台北街歩きツアー

台北街歩きツアー

1万人の人が100回訪れたくなる台北を、私たちがお見せします。

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まるで夏のような暑さである晴れた午後。この日は土曜日ですが、大稲埕の町にはそこまで人が多くありません。時間の流れがゆったりしていて、下町の独特な雰囲気が漂っています。
 今日の散歩ツアーはやや特別です。何故特別というのは、参加してくださる「中華無障礙科技」の方々には目の不自由の方が何名かいます。視覚に頼ることができない場合、大稲埕の歴史と風情をどうやって楽しんでもらえるのでしょうか。そこがまた楽しみの一つです。
 





 スタートは日本風情が溢れた「菊元日本料理」です。台北では最も古い日本料理の店と言える「菊元」は地元の方に愛され、商店街の店とも信頼関係が強く、食事代金は後払いでも大丈夫だったらしいです。それに、ガイドさんが大稲埕の人は昔他の地区で追い出され、ようやく大稲埕で落ち着いた歴史をユーモアに溢れた内容で説明してくださり、皆様の笑い声が絶えないでした。






 
 同じ道にある老舗「波麗路(BOLERO)」は台湾の一番古い洋食屋です。当時ではとてもおしゃれなところで、作家と芸術家がよくご来店するほか、ビジネス商談、お見合いスポットとしてもよく使われました。この名前の由来はフランス作曲家である「モーリス・ラヴェル」の代表曲「ボレロ」です。ガイドさんもその場で「ボレロ」を聞かせてくれました。皆様はこの美しい旋律で少しでも当時の雰囲気を想像できたのでしょうか。
 




 その後、労働部を通って、「奇士蛋糕」というケーキ•パン屋さんで昔ながらのお菓子の甘い香りを体験し、そして、様々な薬草により作られた「青草茶」を飲み暑気払いをしました。
 





 一休みの後、布の卸市場である「永樂市場」へ突入。材質も色も様々な布が置いてある店舗が密集していて、まるで迷路のような空間です。ソファ、カーテン、服などに使われる多様な布を目で見るだけでなく、手で触りその感触を体で感じ覚えます。
 





 「永樂市場」の横にあるのは、迪化街に来ると絶対逃してはいけない「霞海城隍廟」です。本来「城隍廟」で供えられているのは「城隍爺」という死者の世界の神様ですが、一番有名なのは縁結びの月下老人になってしまいました。去年一年で、ここにお参りに来て念願の結婚を果たしたカップルはなんと5000です!(“喜餅”という結婚する際に新婦の親戚と友人に渡すお菓子を城隍廟にお礼参りで供えるので、その数で分りました。)これは女性にとって非常に魅力的なスポットになるでしょうね。



 
 迪化街を南向きで歩くと、各種の漢方、食材、干し物、ドライフルーツなどがずらりと並んでいます。色んなものの香りが混ざっっているその独特な匂いはここの特徴です。各店の前においてあるドライフルーツは試食もできますのでぜひたくさん食べてみてください。
 




 昔の住宅は今と違い、細長い形になっています。一番前が店舗として使われ、生活する場所はその後にあります。それに、一番後ろより抜けられる構造になっています。昔は建物の後ろが淡水河と直接に繋がっていて、貨物の搬入出を便利にするという仕組みでした。古い家より一新されたURS127はその細長い形を保ち、いくつかに分けられた空間をそれぞれ違う用途として現在使用されています。
 




 迪化街は政府より歴史街区として認証されたので、持ち主が建物を建て直そうとしても、本来のままにしなければいけない規制があります。そのお陰で、風貌がどんどん変わっていく台湾の下町の中では、唯一昔ながらの景色が保存できたエリアです。歴史保存と地元の人の需要のバランスをどうやって取るのは常に私達の課題です。ウィンウィンの道を探すのは難しいけれども、もう今やらないと間に合わないところに来ています。





