昨年の年初めの私の再出発を喜んでくれた新江さんが、数ヶ月して病魔に襲われ、闘病むなしく昨日23日永眠された。享年62歳。
彼と音楽の仕事で共に苦労や喜びを分かち合った24年、本当にかけがえのない年月だった。
新江さん本当にありがとうございました!安らかにお休み下さい!
“おおのちゃん!”と唯一呼んでくれた兄貴の様な新江さん!!
私の覚えている彼との最初の出会いは、互いに20歳台で私が広島合唱団、彼が教職員うたおう会でギターを弾きながら歌っていた頃だと思う。うたごえフェスティバルなどでその姿をよく見ていた。
それからは、さほどの接点もなかった。
彼が交通事故がもとで角膜を患い治療中の頃の私は、家族もかえりみない仕事人間の絶頂にあり、心はボロボロで、“歌をうたいたい!”と渇望しながらさ迷っていた。
その互いの似た状況に接点があったのかもしれない。
さ迷ったあげく音楽の道に歩み始める時、彼は迷わず“ヤレ!”と言ってくれた。
もみじ作業所の第2回ともだちコンサートに新江さんの力がどうしても必要と思い声をかけさせてもらった。
それがきっかけで、生きていくパワーをもらったとよく言っていた。
それを前後して『音楽センターひろしま』が設立され彼は頼りになる事務局スタッフとなり、以来彼をうたごえ人生にどっぷりと漬けてしまうことになった。
それから5年後のこと、音楽センター専任スタッフのNさんが突然“風”になってしまい、私も時を同じくして病にかかり、以後6年間病院と薬の世話になるのだが、その時新江さんは家族に“自分にとって弟の様なおおのちゃんの命が今危ない!どうしても助けたい!”と言って私にかかりきりになってくれた。
程なくして、新江さんもNさんの志しを継いで専任スタッフになってくれた。
以降、コンサートの企画・制作、うたづくりで様々な現場の核となっていった。
彼の手がけた“憲法ミュージカル”は今も続いている。
来年6月開催予定のもみじ作業所30周年記念ともだちコンサートも、一緒に取り組もうとしていた矢先だった。
新江義雄という人に替わる人は、当然のことながら居ない!
まれにみる感性の持ち主、すがすがしい生き方を貫いた人、吟遊詩人の新江義雄さん!
彼の早すぎる死が残念でならない。
しかし、彼の奥さんが昨日病院を出るなり真っ先に言われた言葉“前を向こう!”に勇気をいただいた。
だがしかし、今は思いっきり泣きたい!
新江さんのことを、いっぱい思い出したい!
“風”になった新江さんの口笛が聞こえそうな気がする!