冬が寒さを主張するように、窓ガラスに雪を貼りつけていく。だけどその寒さはこの部屋には侵入してこない。小さなストーブの自己主張が部屋の中を暖かく包んでくれている。
僕は妻が寝る前に入れてくれた紅茶を一口すすった。少し冷めてしまっていたが、猫舌の僕には丁度いい温度で、長く原稿用紙の前で強ばっていた僕の頭と体をほぐしてくれるようだ。
そんな小さな幸せの一時と違い、現在の世情は困窮を極めるものであった。
第二次世界大戦
ロンドンではチャーチル首相が演説で対独徹底抗戦を掲げ、イギリス軍とドイツ軍が激しい大空中戦を展開したのが今年の初夏。
いつ再びロンドンが戦火の渦中になってもおかしくない中、僕は戦争に対する記事を書いている。
こんな時こそ新聞屋が働かねば、誰が「こんな世界は間違いだ!」と、訴えられるのだろう。
だが、実際のところは厳しい政府の情報規制が有り、戦争を止めるような訴えを書けるわけもなく、英国民の安心感を模造し、政府におべっかをつづった文章しか世に出ることは許されていない。
僕が今書いている記事は、全く世に出るあての無い、僕が戦争についての真実と悲しい現実、それについて思ったままを書きつづっているものだ。
いつかは世に出ることを願って。
時計の針はもう明日と言われる日にちを周り、静かな部屋にストーブの火が燃える音だけが響く。しんしんと降る雪がお月様を隠している深夜。外に人の気配は全く無い。
街は常にピリピリしているし、日中でも街を足早に移動する人たちの顔に明るい表情は少ない。僕も最近は仕事が終わった後、この記事を書くことで連日連夜
睡眠不足である。なんせ新しい情報は正誤含めて毎日山のように入ってくる。早く戦争が終わって、こんな記事で徹夜をしなくても良いような平和な日が訪れる
ことを切に願う。
さて、話は変わるけど明日は一年に一度のクリスマスだ。
今日は仕事もこの辺りにして僕も寝るとしよう。隣の部屋では妻と子どもがベッドの中でグッスリのはずだ。
こんなご時世だからこそ、子どもには平和な時に普通にあるようなものをちゃんと体験させてやりたい。
明日行われる、我が家のささやかなクリスマスパーティは準備万端。原稿机の下に隠したプレゼントをわが子はよろこんでくれるだろうか。
どんな辛いご時世でも人は小さな幸せを見つけて生きていけるのだと思う。
事実僕は一人仕事部屋で、子どもの喜ぶ姿を想像してにやけた。
誰かに見られていたとしたら非常に恥ずかしいシチュエーションである。
机の上のランプを消し、原稿用紙をしまおうと机の引き出しを開けた時、丁度窓のほうからカンカンと音がした。椅子のきしむ音に隠れてしまいそうな微かな音だった。
雪が霰にでもなったのだろうか。窓のほうを見る。
直後、
窓が勢いよく開き、強烈な風が吹きすさぶ。しまおうと思っていた原稿が部屋の中を乱舞し、ストーブが風に煽られ赤い光を強める。
そんな馬鹿な!いくらなんでもこんな強風が吹いてたような音なんてしてなかったのに!
