2026.1.31晴れ
父は空へと旅立ちました!
いつかはこんな日が来ると覚悟してたけど、まだ現実味がない。
やっぱり最後は静かな呼吸になって、
母と私たち娘2人が会話している中、力尽きました。妹がきてから30分も経たずに。
父は30日の朝には血圧測れなくなった。30日は私と母で病院泊まった。
父の弟妹は遠くにいて来れないから電話で話しかけていた。
がんばれにいちゃん。にいちゃんもう少しがんばれ
なんて言っていたけど、
私はもう充分頑張ったよねって気持ちでいっぱいだった。
それから苦しそうな父に
ノンアルコールビールが冷蔵庫に入っていたことを思い出して、
とりあえず、3年間お疲れ様ってことで乾杯しようと、
母と3人でノンアルを飲みました。
父にも口腔ケアスポンジで口にチョンチョンしてあげました。
口開けて←苦しいだけかも
のみたそうにみえた!あれは絶対呑みたいって
感じだった。
その後お母さんが号泣しながら話しかけていた。もう苦しそうで目も白目むいたりしてたんだけど、その時は
父はじーーーっと母の顔を見ていた。白目もむかずに。
その後だんだん呼吸は落ち着いた。先生からは苦しそうでご家族辛ければ、呼びかけには反応しなくなるけど、もう少し深く眠れる薬を使える様に準備しとくのでいつでも言ってください
と言われていたので、次苦しそうだったら使おうかっていってたけど、それもしなくてどんどん弱っていった。
その前の日29日の夜には夜中2回も吐いた。29日は痛み止めの点滴PCAポンプ用意しときますって夜から何度か打っていて
30日電話をもらい会いに行くととっても苦しそうで、痛み止めも1時間に一回とかで、身の置き所がない感じ。顔は父の顔ではなかったな。
とっても怖い病気だ。
75歳の少年じいさんはまだまだ夢の途中でやりたいことが沢山あって。
生前整理はやってたつもりなのかもだけど、まだまだ終わってなくて。宿題残されたまま。
家に帰ると、ご近所さん達はみんな畑の剪定中。(天気が良いので)
父の訃報はあっという間に広がり、帰ってきてまだ布団もひいてないし、何も整ってなく、メイクもしてないし、頬は痩せこけて口は少し空いているし。
そんな中次々と、ご近所さんたち、近所の同級生(酒呑仲間)が沢山会いにきてくれていた。
良い歳のじいさん達がおいおい泣いていた。
先に死んだからかもしれないけどみんなから愛されていたんだなぁと感じた。
生前
父はずっと
糖尿病が悪化した。
と言って、友人1人と親族以外は病名は明かしてなかった。
その友人ひとりもとてもしつこく聞かれてやむ得なく病名明かした感じ。
私はずっと言えば良いのにって思ってたんだけど、今日父が誰にも明かさなかったことがやっと腑に落ちた。
近所の人や同級生たちはみんな昔からの知り合いで、父はいつもふざけている様なタイプだから
膵臓がんってその病名だけでものすごいインパクトがあるから
変に気を使われたり、今までの空気感が無くなるのが嫌だったんだなーって思いました。
生前母が父にもし死んだ時、みんなに聞かれたらどうする?なんて言ってて、
そんなの死んだら言えばいいじゃん。
別に俺は死んでるからどっちだって言いと言っていたので、
ほんとは3年前から膵臓がんでした。
と言ったら
同級生達が
父に向かって
よく、3年も騙し続けてー、やるなー!
なんて。
言ってた。
ホントに泡ただしく、
帰ってきた瞬間からゴングがなった感じで、来客、打ち合わせ、家の片付け。。。
気がつけば夜の9時。
家に着いたら11時半。
私たち家族も三年一ヶ月の戦いが終わりました。長かったけど、あっという間だった。
家族が膵臓がんになって
本当に色々大変だった。
前を向いて進めど進めど行き止まりも多くてメンタルも回復しないまま次々色々問題起きて。
けど、前の自分よりは強くなれました。
40過ぎて遅すぎるけど自分の足で進む力がついた気がします。
今戦っている同志の方々。毎日泣いてばかりだと思いますが、必ずあなたの血となり肉となっております。
やはり後悔も沢山あるけど、
今の時間を大事にそして突っ走って休憩も沢山して体を休めて、寝て!
そしてまた明日も楽しく過ごしましょう。
写真と動画を沢山とって沢山同じ時間を過ごして。
って言われたけど、ホントにそうだなって思います。