 
 「帰綏公園」の中にある李臨秋という作曲家の彫刻を見て彼の音楽を聞き、公園の裏側にあるとろりとしたイカスープの店で買い物をし、「仁安医院」へ向かいました。途中で慈聖宮と媽祖廟を通る時、食べ物のいい匂いがしてきて、その香りに惹かれました。
 




 「仁安医院」の外観も一階もほぼ昔のままに維持されています。ボランティアの方が常駐し、いつでも親切に説明してくれるそうです。そこから出て、町の沿革の話しを聞きながら、「大稲埕公学校」より分けられた「永楽国小」と「太平国小」を通って、鉄橋だった台北橋の端に着きました。今はコンクリートになっている橋を見て、歴史は実は身の近くにあることを気づきました。どうして今までずっと気づかなかったんだろう。私達が住んでいる、私達の祖先が住んでいたこの町は、どれだけの物語がまだ眠っているままでしょうか。新しいものを追求するこの時代は、大事なものを忘れているではないでしょうか。改めて考えさせてくれました。
 
それに、普段のツアーはだいたい視覚体験をメインにしていて、目に映ったものしか説明しないことが多いのですが、今日はそれ以外の味覚、嗅覚、聴覚、触覚、五感を働かせ、いつもと一味違う大稲埕を体験することができました。彼らの頭の中で、大稲埕の景色がどのように描かれているのでしょうか。それは想像できないのですが、皆様の満足した笑顔で、それはきっとそれなりに素敵な場所だということが伝わってきました。


《台北城市散步 TaipeiWalkingTour》
http://www.taipei-walkingtour.tw/#!j-home/cl02
今日はいい天気に恵まれ、台北散歩日和です。早速ですが、博学な何良正先生に萬華について紹介して頂きましょう。今からおよそ300年前、漢人がまだ来ていない頃、萬華には原住民が住んでいました。萬華は昔「バンカ」(艋舺)と呼ばれ、その地名の由来は、原住民が商売のために乗るカヌー(Mankah)の発音から来たという。


1.龍山寺:
台湾には龍山寺が五軒あり、台北の他に、鹿港、台南、鳳山などの所にもあります。萬華龍山寺は1740年に建てられ、今は二級史跡でありながら、大龍峒保安宮、台北行天宮と並んで台北三大廟と称されています。ここの風水は「美人穴」であった上に、台湾の民間信仰ではよく観音菩薩は女性だと思われ、龍山寺の前で池を作ったのは「美人照鏡」という風水の配慮だそうです。
台湾でお寺を参拝するときのマナーとして、右の竜門から入り、虎門を出るのが一般的なしきたりです。門の数は基本的に奇数であり、真ん中の門は皇帝、または神様が通る門なので、お祭りや特別な日でなければ開きません。お寺の中で龍の柱があるのは珍しくないが、萬華龍山寺の龍の柱は数少なく青銅で作ったものです。



続いて、何先生は研修生の皆さんに「擲筊」のやり方を紹介します。台湾ではおみくじを引く前に、二つの月の形をしている紅い木を投げることで、神様に許可をもらいます。この2つの木は陰と陽を表し、もし二つとも陰だったら神様が笑っている、二つとも陽だったら神様が怒っているという意味です。つまり、結果は「陰と陽」でなければ「だめ」です。




龍山寺の本殿には佛教の仏様がいます。真ん中が観音菩薩で、右側が文殊菩薩、左側が普賢菩薩です。後殿には様々な道教の神様がいます。龍山寺は「お寺」ということで佛教のお寺のはずだが、なぜ道教の神様もいるのでしょうか。何先生は、台湾の民間信仰で、佛教、道教、儒教が融合するのはよくあることだよ、と言いました。(補足知識:医者の神様・華佗もいますが、台湾で医者の神様は華陀ではなく、福建の移民が伝わってきた保生大帝です)




あら、後殿に外国人の彫刻が2つありますね。実はこの「憨蕃」と呼ばれる彫刻は昔のお寺によく見るモチーフです。昔の人達は中国人以外の人達を全部「蕃」として扱い、「蕃」が大嫌いだから屋根や柱を「憨蕃」に背負わせたり、楽器で演奏させたりしました。

