泰麒の穏やかな毎日

泰麒の穏やかな毎日

日常のふとした感謝や嬉しかったこと、気づきがもたらす変化について書いていけたらと思います。

平穏な状態であれば、自然に必要な情報を受け取るもので、

自ら欲して情報を得るは、情報量を誇示するばかりで魂の成長に在らず。

得ようと欲するのではなく、努めて平和な者として歩むべきである。

Amebaでブログを始めよう!

ご無沙汰しております。

泰麒です。

久しぶりに書いてみると、

読みにくいし書きにくい名前ですね(笑)

ホント、久しぶりに投稿しています。

 

さっき見たら、アクセス数1でしたよ。

何年ぶりにブログ開いたんだっけ?な(笑)

 

ということで、近況報告になります。

妻は元気にしています。

髪も伸びて、楽しくベリーダンスをしています。

 

私は、敏感な体質(色々感じやすい)や

リウマチやアレルギーのような炎症反応を

なんとかやり過ごしながら

人生を楽しんでいます。

 

あれから、スピっぽいところから

カウンセリングやコンサルティングに

興味を持って

産業カウンセラーやキャリアコンサルタント

の資格を取得しました。

 

スピっぽい感性から、

現実的なアプローチの勉強をしていくにつれ

人の話を聞いたり、

人の感情に着目したり。

自分の恐れに気づいたり

自分の価値観に気づいたりするようになりました。

 

そうしていると、妻の本当の気持ちが

垣間見られるようになりました。

 

それは、エンパスやHSPといったこちらが

受け取る感覚ではなくて

彼女が自ら話してくれるようになったのです。

 

随分と私は、生活の中で彼女の話に

耳を傾けるようになり

勝手に判断したり決めつけたりが少なくなりました。

 

そんなある日、妻のガイドでもなく・・

ハイアーセルフでもなく・・

何世代も先の妻と思われる存在から

メッセージを受け取るようになりました。

 

私は、現実的な面でのコミュニケーションの在り方を

カウンセリングやコンサルティング

メンタルコーチやコーチングから学びつつ

全く別の方法で、存在から学ぶこととなりました。

私個人では体験しえない学びを

多く提供して頂きました。

 

こんな状況は、散々だ!と感じていた私に

光を差し出してくれました。

 

時を同じくして

同僚のガイドグループが支援を依頼してくれました。

そこも大きな転換期でした。

同僚のガイドグループは、非常に情報量が多く

同僚への支援が進むと

私の敏感な体質に必要な情報を差し出してくれました。

別に交換条件でもなんでもないのですが、

同僚へのメッセージが私の体験とリンクして

自然と学ぶというような按配なのです。

 

その頃の私は、あまりにエネルギーの境界線が

敏感で、色んなものを拾ってきては不調に

なったりしていました。

自分なりに対処をしていましたが

うまくいかない時も多くありました。

あまりにひどいので、敏感な体質の友人からは

皆、拒絶されました(笑)

 

妻への対応は、妻からの存在から

私の体質への対応は、同僚のガイドグループから

という体制で今も、進んでいます。

 

結局は、すごく浮世離れした(笑)状況で

学んでいるのですが・・

まあ、個人的な体験の話ですので

笑って良かったねといってもらたら

幸いです。

 

つい先ほど、未浄化なものがくっついていたので

浄化していてハタと感じました。

なんでまた、未浄化なものは

好き好んで私にくっつくのかな?(笑)

 

まあ、理由はあるんでしょうが・・

 

自分も死んで心残りで未浄化部分があるのは

嫌だなと思いまして

 

今、この世を去るとしたら、この人には

謝ったりお礼を言ったりしたいと思うだろうな

っていうことは

 

今のうちに、気持ちを伝えておいたほうが

良いのでは?と思い

 

先延ばしにしていたり、わだかまりで

億劫になったりしていることは

 

素直に謝ったり、

お礼を伝えたりすることにしました。

 

そんなわけで、

突然、メールしちゃった人には

ビックリさせてごめんなさいね!

 

えっっ!?

届いていないぞと怒っている人います?

その方には御免なさい。

配慮が足りませんでした。

 

私は、ピンピンしていて

楽しく快適に過ごしていますので

心配ご無用ですからね。

 

ってここに書いても

読んでもらえないかな(笑)

 

近況報告でした〜 🎶

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こんばんは、泰麒です。


ご無沙汰しております。

ブログを綴るの・・

久しぶりすぎる (笑)


妻の方は、

抗がん剤・摘出手術後

かなりの数のリンパ節転移が見つかり

更に別のタイプの癌細胞も見つかり


戸惑うような事態でしたが


それでも、再健手術をして

体力回復にむけて

前に進んでいます。


私の方は、

5年に渡る「聴覚過敏」という症状に対し

大量の薬物治療を試みた結果

解離性記憶障害になっていましたが

ほぼ全ての記憶が戻ってきました~

嬉しい~ !!