一際大きく風を切る鋭い音。直後にストーブの火が消え、部屋の中が一瞬で暗くなる。
同時に壁に何か大きなものが激しく当たる音。
なんだなんだ?僕の周りでなにが起きたのか。疑問符が連鎖する。
窓からさす月明かりで少し目が慣れてくる。雪は降っていなかった。
壁に当たった何かがむくりと立ち上がり両手を広げた。
「やー、やー、ジョン!!!久しぶり!!!寒くて手がかじかんでしまってさ、勢いをつけすぎた。風でストーブが消えてしまったね、悪いけどこいつをもう
一回暖めてくれないかい?妖精を放り込んでも暖かくはならないよね?それにしてもジョン、机の下を見て何をニヤニヤしていたんだい?あれは、まぁ、久しぶ
りに会った友人に言うのもなんだけどすこし気味が悪いよ」
そう言って落ちていた原稿用紙を拾い上げ、盛大に鼻をかんだ少年。
僕は驚きで声も出なかった。夢なのだろうか、いや、目の前にいるのはきっと夢そのものなのだろう。あれから何年たっただろう。二十年以上か、二十年以上も前と全く同じ、草を編んだような緑色の服。妖精と同じ格好と同じ姿の少年。
永遠に歳を取らない永遠の国に住むロストボーイ。
かつて永遠の国へいざない、夢のような、本当に夢のような世界を体験させてくれた少年。
遅れて窓から一筋の光が勢い良く飛び込んできた。
「まぁ、私をストーブの中に放り込むですって!ずいぶんひどい事を言うのね」
ボクはその光を目で追う。光の真ん中には手のひらに乗るくらいの可愛らしい女性。金髪碧眼、つんと尖った鼻と背中から羽根が生えているのが特徴の妖精が居た。
間違いない、もう二度と会うことはないだろうと、子どもの時だったからこそ信じられた、いや、実際に体験した僕は今でも信じてはいる。けれどまさか、まさか再びこの少年と会うことができるとは。
「い、いったい、なぜ君がここに? 驚いたけど会えて凄く嬉しいよ。今でも君とした冒険はまぶたを閉じれば昨日のように鮮明に思い出せる。 こうして、再び君が僕の前に現れるなんて本当に夢のようだ」
とぼけた顔で少年はふわふわ飛び回り、逆さまになり、天井に着地(着天?)しながら応える。
「懐かしいって美味しいのかい?ところでジョン、随分おでこが広くなったもんだね。」
「はは、ひどいな。僕も大人になったってことだよ。相変わらず君は変わらない姿で自由そうで羨ましいよ」
「いつだってボクは自由気ままだよ。でも最近ロンドンの空を飛んでみて驚いたんだ。 でっかい鉄の鳥や小さな雷の精霊がロンドンの空中をブンブン横切っ
ていったりしてかなり騒がしくなったもんだ。さっきここに来る途中にさ、今ジョンの頭の上で休んでる妖精が雷の精霊とケンカを始めちゃってね、雷の精霊の
方は大人の命令で言葉を届けなきゃいけないみたいだったんだけど、 失礼なもんだからって・・・」
少年はこらえられないと言った様子で笑い始めた。
「あのビンタは見事だったよ。あれはククッ、今思い出しても笑える」
一際強い光を放ちながら部屋中を飛び回る小さな精霊から甲高い声が響く。
「すけべな視線で横切っていく方が行けないのよ!」
あっという間に二十年以上のブランクを消し去ってしまう程に全く変わってない。
その声も仕草も喋り方も。何もかも懐かしがってる僕がまるでマヌケに見える。
二十年以上もたってるというのに、つい昨日、「一緒に晩御飯食べただろ?」みたいな調子で語りかけてくる少年。
会話の内容も相変わらずおしゃべりで自分勝手だ。口の端が緩むのを押えきれない。
「本当に、また会えて嬉しいよ。ただこの戦争で危険な最中、何故、君は再び僕の前に?」
鼻をかんで丸めた原稿用紙を的当てゲームのように妖精に投げつけながら(もちろん妖精は余裕でかわす)つまらなそうに少年はぽつりと答えた。
「空を飛べる子どもがいなくなってるんだ」
少年はいかにもつまらなそうに続けた。
「子どもが夢を見なくなっている。 夢を信じる子どもが居なくなれば魔法はこの世から消えて無くなってしまう」
さらに両手を広げて勢い良くまくしたてる。
「大人たちが鉄の鳥で空を我が物顔で飛ぶなんておかしいよ、 だって空は子どもたちが飛ぶものだろう!?」
僕は何も言えなかった。
今のご時世が子どもから笑顔を奪っているのは事実だ。家や食べる物が奪われるどころか、家族さえも戦争は引き裂く。
世界中でこの少年を、永遠の国を必要としている子どもたちは、まさに今こそが一番多いのは間違いないだろう。
「だからボクは、世界中の子どもたちをみーんな永遠の国に連れていこうと思う。明日はクリスマスって言うんだろう?前にウェンディに聞いたんだ。子ども
たちが一年のうちで一番夢をみる日なんだって! だからボクは子どもたちを永遠の国に連れて行く。食べるものも無くならない。毎日楽しいことが待ってい
る。インディアン達と踊り、人魚達と泳ぎ、妖精たちと歌い、美味しいものを食べて、海賊をからかって過ごす。そっちのほうが絶対楽しいに決まってる」
クリスマスに世界中の子どもたちを永遠の国に連れて行くだって!?
