*どの選択肢を選んだか。それがあなたの人間性。

DaiGoさんの発言が大炎上となり、彼は謝罪をしました。にもかかわらず、批判の声は未だに続いています。

 

実はこれは、DaiGoさんの問題のようでいて、こちらの人間性が問われている場面なんです。

 

再度言いますが、彼は『謝罪』しています。そして、既に自分の失敗を分析・理解し、改善に向けて行動に移しています。

 

そんな彼を見て、私たちには様々な選択肢があります。

 

→今後の彼に期待する

→許さない

→一言いう

→謝罪を嘘と決めつける

→叩く

→そっと離れる

 

などなど。もう数えきれないほど膨大な選択肢があるんです。そして、その中からどういう選択をするか決められるのは『自分だけ』です。


人がそう簡単に変われるのだろうか?と、その謝罪を疑う気持ちは当然起こります。

 

謝罪が口先だけなら彼はまたどこかで同じことを繰り返すでしょう。

 

しかし、彼が本当に反省していたとしたら、これを否定するという事は彼の可能性を断つ行為となってしまいます。

 

そうしたことを踏まえ、どちらの可能性に目を向けるかが私たちに問われているのです。

 

あなたはどういう選択をしますか?

 

他の人の回答に興味のある方は、DaiGoさんの謝罪動画のコメント欄を見てみてください。多くの人が自分の選択でもって、その人間性をあらわにしています。ただし、チクチク言葉に耐性がないと、読んでいる内に気持ちが凹むかもしれません。でも、これが人のすべてではありません。コメントを書き込んでいる人は全体の一部です。

 

因みに私は、どういう結果でもずっと見守るんじゃないかな(未来の事は断定できないけど)。私には読む事すら難しい論文をわかりやすく説明してくれるおかげで、本来なら得ることができなかったはずの知識を得られてきたのは、Daigoさんのお陰です。そんなお世話になった人を見捨てるような選択をしたくないのです。向こうは私を知らんけど。

 

それに私自身、誰かの何気ない一言でハッと気付かされ、それまでの自分を埋めたくなるくらいに恥じて、責めて責めて自分の存在を消したいくらいに責め続けて、ようやく自分を責めてはいけない事に気付いた経験があるので、それに気付く前の自分の言動を晒されて「こんなお前が変われるわけがない!」と言われるのがどれほど辛い事かわかります。

 

「変わりたい!」と誰よりも本人が思っているんですよ。それを応援したいです。

 

*失敗を許さない社会の風潮は苦しみを生んでいる

「失敗したら終わり」だと思ってる人は、自分の失敗を認めることができなくなります。だって「終わり」ですからね。そりゃあ怖いですよ。

 

そうした人は自分が失敗したとき、けろっと忘れる事ができるか、理由をつけてバックレるか、死ぬほど自分を追い詰めるか、…そんなパターンが多いかな。

 

私はこの、死ぬほど自分を追い詰めてしまう人たちをなくしたいと考えています。自分を許してあげて!失敗しても大丈夫だから!って。そのためには、社会全体にそういう空気を作り出す必要があります。

 

現実問題として、「失敗したら終わり」ではないんですよ。人の真価が問われるのは「それからどうするか」です。そして、「失敗しちゃう自分もあり」として受け入れていけばいいんです。そうすると、人の失敗にも寛容になります。

 

DaiGoさんの失敗に寛容になれずに騒いでいる人は、自分がそういう縛りを課していないか、今一度、自分の心を振り返ってみる事をおすすめします。その縛りは自分の首を絞めていますから。

 

彼は謝罪動画の中で、「憎んでいた人間と同じ事をしていたことに気付いた。」と言ってて、それを聞いた時、私は涙が出ました。

 

だって、「自分をいじめてた奴ら=自分」って、これ受け入れられます?憎んでた人達ですよ?「あいつらとは事情が違う」とか「それとこれとは別」とかって言っちゃいたくなりません?

 

だけどDaiGoさんはその現実から目をそらさずに向き合っていました。それがどれだけ難しく、またどれだけ尊いか。

 

これができる人が増えて欲しいと切に願います。

 

*どういう社会にするかは一人ひとりの行動で決まる

「○○だから人を叩いてよい」というような、無関係の人が寄ってたかって叩くことを肯定するような主張は通してはいけないと私は思います。今現在、自分が何をやっているかわからな人たちが、ますますそれで良い、自分たちは良い事をしていると思い込んでしまうからです。

 

これは子育てと同じです。社会全体で「挽回のチャンスが与えられる」空気を作り、物事をまだよくわかっていない人たちを教え諭していく必要があります。

 

まあ、それでも叩きたければ叩けばよいでしょう。殴られたら殴り返したくなる気持ちもありますからね。でも、いかなる理由があってもそれとは関係なく、叩いた分の責任は叩いた自分にある事を、きっちり教えなければなりませんね。

