『人に優しくしていても、自分を幸せにしなかったら地獄に落ちる』
人を不安にさせるネガティブ情報、さよーならー。っていうのはちょっと待ってくださーい!
ネガティブにならないように解説しますから!これはとても重要な事なんですー!
そもそも、何故この記事を書こうかと思ったかというと、ある動画でそういう言葉を聞いて。これは人のために一生懸命頑張ってる人ほど受け入れにくいだろうなーとぼんやり思ってて。
その数日後、たまたま神社に行った時に「もっと受け取られやすいようにブログに書いた方がいいかも」とふっと思いついたんです。こういうのってきっと神様からの伝言だと思うんですよ。
って、こんな風に書くと、神がかってるように思われるかもしらんけど、これって実はみんなに起こってるんです。単にそれを意識するかしないかってだけの差。
さて。『地獄』という表現を使うとどうしてもおとぎ話っぽくなるっていうか、現実味が無くなるんで、『重い波動が集まる場所』と考えてください。そして、『良い』とか『悪い』とかって観点を一旦脇においてください(本質を理解する時、この『善悪の判断』が邪魔なんですよ本当に)。
でも、波動っていうと今度は専門的過ぎて、逆に現実味が感じられないかもしれませんねー(笑)
だけど、波動は目には見えなくても、実際は日頃めちゃくちゃ感じとってます。
例えば、気持ちが沈んでいる時、体もだるくなり重さを感じませんか?『気が重い』って言いますよね?これが重い波動です。
はー!幸せー!っていう時、気持ちはふわーっと軽くなってますよね?これが軽い波動です。
「え?波動ってそれ?もっと高尚なもんかと思ってた。」って最初思いました。でもこれです。
感じ方は人それぞれ違うんでしょうが、意識するしないにかかわらず、私たちはその波動を感じ取り、強い影響を受けています。
それがどれくらいの影響なのかっていうと、例えば、
それまで楽しかったのに、誰かが怒ったら急に場の雰囲気が重苦しくなったり。
沈んだ気分だったのに、好きなアイドルが新曲を出したらテンションが爆上がりしたり。
そして、こっからが特に意識して欲しいんだけど、気分によって行動も変わるんです。
むしゃくしゃしてるときはドアを乱暴にしめたくなるし、気分が良い時は鼻歌を歌いたくなるでしょ?
そしてその波動はその場の雰囲気を作り出します。その波動が嫌だと思う人は去っていき、その波動に合う、または合わせた人はその場に残り、さらには同じ波動を呼び寄せて、その波動によって作られた雰囲気・空間のできあがり!っていう風に。
こんな風に切り抜いたら、そんなの当たり前じゃんって思うけど、私たちは実際の生活の中でその事をすっかり忘れちゃってるんですよ。そして、忘れるから自分で自分の首を絞めてしまって、なんで苦しいのかわからなくて悪循環にはまってる人が多いんです。
目には見えないから普段忘れちゃってるけど、波動は確実に存在し、その影響は決して無視できません…ってか、無視しちゃいけない…いや、きちんと認識すべきって言いたくなるくらい、
心の状態 波動 行動
はとても密接に関係しているんです。
以上の事を天国と地獄という表現で表すと、
重い波動になる=地獄にいく
軽い波動になる=天国にいく
となります。
そうしたことを踏まえて、
『人に優しくしていても、自分を幸せにしなかったら地獄に落ちる』
を見てみましょう。問題は、
『自分を幸せにしていない』つまり『幸せではない』
ところですよね。
幸せでない時、重い波動になります。
人に優しくした時、心は軽くなりますが、無理をするなど自分をおろそかにしていた場合、その分重いんです。
人に優しくして心が軽くなった分で重い分が相殺されるから、それを地獄っていうのは言い過ぎだろって思うかもしれませんが、少なくとも軽くはない、つまり天国でない事は確かです。
天国にいくとするなら、
『自分を幸せにして、人に親切にする』
もっと詳しく言うと、
『自分が幸せ気分になると自然と人に優しくしたくなるので、それをする。それが天国。』
となります。本来、こういう表現で良かったんですが、それをあえて反転し、さらに『地獄』というワードを出したのは、多分それを「うん、そうだね。わかってるわかってる。」と軽く流されたくなかったから。軽い波動の言葉って軽いんで、ふわっと通り過ぎてキャッチされにくいんです。
『人に親切にしましょう』という教えは世の中に十分広まっています。でもその教えが独り歩きしてしまって、最も重要な『自分を幸せにする』という大切な教えが、まるで『わがままか』のように捉えられてしまっている現状があります。
だからこそ『地獄に落ちる』というネガティブで重いパンチの聞いた言葉が必要で、そこには『自分を幸せにして!』という事を強調したいという意図があると私は読みました。
だって、『地獄に落ちる』って言われたらハッとするでしょう?こんなに人のために一生懸命なのになんで!?何がいけないの!?って振り返るきっかけになるでしょう?
神様のネガティブの使い方、流石やなって思いました。けど同時に、一生懸命頑張ってきた人ほど受け入れがたくて拒絶してしまうだろうなとも思ったし、ひょっとしたら神様もそう思った…かどうかは知らんけど、そういう理由で私にひらめきを寄こしたのかもしれないと思ったんで、こんな記事を書いてみたのでした。
あと、何故こんな事を書こうと思ったかのもうひとつの理由。私はゴミ拾いしてる人のツイッターをフォローしてるんですが、その中で時折見られる、ポイ捨てする人を責めるつぶやきがずっと気になってたんですよ。
せっかく素敵な事をしているのに、心が地獄になってしまっているのがもったいなくて!
ポイ捨てされてたら、誰だよ(怒)!って思うのは当たり前。それは全然悪い事じゃないし、そこは否定しちゃいけない。人にはバイオリズムがあって、波動が高い時と低い時で波もあるし、高い時には「しょーがないか。」って流せることも、低い時には流せなくなるもんです。
ただ、そんな自分に気付いたら「疲れてんだな。今日はもうやめてアイスでも食べよう!」とか、「楽しくやろう!」と気分を切り替える必要があるんです。そしたら、カラリと波動が変わります。
それでも変われない人は、ゴミ拾いとか人への親切を一旦やめて、まずは自分を幸せにしてください。
自分が幸せになると、自然と人に親切にしたくなるので、そうなってからまた始めましょう。
ボランティアは気が乗った時だけで十分だと思います。私はその時の気分で参加するかどうかを決めます。気が重い時には行きません。
「よっしゃ!今日は社会貢献でもしちゃおっかな!」
というウキウキした気分でいる事が重要だと思っているからです。
『継続が大事』だと社会一般では言われますけど、波動の観点からすると、その継続で無理をして心が沈むなら、しない方がいいんです。
重い波動の中にいても自分を保てる人ばかりならそれでも問題はないでしょうが、現状、多くの人が重い波動に引っ張られて同調してしまいます。
だから、自分がどういう波動を出しているのかを常に意識し、人に迷惑を掛けないよう自分の心の中で処理する事が大事なんです。出たゴミを持ち帰るのと同じです。
人のために頑張れる素敵な人たちには、本当の意味で幸せになって欲しいと思います。
どうぞご自愛ください。