今は、

・機能性低血糖症に対する食事療法

・胃腸機能低下により1/2しか栄養吸収できない

身体の機能回復

・リウマチの根本治療

の3本建てで、やってます!


こういった、人生がブレーキをかけてくれる時期は、

非常に多くの気づきが生まれます。


見方を変えれば、

社会生活上で失速しているように感じる反面

自分自身に対する理解や受け容れは加速します。


順調な時は、多く経験や知識を吸収しますが

それが、視野として定着するには

人生がせき止めらているいるような環境で

それに抗わなくなったときです。


抗うというのは、失速感の中にあって

加速をもって打ち消そうとする

焦りとか不安とか混乱です。


そこを解放してしまうと

今の自分のキャパで、できることが見えてきます。


足元のできることを淡々とやってみる。


その中で、何か差し出せるものが見つかれば

どんどん他者に差し出してみる。


そうしていると、必要に対する選択が輝きを増して見えてきます。

必要と選択が一致してきます。


その先には、他者が他者でなくなるような感覚があります。


私の必要と他者の必要の抵抗がなくなり

何かをコントロールしなくても自然とお互いにとって

良好な関係が生まれていきます。


そこに豊かさがあると思うのです。


順調になると、いろいろ計画やビジョンに追われます。


計画やビジョンに追われているとかえって

豊かさを失うことがあるように思います。


もちろん、未来的な展望は素晴らしいモチベーションです。

そこで難しいのが、モチベーションを落とすような出来事は

豊かさを取り戻すチャンスなのに、抗ってしまうことです。


私なんて、いつも力技でなんとか切り抜けようとしてしまいます(笑)


たまの力技は良いのでしょうが、


計画やビジョンにこだわり過ぎない。

今、学んでいるところです。


ありがとうございました。

こんばんは、泰麒です。




嬉しいな


うれしいな




あした、妻が退院するよ





抗がん剤とオペで

体力落ちてるから



ちょっと大変だけど



放射線治療や

分子標的薬しながら


再建手術だね



生活は

感染症を防止しなきゃ



再発転移を防ぐため

食事療法をしようね




そんなこんなで

いままでと

ぜんぜんかわらず




やっぱり


向き合っていくんだけど





今回の大波のおかげで


二人の関係が


ぐっと縮まった



それが


何よりもの倖せ




それぞれが


自分と向き合って




むきあって


むきあって



ふと


見つめ合ったら




瞳の奥に


同じ宇宙が広がっていた




ずっとずっと昔


感じてたもの



社会や生活に追われ


蓋をしてしまっていたもの





そんな宇宙に


また巡りあったんだ




また逢えたね


おかえりなさい




いままで

どこにいっていたの?




どこにもいってないよ



まいごになって

逢えなかったよね




いつもそばにいたよ







そうだっけ?

そうだったんだっけ?




どっちでもいいよ


また逢えたんだから





こんにちは、泰麒です。


起こってくる事象に委ねていれば


必要なものが必要なときに


自然に手に入る。


そういう生き方であった場合、


引き寄せの法則は


どのような位置づけで


自分の中にあるのか?


上手く自分の中で


説明がつかずにおりました。


そんな疑問に


アジャシャンティが答えていました。


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AsaminさんのDown The Rabbit Holeで
翻訳されていたので転載させて頂きました。

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「ザ・シークレット」という映画で紹介されているような
引き寄せのテクニックについてどう思うか?
という質問に答えているアジャシャンティです。


<アジャ>
自分の望むものを創造する/引き寄せるのも
それはそれでOKなんですよ。


引き寄せることも
お金を稼いで買うことも

結局はどちらも同じことです。



一つは、ごく一般的な方法ですね。

頑張って働いてお金を貯めて
欲しいものを手に入れる。

まぁ
それで幸せになることは絶対にないんですけどね


もう一つは

創造すること/引き寄せることを練習して
欲しいものを引き寄せる


このテクニックが得意であれば
少し効率的ではありますが


この方法でもやはり
幸せになることは絶対にないのです。



どちらでも同じことなんですよ。


幻想を買っているか
幻想を引き寄せているか


それだけの違いです。



「これを買えばハッピーになれる」

と信じているものをお金で買うか



あるいは


「自分はスピリチュアルだから
お金で買わなくても、引き寄せられるもん
」 


などと言って


「これを引き寄せればハッピーになれる」

と信じているものを引き寄せるか。



どちらにしても全く同じ
幻想を追いかけているだけですから

決して
それによって幸せになることはないのです。



<質問者>
それでも
「引き寄せ」が何か役に立つことはあるのでしょうか?



