすぐった。
「・・・いえ、私の方こそ・・・こんな事で泣いたりして」
いつだって私は慶喜さんの事さだけを信じていれば良いのだ。
こんなにも優しくて、私を大切にしてくれて、思い切り甘やかしてくれる彼が裏切る筈はないのだから。
「よしっ、帰ろう」
慶喜さんは急に思いついたようにそう言って立ち上がった。
「えっ?」
きょとんと目を丸くしている私を見下ろして、くすっと可愛らしく笑う。
「今日は店を休むよ。だから、一緒に帰ろ?」
私の右手を持ち上げて、手の甲に軽く口づける。

「で、でも」
「いいのいいの、後の面倒な処理なんて全部秋斉に任せとけば治まるからね」
悪戯っぽく微笑んで、ドアの向こう側に声をかけた。
「でしょ?秋斉」
すると完全に閉められていたはずのドアが音もなく開いて、少しだけ困った顔をした秋斉さんが立っていた。
「はいはい、わてになぁんでも任せとけばええ」

半ば呆れた口調で秋斉さんが呟くと
「ねっ?ほら、行こう」
それから私達はすぐ近くに停めてあった慶喜さんの車に乗り込み、マンションへと向かった。
案の定まだマンションの前には報道陣がいて、慶喜さんの帰りをか、高野ヨウコの帰りをか、今か今かと待ち構えていたのだった。
「おやおや、俺ってこんなに注目されてるんだね」
茶化すように笑いながら言って、慶喜さんはわざと駐車場スロープではなくど正面へ向かって車を停車させた。
「ちょ、ちょっと慶喜さん・・・ここから出て行ったら」
「うん、そうだね」
エンジンを止めた車の方を、ひとりのカメラマンらしき男性が指さしたのが見えた。
「あっ!ほら、見つかっちゃいましたよ」
「うん、そうだね」
「そうだねって・・・」
「うん、わざとだから」
慶喜さんはそう言って運転席を降りて、助手席のドアを開けてくれた。
「さ、行こう」
私の手をしっかりと握って、正面の人だかりの方へと歩き出した。
「あ、ちょ、ちょっと・・・」
(マズいよ、こんなところ写真に撮られたら・・・お店の方にだって影響が出ちゃうかもしれないのに)
すると突然慶喜さんはぴたりと足を止めた。
(あ、あれ?)
やはりマズイ事だと分かってくれたのかと思い、私も足を止める。
くるっと振り向いた慶喜さんが何か悪戯をする直前の時の顔をしていたから、私はさっと身構えた。
しばらく黙ったまま私を見つめているだけで、何も言わない。
そうこうしているうちに、カメラマンや記者達がこちらに向かってダッシュしてくるのが慶喜さん越しに見えた。
「け、慶喜さん・・・早く行かないと、みんなに囲まれてしまいますよ」
焦った私の顔を見て、すっと目を細めると
「・・・囲まれるのを待ってるんだけど、な」
そう言って口元を柔らかく吊り上げた。
≪慶喜編6へ続く・・・≫