 

そう言った考えで私は、DaiGoさんの謝罪動画のコメントに、炎上に水をかけるようなコメントを書き込みました。それを読んで、誰か一人でも振り上げたこぶしを下ろしてくれたらいいと思って。しかし、これは単なる自己満足であることも肝に銘じておかなければなりません。っていうか、うっすら「これって自己満足だよね~」と思ってたら、ぱっとツイッター開いたら「自己満足」の文字が飛び込んできたんですよ。

 

脳科学的には認知バイアスって事になるんでしょうけど、私は自戒して、自己満足を自覚した上でやろうと思いました。

 

それでもやるんかーい!って思わず自分でも突っ込みましたけど、今のDaiGoさんの現状を見て、これは「いじめ」だと思ったんですよ。ネット上では同じような事がこれまでも何度も起こっていて、自殺者も出てます。多くの人は大勢の意見に流されるので、「もうやめよう!」って一人でも声を上げることが大事だと思うのです。それを黙ってやり過ごすのは肯定に等しい。

 

かっこよさげな事を言いましたが、結局は自己満足なので、炎上に加担した迷惑行為として訴えられても仕方がないと思ってます。そうなったら自己破産するしかないです。

 

*刑罰はこうした方がいいんじゃない?

たとえ危険な考えを持っていたとしても、実際にそれを実行する可能性が無ければ、別に社会から隔離する必要はないと思います。そうでなければ、ゲーム内で人を銃で撃ってる人は全員逮捕しなきゃいけなくなります。だって、ゲームの中とはいえ、殺し合いを楽しんでいるんでしょう?

 

本来、人は何を思いどう行動するかは自由なんです。ただ、社会を形成していく時にそれでは迷惑がかかるケースがあるから、その場合は規制しようと法律が後からできたわけです。それは人間社会を円滑に進める上で人間が作ったルールです。所詮はその程度のもんだという謙虚さが必要で、間違っても、それを人を切る道具にしてはいけないんです。

 

例えば犯罪を犯して懲役何年って決めるのは罪の重さではなく、社会に適応するためのトレーニングに必要な期間とした方が良いと思います。刑務所も労働をするんじゃなくて、人間社会の学びと心の育成とその研究に重点を置いた機関にして、本当に大丈夫な人は社会に戻す。それを見極める事ができる人と仕組みが必要ですね。そうすれば冤罪も早い段階で発見できるし、再犯率も下がると思います。

 

死刑は言語道断。人の可能性を絶つ、最悪の選択です。人殺しに変わりありません。

 

それでも人を罰したいと考える人は、カウンセリングが必要です。人を罰したって心が軽くなるわけではないからです。

 

*結論→すべては自分の選択である

結局何が言いたいかっていうと、たとえどんな危険思想であっても、ひどい犯罪を犯したとしても、人に迷惑がかからないようにしかるべき対処をして必要最小限で抑え、それで問題がなければそれで良いというわけです。

 

そこに過剰な反応は要らなくて、むしろその余計な分は自分の心の問題である事に気付く必要があるんです。

 

今回の炎上に便乗して叩いている人は、何もかもごちゃ混ぜにして、「悪イ事シタヤツ叩イテヤル」と機械的に選択するのではなく、自分は数ある選択肢の中から、「人を叩くという選択をした」ときちんと自覚してください。

 

そして、何故、「黙って去る」「応援する」「静観する」など他にも無数にある選択肢の中から、わざわざ人を傷つけるような選択をしたのか、内省してください。

 

自分が今、どういう選択肢を選んでいるのか、しっかりと自覚した上で選択して作り上げていくのが本当の人生です。

 

*最後に

こうやって一生懸命書いたとしても、批判的な記事の中に埋もれてしまう事でしょう。批判的な記事の方が魅力的ですからね。しかし、誰か一人にでも届くことを祈って発信します。

 

また、人に偉そうにいった事は、同時に自分に言うべき言葉でもあります。私もこのブログに書いた言葉を自分に言い聞かせ、深く内省しようと思います。

 

そして、数年後この記事を自分で見た時、「ぎゃああー!恥ずかしい!埋めたい!」と思うんじゃなくて、「この時の私、元気にバブバブ(・@・)言っとるなあ!」と微笑ましく思える自分でありたいです。

 

 

*【追記2021.11.23】

昨日のDaiGoさんのライブ配信みて、なんか安心しましたv

「最後は人なんだなと思いました」と言えるのはすごいなぁと思いました。

 

私だったら完全に人間不信になって、一切を拒絶してしまいそう。でもそれって正当な判断ではない訳で。

 

そこをきちんと区別して、大事な人を愛そうとするDaiGoさんの姿勢、見習いたいです。