<アジャ>
もちろんですよ!
たとえば運転中にタイミングよく
駐車場の空きを見つけるとかね



<アジャ>
まじめに言ってるんですよ

私は駐車スペースを見つけたいとき
引き寄せを使っていますよ。


「いい駐車スペースが見つかりました!
 ありがとうございます!」

なんて言って。

もちろん心から信じているというのが

ポイントだけど上手くいきますよね。


そんなふうに
引き寄せを使いたければ使えばいいんです。

便利ですからね



ただし
このようなテクニックは

「幸せ」や「豊かさ」や「目覚め」とは
全く関係ありません。



引き寄せは実用的ですし
日々の生活が少しスムースでシンプルになるという意味で
便利なこともあるでしょう。



でも覚えておいたほうがいいのは


真実がだんだん分かってくると
そのようなテクニックなど
どうでもよくなるということです。



引き寄せようが
お金を払って買おうが


全く同じことだと分かるので
どちらでもよくなるのです。



とは言っても


「引き寄せなんて無意味じゃんか

などと拒絶するのは


目覚めるために役に立たないからといって
お金を捨てるようなものですよ



引き寄せなどのテクニックが
真実に近づくのを妨げる堕落の道だというわけではありません。


本当の幸せや目覚めには結びつかないけれど
実用的で便利ならそれでOKと思って使うのであれば
それでいいじゃないですか。


分かりますか?



<質問者>
はい、まったくその通りだと思います。
引っかかっていたものがスッキリしました。


ところで

だんだん真実に近づくにつれて
私の生活はどんどん順調で快適になってきているのですが...



<アジャ>
それはつまり
あなたという個人ではなく
本当の自分が創造しているからですね。


そのほうが遥かに楽しいですよ!
本当に。

頑張って引き寄せる必要がないので
ずっと簡単です。



あなたが流れに身を委ねて
本当の自分と調和していると


真の力があなたの人生に流れ込んで来て


いろんな物事が自然と
タイミングよく起こったり
うまくいったりするのです。


そのほうが
自分で引き寄せようと頑張るより
ずっと面白いと思いますよ。


自分に代わって
宇宙が引き寄せてくれるのですから


まぁ駐車場くらいは自分で引き寄せますけどね



分かりますか?



<質問者>
はい。
おかげで真実への理解が深まりました。



<アジャ>
あなたはあなたで好きなように
自分のやり方を見つければいいんですよ。



この先生はこう言っている...
あのエライ人はこう言った....
ここでの教えはこうだ...


など気にしなくていいのだと分かってきます。


真実はそんなことに左右されません。

自分にとっての真実は
自分のやり方で見つけ出せばいいのです。



たくさんの人が
絶対的な体験を経て真実に目覚めるのですが


そこへ至るプロセスはそれぞれであり
ひとつではありません。



この人が教えていることの方が正しくて
あの人が教えていることはオカシイ


なんて言うのはエゴだけです。




目覚めとは

ワンネスであり
全てがひとつであると気付くことである

ということだけ認識しておいて


あとは
あなたの人生のシナリオに委ねて
あなた独自の道を自由に進めばいいのですよ。

こんばんは、泰麒です。

一年程前、友人が紹介してくれた動画です。

当時は、どういうつもりで

送ってくれたのか理解できませんでした。

きっと

「自分を探求してみては?」

真我とエゴの関係を伝えたかったのでしょう。

今ようやく気がつきました!

感謝!!

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ジル・ボルティー・テーラーは脳学者です。
彼女は、左脳に脳卒中をおこした経験を持ち、
その発症のさなか、自分の脳を客観的に観察し、
何がおこったかを実に詳細に語っています。

「左脳と右脳は違います。
右脳は今を生きる脳です。
イメージが中心で、
体験から学ぶ脳です。

情報はエネルギーとなって流れ込み、
こう見える、こう感じる、こう臭う・・・
そうして、周りとエネルギーでつながる。
スピリチュアルな脳です」

「左脳はそれに対して直線的です。
過去と未来を考えます。
膨大な情報から、詳細な情報を拾います。
言語脳もこちらです。
内面と外の世界をつなげます。
何を言えばいいか、
いつすればいいか・・知性をつかさどります。
それによって、自分という人間が、
周りのエネルギーから独立し、個性となるのです」


