人の心の根底は、全てを知ると謂う。

しかし、其の全てにアクセス(access)して逝く為には

学び、知り見聞を拡げると謂う事・体感知、経験知へと昇華して逝く事が、前提条件と為るのだろう。

人の心の根底には、

潜在意識・集合的無意識・人類の心の集積堆と謂うものが伏流水の様に流れて逝く。

井戸を掘り起こし
涼やかな水を釣瓶(つるべ)にて汲みとる取ると謂う事が

言の葉、言葉と謂う瓶(かめ)でも在るのかも知れない。

または、型・各流派が研き上げ、修練・収斂して来た道、書道・武道・華道・茶道と謂う身体的処作でも在るのだろう。

人類が、堆積し続けて来た叡知を汲み出す為には、

器・聖杯(SANGREL)が要る。

其れが、呼吸法で在り、道で在り、言葉で在り、身体的処作を修練し

集合的無意識へと自在にアクセス(access)できる様に為る事でも在る。

人生とは、インプットとアウトプットの連続と連関、其の修練と収斂でも在るのかも知れない。

其れは、食べる事、学ぶ事の双方に共通をする普遍的処作でも在る。

栄養と謂う情報を噛み砕き、心と體とを造り

五感・六感を通じて流れ出入りを繰り返して居る情報を噛み砕き、心と體へと日々、馴染ませて逝き、

無意識的処作に迄、昇華して逝く事が、

人生に於ける楽しみの一つでも在るのかも知れない。

思考が変化し、柔軟性を持てる事。

行動や日常的処作が、変化し柔軟性を持てる事が、学ぶと謂う事の醍醐味でも在るのかも知れない。