生きること。死ぬこと。バラナシ。
さて、バラナシへ向かいますリシュケシュから電車で約14時間寝台席に乗り、快適な旅を。。。。快適??快適な訳がないです。インドでの初の電車に乗っての移動、かなり緊張してました、電車のクラスもピンキリで、下から二つ目のクラス、スリーパークラスへ。このスリーパークラス、寝台があるんですけど、3段ベッドみたいなのと、壁際が二段ベッドになっている中、一番快適と言われる、サイドのアッパーと言われる、二段ベッドの一番上へ。確かに、誰にも邪魔されないし、寝台の上に座っても頭を打たずに静かにすわれるんですが。体のサイズに合ってないです。足が伸ばせません。その上、荷物もその中で一緒になるのでキツキツ。向かいの二つの3段ベッドの上には、スペイン人とイスラエル人の女性が。この電車、どこを見渡してもインド人だらけでしたが、自分たちの周りに外国籍の人たちがいてたので、3人で顔を合わせてほっとしてました。バラナシに到着して、僕自身、宿どーしよーかなと、インドの旅人のブログ見ながら、久美子ゲストハウスという日本人宿にするか、9月にオープンしたと言われる、サンタナという日本人やどにするのか。日本人のブログをもちろん読んでるので、バラナシでヒットするのはこの二つぐらい。実際、もうインドでの日本人との交流は、リシュケシュで十分満喫したのと、自分の英語力だと日本人宿に泊まる必要が無いなと思ったのと後は、電車で一緒になったスペイン、イスラエルの女性と結構いい感じの会話できてたんで、3人で部屋探し。よかった。英語喋れて。コミュニケーションにさほど困らんのはでかいwしかし、3人で宿の行く当ても無くトゥクトゥクにつれ回され、いろんな宿を紹介してもらうが、リシュケシュで100ルピーで泊まってた自分にとってはどれも高い。女の子二人は、イスラエルの女の子は、そんなに値段気にせず、wifiとなるべく綺麗な部屋でなるべく新しい部屋が良いというお嬢様系。スペインの女の子、ベロニカはそこまで何も気にせずガンジス川が眺める宿で、なるべく安い部屋。ぼくは、安さで勝負という感じで250ルピーがボーダーライン。この3人で意見が合致する訳も無く、ましてや、3部屋も空き部屋があるところも少なく、ベロニカとイスラエルの女の子はお庭の綺麗なところで400ルピーと、600ルピーで可決、残念ながら400ルピーなんか払ってられないと思った自分は、そこで別れを告げ部屋を探す、するとその隣にそこそこ部屋綺麗で屋上からの景色は抜群オーナーの家族がとっても親切な宿を300ルピーで発見!!朝から何も食ってなくて、バテバテだった自分は、そこに泊まることに。そして食べ物探しにバラナシを散策。。。。少し歩きガンジス川のほとりガートにたどり着いた。そのガートはHarishchandra ハリシュチャンドラ同じガンジス川とは言えど、リシュケシュで見たそれとは全く異なった表情を見せるガンジス川。多くのボートがそこを行き交いし、多くのインド人が沐浴を行っている。そこでたき火を行っている場所があったので近づいて聖なる川のほとりで燃え上がる火を見つめてみる。。。。するとその日の中に人影らしきものが燃えていた。よくよく考えてみると、バラナシのガンジス川は、生と死が入り交じる場所、2つの火葬場が、このガートにはあると聞いていた。そうそこは、火葬場であったのだ。言葉を失い、その光景に縮み込んでしまった。しかし、その生と死があからさまであるインド、バラナシをこの目で見たかったのが、ここに来た一つの理由でもあったので少しそれを見つめていた。ヒトの体が燃え上がる異臭とともに、灰と化す遺体、これらの灰は火葬人によってガンジス側へ流され海へ抜けていく。バラナシに到着し数時間でこの光景を目の当たりにしてしまった自分、ただただ漠然と見つめてこれがバラナシなんだと通り過ぎる。そしてメインストリートをまた歩き出す。すると、どこかから「タイシーーー!!」という聞き覚えのある声が聞こえた。顔を上げてみると、そこにはデリーで出会った、映像を作りにきている塚田さんとロベルト(彼は日本人であり、ロベルトカルロス、もしくはキャプテン翼のロベルト本郷に憧れを抱いているのであろう人物w)とばったり遭遇!!彼らはアーグラーに向かうらしく、そんなに時間もなく、本当に生きててよかったなーみたいな、1分も無かったが、結構内容の濃い再会を果たしたのであった。バラナシの後ネパールへ抜けたい自分は、カトマンズへの直行バスを探し続けるがなかなか見つからない、通りにある旅行代理店すべてに足を運んだが、どこも準備してくれず、途方に暮れていたが。。。。オーナーの奥さんが、朝に駅に行けば、その場で乗れるから心配しなさんなと、声をかけてくれた。ありがとうおばちゃん。本当に感謝感謝。