昨日も春の日差しが降り注ぐ穏やかな一日となり、大阪府下に唯一の村となった千早赤坂村の水分を訪ねて来ました。

楠木正成が生まれた楠家の旧跡が、ここ千早赤阪村水分山ノ井にあり、明治の元勲大久保利通の奨めで楠公誕生地の顕彰碑が建てられています。直ぐ近くには楠公産湯の井戸と伝えられる跡もあり、今もわずかに清水が湧き出していました。郷土資料館も近くに併置され、楠正成に関わるものや郷土の生活史を伝える用具なども展示されていました。
展示品を見ていると、子供の頃に親に連れられてこの里の凍豆腐を大豆と引換に求めに行った記憶がぼんやりと蘇りました。かっては村の重要な産業であった凍豆腐も、時代の流れと共に衰退し、今では歴史民俗資料として製造用具が展示されています。
楠公誕生地を少し行くと、奉建塔という巨大な石造物が小高い丘の上に聳えているのが見えて来ます。丘の周囲には一面に水仙の花が咲くことで知られていますが、花の盛りはすでに過ぎ、黄色い菜の花が咲き始めていました。
奉建塔が立つ小丘は、かっての上赤阪城の出城があった浄心寺塞跡だということで、この地に楠公精神の発揚を図るため、楠公信奉者が全国の児童や若者、教師等に寄付を呼びかけ、大楠公600年の記念碑として昭和15年に建設されたと記されていました。
楠木正成というこの里が生み出した傑出の歴史像は、正成や一族、里人の思いとは別に、時代の流れの中で様々な評価を受け、時の為政者に戦意高揚に利用されて来たことも一面の事実で、この巨大な碑もその歴史遺産のように思えてなりませんでした。
この奉建塔の丘を下ると建水分神社の杜が見えて来ます。かってこの神社の秋の例祭で訪ねたことがあり、お旅所(北西の比叡前)で行われる勇壮なだんじり祭りに、近郷氏子によって担ぎだされる神輿渡御を拝見しました。
祭神は、この地に静まる水分けの神様で、水越川と千早川の水を制する河南台地の要衝に位置しています。この地を本拠とした楠氏の氏寺であもあり、在郷18ケ村の産土神、金剛山の総鎮守として祀られてきました。
正成一族はこの地において水運を差配し、水利を一手に治めていた南河内の豪族であったとも言われ、その楠氏にとってこの神社は特別な意味を持っていたとも思われます。境内には摂社として正成を祀る南木(楠)神社がありました。
この後、水越峠を越えて御所に抜けようかと思いましたが、車の通行量がやたらに多く、断念してバス停のある森屋に下り、早目に帰宅しましたが、あとで上赤阪城跡に立ち寄るのをすっかり忘れてしまっていました。

楠木正成が生まれた楠家の旧跡が、ここ千早赤阪村水分山ノ井にあり、明治の元勲大久保利通の奨めで楠公誕生地の顕彰碑が建てられています。直ぐ近くには楠公産湯の井戸と伝えられる跡もあり、今もわずかに清水が湧き出していました。郷土資料館も近くに併置され、楠正成に関わるものや郷土の生活史を伝える用具なども展示されていました。
展示品を見ていると、子供の頃に親に連れられてこの里の凍豆腐を大豆と引換に求めに行った記憶がぼんやりと蘇りました。かっては村の重要な産業であった凍豆腐も、時代の流れと共に衰退し、今では歴史民俗資料として製造用具が展示されています。
楠公誕生地を少し行くと、奉建塔という巨大な石造物が小高い丘の上に聳えているのが見えて来ます。丘の周囲には一面に水仙の花が咲くことで知られていますが、花の盛りはすでに過ぎ、黄色い菜の花が咲き始めていました。
奉建塔が立つ小丘は、かっての上赤阪城の出城があった浄心寺塞跡だということで、この地に楠公精神の発揚を図るため、楠公信奉者が全国の児童や若者、教師等に寄付を呼びかけ、大楠公600年の記念碑として昭和15年に建設されたと記されていました。
楠木正成というこの里が生み出した傑出の歴史像は、正成や一族、里人の思いとは別に、時代の流れの中で様々な評価を受け、時の為政者に戦意高揚に利用されて来たことも一面の事実で、この巨大な碑もその歴史遺産のように思えてなりませんでした。
この奉建塔の丘を下ると建水分神社の杜が見えて来ます。かってこの神社の秋の例祭で訪ねたことがあり、お旅所(北西の比叡前)で行われる勇壮なだんじり祭りに、近郷氏子によって担ぎだされる神輿渡御を拝見しました。
祭神は、この地に静まる水分けの神様で、水越川と千早川の水を制する河南台地の要衝に位置しています。この地を本拠とした楠氏の氏寺であもあり、在郷18ケ村の産土神、金剛山の総鎮守として祀られてきました。
正成一族はこの地において水運を差配し、水利を一手に治めていた南河内の豪族であったとも言われ、その楠氏にとってこの神社は特別な意味を持っていたとも思われます。境内には摂社として正成を祀る南木(楠)神社がありました。
この後、水越峠を越えて御所に抜けようかと思いましたが、車の通行量がやたらに多く、断念してバス停のある森屋に下り、早目に帰宅しましたが、あとで上赤阪城跡に立ち寄るのをすっかり忘れてしまっていました。