さて、私たちは一体何者なんでしょう?
私たちは、器用に動く手と、
2つの認識的な心を備えた、
宇宙の生命力です。
そして私たちは、この世界の中で、
どんな人間でいたいのか、
どのようにありたいのか、
すべての瞬間瞬間において、選ぶ力があります。
今 ここで この瞬間
私は、右脳の意識へと寄る事が出来ます。
そこでは、私は宇宙の生命力です。
私を作り上げる、50兆もの
美しい分子が一体となった
生命力の塊です。
あるいは、左脳の意識へと寄って
1人の堅実な個人としてあることを選べます。
大きな流れや、他の人とは、別個の存在です。
この2者が、私の中にある“私たち”なのです。
皆さんが選ぶのはどちらでしょう?
どちらを、いつ選びますか?
私たちがより多くの時間を、右脳にある、
深い内的平安の回路で生きることを選択すれば、
世界には、もっと平和が広がり、
私たちの地球も、
もっと平和な場所になると信じています。





IBC Coaching - Oprah Winfrey entrevista Jill Bolte Taylor

から、AsaminさんのDown The Rabbit Holeで
翻訳されていたので転載させて頂きました。

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<ジル>

「私はひとりの個人という存在だ。

 ここからここまでが私の身体で
 そこからそこまでがあなたの身体。

 私たちは分離している。」


そんなふうに感じているのは
左脳のちっぽけな細胞の寄せ集めだけなんです。


でも実際は私たちは分離などしていません。

左脳のちっぽけな細胞のかたまりが機能しなくなったなら
自分たちが分離しているなんて感覚はなくなるのですよ。




      ☆ 



<オプラ>

エックハルト・トールは
マインドを静かにするということ
つまり左脳を静かにすることについて話していましたが
あなたはそれができたということなんですね。


<ジル>

はい。
意図的にではありませんが、
左脳が完全に静かになる、という状態が起こったのです。



<オプラ>

エゴが消えたということですか。


<ジル>

そうですね。
「私」を認識する細胞が機能しなくなったのですから。

つまり、「私」というのは言語感覚なので
言語機能を失ったことで
「私」は消えてしまったのです。

ですから脳卒中が起こった日の午後
私は本質的に
おなかの中の赤ちゃんのようでした。
人生の記憶が何ひとつ無い状態です。



<オプラ>

それは
ワンネス、平安、すべての人との一体感など
それまで感じたことのなかった体験だったのですね。

      ☆


その感覚は真実なのでしょうか。
それとも左脳の機能が停止して右脳だけで知覚すると
そのように感じるのでしょうか。



<ジル>

そこが問題ですよね。

人間がうまく生きていくために
右脳と左脳どちらの能力も
バランスよく使えることが究極の目標です。

そしたら私たちは
誰もが大いなるすべての一部なのだという認識を持ちながらも
現実世界で生活することができるのです。

みんな同じ原子や分子を共有しているのですから
この惑星の兄弟姉妹なのです。

お互いがお互いの一部であれば
思いやり合うのも自然なことでしょう。



      ☆ 



<オプラ>

その体験から得た洞察のうち
いちばん大切なことは何ですか?


<ジル>

右脳の中心には
とてつもなく深い平安があるということです。



<オプラ>

つまりあなたは
ヨギや瞑想をする人々が求める「解脱」の境地に
至ったということですよね。


<ジル>

ええ、真の幸福です。


      ☆ 


<オプラ>

神を見たということですか?


<ジル>

私たちの本質が神だと言えるでしょう。

何をもって「神」と呼ぶかによりますが
自分と分離した何かの存在というわけではなく

私にとっては
流れるような しなやかな
穏やかな動き
大きなひとつのエネルギー、すべての知です。




<オプラ>

全知全能の存在とつながっていることを知った
ということですね。


<ジル>

そうです。分離していないということです。



      ☆ 

<オプラ>

解脱とは
単に思考が消え去った状態だと思いますか?


