7月22日 月曜日
母の施設の苑長から連絡が入り、今後の母の最期の過ごし方など、掛り付け医の先生から説明があるから病院へ来て欲しいとの事だった。

10日程前から食欲もなく、水分も摂らなくなって来たこと。

月曜日からいよいよ歩けなくなったこと。

五日程前からは先生の指示の下、点滴をしている事。

夜になると熱が上がる事。

どこか頭の中で、その時が近いんだと、自分に覚悟をするんだよと言い聞かせていた。

それから毎日子供達を連れて母に会いにいき、みんなで母を囲んで写真を撮っている。

母は言葉にするもかすれた声で「…ま ご…」と、自分の周りの人に聞かせる様に話した。

今日は昨日よりも目が虚ろに見えた。
それでも、三人いるはずの孫が二人しかいないのか?とでも私に聞くように、人差し指と中指を出して「二人?」と示して見せた。

そこにいないK輔は、実家の兄の所に夕べ泊まりに行った。

一人足りないのがわかるようだった。

認知症だけど、ちゃんと理解できてる感じ。

昨日は兄二人を連れて会いにいったが、兄達の事がわかるか聞いてみると、わからないと首を振った。

確かに、母自身の子供は私ひとりだから、兄達の事は記憶から消えてしまったのかもしれない。

私の姉兄達は父の先妻の子供。
姉兄達の母は若くして病気で亡くなっていた。
そして父が再婚し、歳がいってから母との間に私が生まれた。

当然私が一番近くで、年老いていく両親の面倒を見ることになっていった。

私だけが母の子供だ。


たまに面会にいけば、それまで無表情だった母の顔は、私を見るなり柔らかくなっていった。
ほんの少し 口元が上がる。
「あら~、やっぱり娘さんが来るとT子さん、笑うよね」とスタッフさんも喜んでくれた。

母のその和らいだ顔を見ると、母の事が大好きだった昔の素直な自分に戻ったみたいに嬉しかった。

施設に入所させて一年半。
ずっと、これで良かったのか自問自答だった。
数ヵ月間は母に会いに行く度に、帰りは車のなかで涙が溢れていた。

泣かないで帰れるようになったのは半年以上経ってから。

これが私にとっても、体が不自由で認知症になった母にとっても、一番いい方法だったんだと言い聞かせていた。

いつか近い将来、その時が来るんだって事がいつも頭にあったはずなのに。

あと数日

十数日か


悲しい 寂しい 気持ちは、ずーっと心の奥に蓋をして。

泣きたい時が、その時が来たら「お母さん  ありがとう」と伝えて 泣こう。

また明日も、普通に子供達の母でいるために。



その時、これで本当に良かったんだと思えるように。

お母さん やっぱり大好きだよって思えるように。
11月に行ってから暫く行ってなかったので、やっと行って来た。


丁度 車椅子でホールに連れて来てもらうところだった。

『私、わかる?』と聞くと母は自分の妹の名前を言った。

娘を忘れてしまったのか…

少し切なくなった。

過干渉でいつも私を追う目が鬱陶しくて嫌だった。

休みの日は私が出掛けるのを嫌がった母。

でも身体が不自由だったので、一人娘の私だけが頼りだったからしょうがなかったのかもしれない。

自分の思い通りにならないと、すぐにむくれて怒り出す。

そんな気分屋の母の機嫌ばかり伺っていた。

でも、やっぱりそんな母でも好きだったのかもしれない。

喜んで欲しかったし、笑ってくれるのが嬉しかった。

両親とも高齢で、小学校の時は参観日に来た父を『おじいちゃん』だとみんなに思われた。

私が小学校に入学した年に父が定年になってしまい収入も少なくなり、好きな物を買って貰うこともなかった。

それでも何とか育ててもらって感謝している。

父を少しばかり家で介護し、悔いが残りながらも何とか見送り、今は母をグループホームでみてもらっている。
二月で一年が経つ。

あっという間、とても早い一年だった。

母と離れて暮らしてもう一年経とうとしてるなんて…

だからかな、娘の顔はあまり覚えていないのかもしれない。

もう、家に帰りたいとも言わなくなったのかも。

帰りたいと言われると もっと切なくなって泣いて帰って来る事もしょっちゅうだった。

今、母は色んな人の力を借りて生活させてもらっている。
有難い。

私の顔を忘れてしまっても、また近いうちに会いに行こう。

もしかしたら思い出してくれるかもしれないから。