「だけど、親たちはどうするんだい?子どもが居なくなれば親は悲しむ」
君が信じたその夢は 僕には世迷言にしか聞こえない
問いなら既に投げだした 答えなら答える前に決まってる
「悲しめばいいんじゃないかな。大人たちの世界が悲しくなってしまえば、えっと、戦争って言うんだっけ?人をモノみたいに大量にいっぺんに殺すようなバ
カなことも止まるんじゃない? だって子どもの居ない、未来の無い世界で争ったって無意味だって流石に馬鹿な大人も気づくでしょ」
僕が疑うその夢は 君は当たり前としか思わない
今更なんて遅いんだ 君には言い訳だけを述べている
「極端に言ってしまえば、こっちの世界なんて滅んでしまっても良いって君は思ってる?」
「結果、そうなってしまうなら別に仕方ないかなって思うよ。ボクはヒーローじゃない。毎日面白おかしく過ごして空を自由に飛んでいられれば満足なのさ。
そのためには子どもの夢こそが第一なんだ。ジョン、君も一緒に行こう。望むのなら、子どもに戻る魔法を君にかけるよ。ウェンディやマイケルにもだ。ウェ
ンディにまたママになってもらって、ジョンは海賊にだってなれる。マイケルがまたおねしょをしたらからかってやろう」
小さな見栄で取り繕い 一歩踏む出すことに怯えてる
心の底で思ってた 本当ならどんなに素敵な事だろう
「僕には仕事が残っているよ。戦争の悲惨さを世に伝えなくちゃいけない。いつかは戦争も終わる。また冒険ができるなんてすごいすてきな申し出だけど、戦争をしていても、やっぱり大人はこっちの世界を投げ出すべきでは無いんだと思う。」
魔法の粉を振りまいて 君は言う
「幼い時に追いかけた 移ろいやすい夢に魔法をかけるよ
怖がることは何も無いから 信じて 飛んでみて
遥か遠く空を跳ねる風のように 高く 飛んでみて」
耳元で少年はそう呟くと窓から飛び出しロンドンの空を自由に飛び回る。
目の前に広がる幻想は現実で、だけど夢で、だけど今なら本当になる・・・
昔とは違うのに、現実には無理だってわかっているのに、僕の体は縮んでいき、服はぶかぶかになり、顔からはシワが消えていき、空を自由に飛び回った思い出だけで頭が、頭が、頭がいっぱいになっていく!!!!!
するべき事は終わらせた 君は大丈夫って笑い飛ばす
楽しいことを考えて 信じることが大切らしい
僕は家族宛の手紙を書いていた。人間は夢には抗えないのだろうか。
現実は、かくも厳しい世界を突きつける。老い行く自分、永遠の国がどれほど魅力的に見えるのか、想像するのは容易いことだろう。
そして今まで見てきた戦争の現実は、僕にこの世界に対して、愛想をつかせるのに充分な汚さをもっている事も事実だ。
飛び回る小さなランプ キラキラ舞い散る銀の粉
疑うことには疲れてた 今なら飛べると信じてる
僕の頭の中で幼い頃の冒険がフラッシュバックする。否定しようのない高揚感。気づくと体が軽くなり、いともあっさり僕の体は宙に浮いていた。
窓から体を投げ出すのに抵抗はなかった。ここが二階だろうと僕に恐怖心はなく、二十年前の姿のまま、僕は雪の止んで満月が煌々と光る夜空へ飛び出した。
今の僕のこころには 夢への期待が満ちている
ふと振り返る子供の 寝顔が僕の眼に焼きつく
僕は見てしまった、子供の寝顔を。僕の部屋の隣、小さなベッドで眠る子供の顔を。
僕の世界で一番大切な宝もの。気づいたのか、思い出したのか、楽しさよりも大事なもの。
その瞬間魔法は解けてしまっていた。
重力が急に仕事を思い出したかのように、僕の体は二階の高さから地面に叩きつけられる。悲しくもかなり情けない悲鳴とともに、僕の落下音は近くにあった木に積もる雪と一緒に盛大な音を立てた。