<ジル>

ええ、単に思考が消え去った状態です。
誰にとってもそうです。


<オプラ>

先日までの放送で10回にわたって
エックハルト・トールと
マインドを静めて内面の空間に入るということについて
話していたのですが

あなたが脳卒中で体験したのと同じことですよね。


<ジル>

そうですね。
私はそれを「右脳の意識」と言います。

単なる言葉使いの違いですよ。
みんな同じことを言っているわけですが
自分なりにしっくり来る言葉を使いたいだけです。



<オプラ>

私はこのようなことを長年研究していますが

エックハルト・トールは「意識」という言葉を使い
ある人は「魂」と言ったり

またある人は「気付き」と言い
「高次の自分」と言い、「神」と言い、
私は「全知全能の存在」と言ったりします。

言葉は何でも構わないわけですね。



あなたの左脳が機能停止したとき
左脳のマインドを失ったけれど
右脳のマインドはまた機能していて

その状態であなたは

自分が大いなるすべてとつながっていると
分かったということですね。


<ジル>

その通りです。
いつでもそうだったわけですが
左脳の過剰な働きが妨げになって
気付くことができなかっただけなのです。

<オプラ>

手術前、自宅に戻ってからも
自分が誰なのか分からなかったのですか。

「私」はジルという名前で、科学者で、
ここは自分の家で、これは私の家具で...など

そういう感覚は戻らず
エゴは消え去ったままだったのですね。



<ジル>

ええ、そうです。
「私」という感覚はずいぶん長い間
戻ってきませんでした。

手術前の2週間半
そして手術後の2週間半も
完全な静けさの中にいたのです。

自分が誰なのか、
どんな職業なのか、
何をしなければならないのか、

そんな脳のおしゃべりが全くない。

実にすばらしいものでしたよ。

  

ゆったりとして 平安で 完全で 壮大で...
自分の身体も 周りの景色も すべてが
うっとりするほど鮮やかにイキイキとしている。

そして身体はうまく動かないにしても
生きているという驚異...

とてつもない幸福感に包まれて
満面の笑みでソファに座っていました。
   

平安とは思考が消え去った状態です。

そしてそれは
私たちが選択できることなんですよ。



<オプラ>

エックハルト・トールは
精神的な傷のことを「ペインボディ」と呼んでいますが
あなたはペインボディを失ったのですよね。


<ジル>

そういうことです。

実は左脳の機能が回復してから数年後に
ペインボディが戻ってこようとしたのですが
私は拒否しました。
 
ペインボディが引き起こす身体の感覚が
好きではないからです。

不快な感情というのは
まさに身体的な痛みとして感じるのですよ。



<オプラ>

脳卒中から回復してから

ペインボディという重荷を背負うか背負わないか
選択するようになったのですね。

古いお荷物だけではなく
新たなお荷物もつくらないようにする。

どのようにして
そんな選択ができると分かったのですか?


<ジル>

不快な感情によって生じる身体感覚が好きではないので
そういう回路を選ばないようにしたのです。

すべては神経回路なんですよ。   

たとえば悲しいことを考えたら
のどが締め付けられるように感じたり
身体的に不快な感覚が起こるでしょう。

   

そういう感覚が好きじゃないので
そのような回路が働かないようにすることを
ただ選んでいるだけです。


いいですか

脳というのは単に
細胞のかたまりなんですよ。

脳細胞を小さな子供たちだと思ってください。

いろんなグループがいろんなゲームをしていますが
       
一緒に遊びたいようなゲームをしている子供たちもいれば
参加したくない種類のゲームをしている子供たちもいます。

参加したくないゲームにはNOと言えばいいだけです。
誰でもできることなんですよ。

         ☆



<オプラ>

じゃあ、あなたはもう決して
古いお荷物を背負うことはないのですか。

白紙の状態なんですね。


<ジル>

そう。白紙なんです。

でも
何の概念も記憶もないということではないんですよ。
今では新しい左脳が機能しているのですから。

左脳は物事を判断をしますが
生きていくためには必要なことです。


         ☆


<オプラ>

脳卒中を起こすことなく
あなたのように生きるにはどうすればいいのでしょうか。


<ジル>

エックハルト・トールのメッセージと同じです。
思考に気を付けることです。

思考はあなたではありません。

あなたの思考は
ピーナッツほど小さな細胞の集まりが創り出しています。

   

多くの人々は
そんなちっぽけなピーナッツに
人生を支配させているのですよ。

この世界で安全に生きるために
小さな細胞の集まりが「物語」を語るように設計されている。

それだけのことなんです。
そのことに気付いてください。



         ☆


<オプラ>

「自分」という感覚が何もない
解脱の境地を
今でも感じることはできるのですか?


<ジル>

もちろん、いつもです。

         ☆


<オプラ>

エックハルト・トールは
「いま」だけが重要なのだと言っていましたが

あなたの体験も
「いま」以外のときが無くなる
という状態だったのですね。


<ジル>

そのとおりです。

おもしろいことに
私の「いま」の体験は次のような感じでした。


たとえば
今こうしてあなたとの会話を体験していますが

私があなたに背中を向けたとたん
あなたはもう存在しないのです!!

記憶の中を通り過ぎるもしれませんが
実際のあなたは消え去ります。

    
この瞬間と次の瞬間とをつなぎあわせて
知覚に連続性をもたせて物語を創るのは
左脳の働きなので

その機能を失うと
一瞬前の過去さえ存在しないのですよ。

         ☆



<オプラ>

瞑想はしていますか?