2.青草巷:
龍山寺を見学してから、私たちは青草巷にやってきます。昔医者さんがあまりいない時代に、病気になったらすぐ病院へ行けませんでした。そういう時に、昔の人々は漢方や色々な種類な青草で病気を治すので、こちら辺に青草店がたくさんあります。また、このあたりは黃啟瑞、周百鍊といった(元)台北市長が住んでいたため、「市長の町」とも呼ばれます。



3.艋舺地藏庵:
龍山寺の右に地蔵庵があります。台湾の地蔵王菩薩は日本の地蔵さまの役割と違って、陰の世界を管理する仏様です。なぜこんなところに地蔵菩薩のお寺があるかは隣にある大衆爺廟と密接な関係があります。清朝の頃、中国から台湾に来られるのは単身の男性のみでした。無職で家族を持ってない「羅漢腳」たちは死後、祀ってくれる人がいないため、住民たちは彼らの霊が悪いことをしないよう大眾爺廟と地蔵庵を建てて祀るという。

4.剝皮寮・臺北市郷土教育中心:
老松小学校はもっとも古い学校の一つです。「剝皮寮」という地名の由来は、清朝の頃福建の商船が杉の木を萬華に運んできたあとに、こちら辺で木の皮を剥く作業することで「剝皮寮」と呼ばれました。萬華のヤクザ物語を描写した映画「艋舺」のロケ地として有名です。今は歴史街道区として保存され、赤レンガ造りのバロック式な建物が見られます。




入り口の近くにある臺北市郷土教育中心では、台北の歴史についてたくさん勉強できます。昔の教育制度をはじめ、科挙に受かった人たち、昔風の生活様態、老舗のエピソード、古い家の間取りや壁の飾りの種類、貿易の商品、近代医療をもたらした伝教師たちの物語、医術をさらに発展させた台湾の医者さんたちの伝記など、台北の歴史や文化を満喫できる場所です。歯医者出身で、医療の歴史に詳しい何先生は特別に私たちにマッケイ先生や萬華地元の名医呂阿昌先生の話を紹介して頂きました。天気がとても暑かったですが、研修生の皆さんはメモを取りながら真剣に聞いていました。短い2時間ですが、大変いい勉強になりまして、何先生ありがとうございました!!
大稲程ってどういうところですか?

まず大稲程という名前の由来から説明させていただきます。
「大」はもちろん大きいという意味で「稲程」というのが麦や米を干す空き地です。今は台北市大同区附近というところです。しかし、昔にはここは清朝と日本に統治され、様々特有な文化と歴史ある建物ガ生み出しました。(下は福山雅治が大稲程の街(迪化街という街)でCMを撮影した写真)




迪化街は清朝からお茶の売り卸場所として活躍しています。今の迪化街は漢方薬や乾物の店が沢山あるので旧正月にここは「年貨大街」と呼べれています。



大稲程慈聖宮、海の神様を祭っているお寺

お寺の前の横通りには屋台があります。そして、屋台で注文した料理を持ってお寺の前の広場で食べることができます。お寺に入ると大勢な人たちがいて神様に願い事を願っていました。慈聖宮には主に祭っている神様林默娘(媽祖とよく呼ばれています)という台湾人にとって皆知っている神様です。他に文昌帝君(学問の神様)、月下老人(縁結びの神様)、虎爺(昔悪いことをぱっかりしたけど今はもうしない神様。供え者は卵で野菜と果物はダメ。肉食ですので。)などの神様も祭っています。神様に供え物はほとんどは果物ですがトマトやグアバなどの果物は供え者にしないです。それはトマトとグアバの種が多いので食べるといっぱい排泄しますので神様に不敬であることです。また釋迦(しゃか)を供え物にしないです。なぜかと言うと、釋迦は釋迦牟尼という神様の頭と似ていますからです。






日本統治時代に数少ない台湾人が開いた診察所、仁安病院

日本統治時代の文化財の一つです。柯医者さんの息子12人は皆全部医者さんで地方に名誉がある医者さんでした。昔の診察所は今政府にあげて一般の人に開放されていて中に解説のボランティアもいます。医者さんの机に様々の診察道具があって、まるで当時に戻ってみたい感じがします。




面白い物語:100秒以内にYESあるいはNOを答えてください!