これで一つ悩みも解決。翌日からは、バラナシをしっかり観光しようと、歩き方や、ブログ、facebookなどで先輩旅行者からいただいた、情報をたよりに街を散策。Manikarnika Ghat マニカルニカーガートへ足を運んだ。ここももう一つの火葬場であるガートで一番大きい。インド人が横で勝手に説明をしてくれた。ここでは一日約200人もの死者が運ばれ、ここで灰となりガンガーへ流される。家族のあるものは家族が付き添い、身寄りも無く灰になり川へ流されるもの、いろいろだ。死者はまずここに運ばれ、ガンガーに浸される。そして、そこでマントラというお祈りが唱えられる。そして死者は薪に体を包まれる。しかし、灰にはなれないものもいる、サドゥや、子供、そして、お腹に子供を抱える妊婦はその身体に石をくくりつけ、ガンガーへと沈められる。ヒンドゥーにおいて、死者は聖なるガンガーを渡り、そして、海に流れ着き、そしてまた生を授かるという輪廻転生という考えのもと、これらの儀式が行われているのだろう。死者の家族もまたそこで、いずれ形が変わってこの世界に戻ってこようといつかまた会えるかのように、泣いたり、悲しい表情をしている者はいなかった。それらを見ていると、インドでは生と死が混沌としている、まさしくカオスな世界であるという、多くの人々がこう言う理由がわかった。町中を歩いていると、死が近づいているのか、大きな病で路上でのたうち回っている一人の女性がいた、身体の数カ所は既に腐蝕している。もうそんなに長くはないのであろう。しかしそこを通りすぎる者は誰一人として彼女を助けようとはしない。ただただ普通に時間が過ぎ去っていくだけ。周りの者は誰一人として死におびえず、それは神のお告げであるのかのように、そしてその授けられた生を全うしている。ここでは、生あるモノには必ず死が訪れる、そういうことを誰もが知ってるかのように、時間は経過していく。ヒトだけでなく、餓死しそうな犬にも出会った。それを知ってるかのようにハエがその周りを飛び回り、先ほどと同じようにヒトは何事も無いかのようにそこを通り過ぎる。ここでは多くの死に出会うが、生きている者は精一杯彼らの生活を行わなければ行けないんだ、ということなのだろう。ここまで、しっかりと宗教の根付いてる国に来るのも初めてであったし、多くのことを学んだ気がする。日本のように無宗教といっても過言ではない自分にとってはかなり驚きと、普通に生活していると得られないであろう経験を得られたと思う。こういうのが人生の肥やしになっていくのかもしれないな。にしても、デリーと同様、インド人がウザい。観光地で多くの海外からの観光客が訪れるところではもちろんかもしれないがウザい。ウザいとかいってすいません。いくつかの例をあげるので共感してください。服や布のバザール付近で。インド人「へい、ニホンジン!!What can I help you? ダボダボパンチュ、バジャールでゴジャール、50ルピーネ。」これらの日本語をどこで覚えたのか、ずーっと言ってくる。ダボダボパンチュはこの通りを1回とおるだけで10回は耳にするだろう。普通に通りを歩いてるとインド人「Japanese??」ぼく「yes」インド人「コンニチハ、こんばんは、サヨウナラ。ハッパ??フラフラ、イルカ??エロホンモアル」ハッパという言葉は一番耳にする。あーうざい。あと誰がきめて、お前の権限で決めるなって言うぐらい、カメラ出すと、no,photo, no,photo 言うてくる。なんでやねん。あとは、[Im not talking about businessネ]とか言うてきて、今の日本の首相とか、少子高齢化とか、津波の話とか、ちょっと深く喋って来て、話最後まで歩きながら聞き終わると、「ココマガレバ、my shop、ハッパ、エロホンイッパイアル」結局それ。。。まともなやつはいないのかーーーーい!!ただ、子供はどこに行っても可愛い、彼らの無邪気な笑顔に何度助けられそうになったか。しかし注意しないといけないのは、小さい子供が人ごみの中でスリしたり、物乞いしてきたり。ホントに環境が全く日本と違うこと。これはおすすめのブルーラッシー。うますぎる。そして雨が降ると、脇道の水路から水が逆流、おそらく下水も混じって、道路に落ちてる、ヒト、牛、犬の糞尿、ゴミ、すべてが混じってるであろう。これもまたカオスあとは夜7時頃からいろいろなガートで行われるプージャ。これも見物だ。もうやり残したことは無い。明日カトマンズへ向かおう。期間短かったけど、ヒンドゥーという宗教詳しく掘り下げるほどは知らない、ただ、見て感じただけ、それだけでも何かでかかった。読んでいただけたらクリックよろしくお願いします。ブログのランキングに参加してみました。にほんブログ村