<ジル>

いいえ。必要ありません。

思考というものは単に
脳の小さな細胞のおしゃべりだと分かっていて

そんなおしゃべりを聞くかわりに
いまの瞬間に耳を傾けていれば
そこに平安はあるのですから。


         ☆


’私という個人的な感覚、 自我(エゴ)’


あなたは それが自分だと感じているかもしれませんが
違うんですよ。

それはあなたではなく
左脳の細胞の集まりです。

そんなピーナッツほど小さな細胞の集まりを
取り除いてしまえば
もうエゴはいないんですよ。

そして エゴがいなくなっても
あなたは存在するのです。

         ☆



<オプラ>

そのピーナッツみたいな脳細胞は
記憶や思考を作っているんですか。
何のためにあるんですか?


<ジル>

物語を語る部分というのは
脳にとって
とても大切な機能なのです。

世界からあれこれと情報を拾い集めて
可能性を探ります。

その機能のおかげで私たちは
未来や現在を自由に行き来して
この世界で創造的に生きることができるのです。

でも同時にその機能が
厄介な感情の原因にもなるわけですね。



<オプラ>

その細胞を
手術で取り除いたらどうなりますか?



<ジル>

言語機能を失うでしょう。

困りますよね。
言葉は必要でしょう。

物語を創り上げること、つまりエゴは
私たちが言語機能を持つことの代償なのです。



         ☆



思考はあなたではありません。

それは脳を調べても絶対的な真実なんですよ。

私たちの多くは
左脳の細胞の集まりを「自分」と決めつけていますが

それは
子供の頃そのようにしか教わらなかったから。

それだけのことなのですよ。

こんばんは泰麒です。


妻は入院5日目です。

会社は、今日まで休暇を頂き


逢いたいだけ

逢ってきました。


紅茶や珈琲をポットに入れて

持っていったりして


ウキウキしてます。


なんか10代みたいな

ドキドキ加減で


二人で入院ライフを

満喫してます。




------------------


問題は「もんだい」ではなかった


っていう話ですが



『手放す』っていうのと

繋がるんだけど


‘手放す’っていうのを

突き抜けると


そうなっちゃうっていうか


‘手放す’ときって

拘って拘って


悩むのも取り組むのも

ネガティブもポジティブも

全部全部ひっくるめて


どうにもこうにも解決しなくて


「もう絶対無理!!」

ってスッカラカンのお手上げ状態

になった時、


フッと発想が大逆転したり

答えが向こうからやってきたりする


その感覚が

全体性(全ての事象)において

及んでくると


問題は「もんだい」ではなかった


と気づく時がくる。


それには、自分の作り上げた


物語(ストーリー)を‘手放す’って

いうことが


必要になってくる。


それは、


自分が作り上げた物語

他者から埋め込まれた物語

他者の物語


から解放されること


それには『未来』っていう概念から

開放されること


時間という物語


から解放されること


全ての物語から解放されたとき


ストンと問題と思っていたものの


意味付けが消失してしまう


問題は単なる体験になってしまい


その体験に委ねるようになる


そうすると恩寵のように


必要なものが必要なときに


手に入るようになる


そうなってしまうと


始めから問題などなかった


っていうことに気がついてしまう


そんな風に感じて生きてます。

おはようございます!