雪が積もっていたのが幸いしたけれど、かなり尻を強く打ちつけてしまっていた。
「あいたたた・・・」
少年はとても驚き、焦燥の詰まった顔で問いかける。まるで魔法がこの世から無くなっていくのを目の当たりにしたような切ない顔で。
「どうしたんだいジョン!?なぜ飛べなくなってしまったの?あぁ、体が大きくなって、シワが増えて頭も広くなって、大人になってしまうよ!ジョン!!」
痛む尻をさすりながら、でも頭の中がすっきりしたような清々しい気持ちで僕の口からは自然と返答がこぼれていた。
「僕はもう大人になったんだ」
もう大人になったんだ。少年は僕のその言葉に泣きそうになる。目には涙がたまり、顔はクシャクシャになり自らの全てが否定された孤独の表情。
「ジョンはボクとの冒険は忘れてしまったの?あの楽しい日々を!?」
「覚えているとも!君とのすばらしい日々を!死ぬまで忘れるもんか!今まで生きた中で間違いなく人生で一番楽しかった瞬間だ!その気持だけは一片も嘘じゃない!」
無限の夢を語りかけ 君は言う
「幼い時に諦めた 移ろいやすい夢に魔法をかけるよ
怖がることは何も無いから 信じて 飛んでみて
遥か遠く月に映る僕のように 高く 飛んでみて」
銀色の粉が舞う。雪と一緒に舞う夢の塊はなんて幻想的なんだろう。
けれど、僕の体はもう若返りもしないし空も飛ばない。
「なぜ・・・なぜなんだ・・・、戦争だから?大人だから?魔法の力が弱くなってるっていうの?」
その時、きっと僕の落下音で起きたのだろう、玄関のドアが勢いよく開き、子供が弾丸のように僕の腰に飛びついてきた。
手にはクシャクシャになった僕が書いた手紙を持って。
「パパをつれていかないで!パパと一緒に居られなきゃ悲しくなって私は泣く夢しか見られなくなっちゃうわ!」
少年はショックを受けていた。子供の夢を増やそうとする自分の行為が、同時にまたひとつの夢も奪い去っていたことに。
「君と過ごした日々は間違いなく僕の人生で一番楽しかった時間だ。けれど僕らが永遠の国から帰ってきたとき、両親がどんなに喜んでくれたかも知ってい
る、そして今の僕はその時の両親の気持ちがわかるんだ。今の僕には妻が居て、娘が居て、つまり家族がある。 僕は間違いなく家族と過ごす今が人生で一番幸
せなんだ」
憑き物が落ちたように少年は微笑んで語った。
「ジョン、よくわからないけど、なんとなくわかったよ。子どもは夢をみる。けれど夢を叶えられるようになるまでの時間は少し長い、子供が夢を叶えるまで、大人がその夢を支えてあげる必要がある。君らみたいな家族が居る限り、ボクはきっと永遠に空を飛び続けるんだろうね」
娘の肩をきつく抱きながら僕は少年の行為が全て間違いではないことを聞かせる。
「今はきっと戦争で両親をなくしてしまった子ども達もいっぱい居るだろう。今苦しんでいる子たちを安全な永遠の国へ連れていってあげておくれ。君の助けを必要としている子どもも間違いなくこの世界には沢山居るんだ」
「みんな連れていってしまうのは同時に悲しみも増やしてしまうって事なんだね。きっとボクは永遠に子どもだから今日のこともそう長くは覚えてられない。だけどジョンの言ってることは正しい気がする。今はその素直な自分の気持ちに従うよ」
「すまない。そしてありがとう。君が友人で居てくれて僕は誇りに思う」
少年はニコリと笑って宙に浮く。
「いつでも思い出したならボクの名を呼んでくれ!ボクの名はピーターパン!ネヴァーランドで夢とともに永久を生きる者!」
夜空に虹をばらまいて君は楽しそうに飛ぶ
僕には置いて行けないものが多すぎた
飛ぶには残していくものがでかすぎた
夢の住人にはなり損ねたけど 忘れてた想いを思いだした
大事なものが此処にある 僕にはそれで十分さ
END