もし大勢のバイクが信号を待っている台北橋(橋は端のところという意味)の下に、プロポーズをされたら、あなたの答えは何でしょうか?実はこれはこの間にニュースになっていたことです。一人の男は百バイクの乗客の前に自分の奥さんにもう一度ドっキュンをされられました。


今度歯医者として務めてきた釋照勝先生は医者のタマゴ、九州大学と陽明大学の生徒達をガイドします。これからようやく堂々北門駅出口3から出発しますよ。迪化街ではどのような歴史的なものが彼達を待っているのでしょうか。



1.ワトソンズ大薬房
清朝時代、外国達は相次いで自由貿易のために開港を求めて、台北淡水港湾を開きました。それで、1886年に香港からやってきたワトソンズが初めての支店を建てました。
あれ、中には全部漢方薬じゃないかと驚いた生徒。ワトソンズなのに、店で売っている商品の中では殆ど西洋的な薬がないらしいです。実に面白いところですね。




2.乾元行
迪化街で長い歴史を持っている古い店の一つ。百年老舗として自慢している上に、その建物は以前のままで保存してきたそうです。



天井に見ると、オタネニンジンは丸のような窓を囲んで互いに釣り合いがとれています。薬屋のイメージが明らかにしたシングルですね。



そして、丸のような窓はバロック主義建築の特徴で牛の目という伝統的な欧米式窓です。
日本に植民してきた時、台湾では様々なバロック主義と新古典主義建築が建てられました。バランスを重視し、華やかなところも逃さない建物は今も台北市で見られますよ。





迪化街でどこでも乾いた食品や漢方薬。いくら数えても数えきれない気がします。少なくとも数十軒の漢方薬店がありますね。あのとき日本政府はさらに現代医療を導入したが、漢人が台湾に連れてきた文化は五十年が経っても負けませんよ。

3.順天外科医院
順天って何?順風婦人科なら聞いたことがあるよと思った人がいるんでしょう。韓国ドラマではないんですよ。実はこの3階の小さな医院は台湾原住民‐卑南族の謝唐山先生が開院しました。当時は原住民として医者さんになったのは謝先生だけです。ガイドさんの話によると、子供頃親に連れて診てもらったこと何回もありました。腕がいいという評判されたそうです。
建物をよく見たら、ローマ建築みたい柱が目立っていますよね。それも新古典主義建築の特徴です。




以上の建物をめぐって、迪化街は干物だけではなく台湾医療についての歴史も含めていると知りましたね。
あの有名な士林夜市の行き帰りにいつも通りすがる界隈地。
台北っ子でさえ詳しくないこの地は、実は台北市二番目古いまち

消えた旧街道、閉鎖された遊園地。
珍しいのはここも儒、仏、道が共存する旧天地。

東京の湯島聖堂、台北の孔子廟
どこに祀られていても変わらない「有教無類」を発信する孔子の精神。

江戸スタイル、護国禪寺
意外と足を運ばないMRT駅のお隣、入るとまるで別天地。

ユネスコもお墨付きの保安宮
豪華絢爛な建築美を観賞しながら、健康長寿をお祈り。

宗教と共に生きるこの古い下町。
ようこそ、幽玄閑寂な大龍峒へぶらり。

開催情報

【開催時間】9/28(日)10:00~12:00

【集合場所】台北MRT淡水線 円山駅2番出口

【参加料金】$300(保険料含み)

【人数制限】 20名

【ガイド】史筱薇

ツアーの詳細はこちら!
http://www.taipei-walkingtour.tw/#!j-tour3/c202s

【お問い合わせ】下記のEメールアドレスまで気軽にお問い合わせください。
taipei.walkingtour43@gmail.com