泰麒です。


久しぶりに近況報告です。


昨日、妻のオペでした。

非常に穏やかな気持ちで

付き添うことができました。



幸せでした。



彼女がどのような状態であろうとも

その中に溢れる


本質的な愛と共にあり



ただ幸せでありました。




全てのものから

愛は溢れ出しているのですが




彼女を通した溢れる愛と


共にあるということが


今ここで感じる 至福の喜びでした。






そこに至ったということが


限りない幸せでした。



ずっと傍にあった本質的なもの・・




そのことに回帰できたことが


この上ない幸せでした。




しがみついていた全てを

手放した



そのときに




至福の喜びが訪れ


本当の平安に在ったのでした。



これが私共の愛の形なのです。








私が妻にできること・・・


それは



ガイド達が日々お伝え下さる


『平安』


という在り方。


ブログを綴らなかった期間は

ただ、そのことを見つめておりました。





とはいえ、


『平安』で在ろうとするのですが、


絶え間なく頭の中のおしゃべりを繰り広げる


「わたし」と感じていたいたものは


一向に『平安』の状態を

手に入れることはできずにおりました。



「平安とかけ離れた ‘わたし’ という意識はなんなのか?」


そんな問いから


意識を観察することを始めました。





意識を観察すると


驚いたことに



それは驚愕としか言いようがない


事態だったのですが



「わたし」という意識  ‘思考’ = エゴ は


単体で機能しているわけではなかったのです。




「わたし」という意識は

他者の意識や広大な集合意識と

密接に影響しあっておりました。



特定の信念体系のエネルギー

特定の感情パターンのエネルギー




そういったエネルギーは常に

「わたし」という空間を干渉し


ときには、占領しているかのようでした。




驚いたことに、干渉するエネルギーは



私が体験した様々な事柄を

釣り針のように引き上げ


特定の意識状態を強化しているのでした。



感情・思考・体調といったものは

かなりの割合で様々な干渉をうけて

いるにも関わらず


まるでそれが

ありのままの「わたし」だと

思い込んでおりました。



「わたし」というスペースはいつも

そんな感じで様々なものが

充満していたのです。




干渉を受けているのですから

「わたし」も当然のことながら

干渉を与えているのでしょう。





そこで、干渉から切り離した


「わたし」に意識的に在ったとき





「わたし」という空間に

何もない空間が生まれました。





その何もない空間にフォーカスし


そして


それさえも手放した時に


そこには


静寂な空間が広がっておりました。





その静寂から見渡す世界は


本当の意味で


全てが繋がっていたのです。




そこから見渡す世界は


「わたし」という意識から


超越しているようでした。





面白いことに



「わたし」という空間が

干渉をうけているという意識状態は


「わたし」という幻想が立ちあらわれているいう

ことを意味していました。



そのことに至ったとき




『平安』で在るという状態になっておりました。



全ては至福でありました。



で、ここからが笑えるのですが



じゃあ、もっと至福ってあるのかもと

探求心が湧き上がってきましたら


(あいかわらずな「わたし」的発想 !! )




ガイドからメッセージを頂きました。




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何を求めてさまようているのですか?


真理は不変なるもの・・・


そう


あなたの中に全てがあることを知りながら


真理の複写を外界に求めているのですね。



もうそろそろおやめになっても

良いのではないですか?



真理をなんと呼ぼうと

何でも良いではないですか?



すでにここにあるにも関わらず


外界の記録の中を探し求める

宝探しのゲームを


いつまでお続けになるのでしょうか?



「ねえ ねえ・・ こんなところに宝物があったよ!!」


と共有してみて


高揚感を得てみて・・・


で、また、


次の宝物をお探しになるのですか?



全てのものの中に等しく真理が在るというのに


わざわざ共有するということ自体が


あなたがたがいう


『分離』なのではないでしょうか?



真理の探究者であるという幻想よりも


真理そのもので在るという




ただ・・  在る・・ 



という、極めてシンプルなことを



空であり愛である


あなたであれば良いのです。




そのシンプルな中に


不変なるものを体現なさりなさい。


こんばんは泰麒です。


ご訪問ありがとうございます。



妻は元気にしております。


夜はカツカレー (笑)

本当に具合悪いの??


そんな感じです。


抗がん剤FEC投与8日目

驚くことが起こりました。


眠れないほど痛かった・・・

病巣とリンパの痛みが


消えました。


野球ボールぐらいに

なっていた病巣が

小さなお煎餅ぐらいに

縮まりました。


固く腫れ上がった乳房は

以前の柔らかさを

取戻しました。


これから先

6ヶ月も続く治療なのに

こんなに早く

効果があるものなのでしょうか


凄く心配していただけに

少し安堵しました


抱きしめても

抱きしめても

涙がこぼれそうだったのに


今日は

うれし涙がこぼれました


ぽろぽろ

ぽろぽろ

止まらないけど


嬉しいから

仕方ないよ


ありがたいな

感謝だな


本当に

幸せだな

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こんばんは泰麒です。

ご訪問ありがとうございます。



午前中、業務をしておりましたら

ガイドからメッセージが。


・・・・・・・・・


「それはちょっと、、、、」

「いやいや、、難しいのでは?」

「お金もかかることですし、、」


・・・・・・・・・


「えっ!? 心配するなですって??」

「僕の小遣い 全部なくなります、、」


・・・・・・・・・


「いくら おっしゃっても 嫌 です。」

「とにかく、三次元では仕事中です。」

「連絡はできません。」


・・・・・・・・・・


引き下がってくれたかな?

そう思って焦点を合わせますと

ゲストが沢山いらっしゃいます。


「沢山の方々にお越し頂き

驚いておりますが、、、」


・・・・・・・・・・


「どういう御用事でしょうか、、」


・・・・・・・・・・


「やはり、お電話をするべきなのですね。」


・・・・・・・・・・


「わかりました、、、お昼休みにお電話します。」


・・・・・・・・・・


「どうぞ、しばらくお待ちください。」



抵抗はむなしく却下されまして

久しぶりに師匠に連絡することになりました。


「先生、お久しぶりです泰麒です。」


『まあ、名前聞いて笑っちゃったけど、

元気になったみたいね。

いったい、今まで何やってたんですか?

私のカウンセリングは必要ないから

ワークショップに顔出して。

とにかく、メッセージを伝えるわ。』


<・・・・・・・・>


「ありがとうございます。

心に響きました。

先生、私は元気なのですが、、

以前、ご指摘頂いた通りの病に、

妻がかかっているのです。」


『さて、どうしましょうかね。

・・・・・助かるよ・・・・。

泰麒さんが取り組んでも・・

うーん、難しいね。

命は助かるけども、大変だね。

○○○なことになっちゃうよ。

だからって、奥さん、

私の言う事、聞かないものね。

とにかく、奥さんに

ヒーリングを受けにくるように

伝えてちょうだい。』


「先生、妻は一人じゃ行かないかと。」


『じゃあ、あなたは

隣でチョコンと座ってても良いけど、

今週の土曜日の時間は・・・

遅くにしましょう、17時30分からで。

だまって、ヒーリングしてても仕方ないから

カウンセリングもしますよ。』


「先生、あんまり厳しい話は困ります。」


『多少のお小言はありますけども、

私、基本的に女性には優しいですよ。』


「連れてこれるかわかりませんが。」


『大丈夫です。いらっしゃいます。』


ということで、妻に話しますと

了承してくれました。


さて、先生はどんなメッセージを

妻に伝えてくれるのか


新しい展開にドキドキしています。



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話は全く変わりますが

ブログで繋がったmattsさんへ

http://ameblo.jp/koredeiinoda1/


(体調の問題を心の課題と捉えて

結果を出している素敵な方です!)


私の母親が、カエルは‘ひっくりカエル’

といって、体調崩した時に好いのよ

と言っているのを思い出しました。


たくさんのカエルを送りますね。


{96C38829-C354-4E87-82C4-6357DF670314:01}







こんばんは、泰麒です。

ご訪問ありがとうございます。


とつぜん

友人から 今夜泊めて欲しい

と電話がありました。


病気の妻のことが気がかりでしたが

初めてのことなので承諾しました。


≪物理的に追われている状態にある≫


そのように感じ、心配しました。


詳しく聞いてみると

覚えのない金銭トラブルに巻き込まれ、

警察が動いているものの

保護してもらえる段階でなく

身の危険を感じているようでした。


友人は一晩泊まって

安全な場所へ出かけていきました。


{FD4A8FFB-45D7-41CE-9E77-1E5F9119EB6D:01}


この件で妻と感じたことをシェアしてみました。

私としては、


今の環境が当然と思わず

今を感謝して精一杯生きよう


と思いました。


妻は、これ以上このことに関わり合いたくないし、

病気とだけ向き合っていたい


と言いました。


妻の話は当然だと思います。


しかし、私は全ての体験に意味があると

思っているので勿体ないなと

思っていました。


妻の一族の多くは、

金銭トラブルに巻き込まれており

妻はその体験から

お金を失う恐怖や見捨てられ不安を

抱えています。

今回のドラマを目にするのは

身についてしまった感情パターンを

開放するタイミングだという風に

解釈も出来るかなと思いました。



ガイドは言います。


「あなたが受け取ったサインは、


“あなたが受け取ったサインです”


同じ体験をしても

受け取り方はそれぞれです。


起こってきている状況に

意味づけしているのは“あなた”です。


出来事は洞察の接点であり、

注意を向けなければ

景色の一部として流れていきます。



体験はベストな状態で常に訪れていますが、

それが彼女の目の前を通過していくことを


“あなたが指摘する必要はありません”


彼女の中にひっかかりが生まれ

その意味付けにおいて

彼女がシェアしたいとき

あなたの洞察を示しなさい。


あなたの洞察を好きなように示すのは

勝手ですが


そのことにおいて、

あなたが残念に思うことに

どのような発展があるのでしょうか?


繰り返し申しますが


“出来事はフラットな状態で訪れます”


意味づけを手伝うことは

我々も協力しますが、

他人に意味づけを薦めることに

我々は協力をしません。


それは、あなたという

限定された世界の出来事だからです。」


充分に理解しているようなことですが

病気が治癒して欲しいという気持ちが

先走ってしまい、

何でも病気と関連づけてしまう

自分がそこにありました。


焦りは良くないですね・・・。

穏やかに見護っていきたいです。