対談

対談

ブログの説明を入力します。

Amebaでブログを始めよう!



対談

ボランティア団体 シザーピース


高木 達也 ROSE meets 代表(タチュ)

本山健司 reiz代表(ケンチャン)
石橋 靖浩 salotto代表

高取 宏行 goose代表 




「阪神大震災で僕は無力だった。

“じゃ今こそは何かやらなきゃ”って」
(高木)




―被災地でのボランティア活動を終え、今日はシザーピースの皆さんと反省会も兼ねて座談会を行うことになりました。司会の高取です。改めてよろしくお願いします。(高取)



(一同)  よろしくお願いします。




―まずは結成までの経緯を聞かせてください。(高取)



(佐藤) 初めに話しておくと、シザーピースは東日本大震災で被災した美容師、被災者の方々を支援するボランティア団体です。美容の持つチカラで「僕達にも何かできることはないか」と思い、このプロジェクトを始めることになりました。で、あれは震災の翌日だったかな。もともと交流があった僕達がシザーピースを始めることになったのはタチュ(高木)からの1本の電話だったよね。




(石橋)  そうですね。意思の疎通はできていたと思うのですが改めて聞きたいです。



(高木) う~ん、最初は見切り発車でしたよ。「何かしなきゃ」と本能のままです。そこで自分の周りで同じ感情になって誰が動いてくれるか考えた時に、パッと思い浮かんだのはヨウちゃん(佐藤)とケンちゃん(本山)。その時の僕ってかなり焦っていたと思うんですよ。電話で多くを語らず「とにかく力を貸してくれ」と言いました。それなのに2人とも詳しく内容を聞かず「やろう」と返答してくれたのは本当に嬉しかった。尋常じゃない映像がテレビに流れて阪神大震災のことを思い出したんです。あの時、僕は何もできなかった。「でも今なら周りの仲間と何かできるんじゃないか」と衝動に駆られて。使命感に近い感覚もあったかも。まあ、「やらなきゃ」って純粋な気持ちでした。だからこそ難しかったのも事実ですね。



(佐藤)  わかる。自分も「何かしなきゃ」って想いがあって、すると偶然にも震災の翌日にタチュから電話がかかってきた。最初に「ノーはなしだから」って言われた時に「あ、震災のことだな」とピンときたよ。



(本山)  僕もテレビであの状況をみたら何かできることを探しましたし、美容師として何かできるんじゃないかとも思いました。不思議な話ですけどその考えがシンクロしていたんですよね。





(高木)  福島に友人がいるんですけど、しばらく連絡が取れなかったのも僕の中で大きかった。震災から一週間後かな、たまたまツイッターで連絡が取れて。状況を聞くと「サロンは半壊している。人もいないし何もできない」と。友人と話せば話すほど、メディアから流れてくる信じられないような情報が、色を帯びて、匂いを発して、僕の中でリアリティなものに変わっていきましたね。それからすぐに集まってミーティングを重ねて、もやのかかった状態のままでしたが、シザーピースがスタートしました。



―それぞれが同じような想いだったのは不思議ですね。(高取)



(佐藤)  そうですね。まあ「あれはヤバイでしょ」って。



(高木) 震災の状況うんぬんを置いといて「とにかく何かやろう」と、その単語ばかりで会話が繋がっていたよね。その時はまだ福島の状況なんて全くわからなかったけど。




(佐藤) 原発の情報も出ていなかったし。



対談

(本山) 本当に手探りのままスタートしましたよね。「シザーピース」って名前が決まって「行くぞ!」くらい。でも、現地に行く覚悟はすぐに確かめ合いましたね。次に集まった時はいつに行けるか、その話になり、現地の状況が分からないからこっちでやれることをやろうと。




(佐藤)あの時のミーティングでタチュが「6月か8月に行く」って言い切ったのもよかったよ。



(高木)物事は決めないと始まらないですから。



(佐藤)まだ3月だったから「それまでにこっちでできることをしよう」って話になって。



(石橋) そこで挙がったのが、理容代を義捐金にするチャリティーカットの開催。僕はこの段階で本格的に参加しました。



(佐藤) これがね……簡単にはいかなかったよね。


(高木)苦しかったですよね。いろいろと。


(本山) 美容業界にとってなるべく公共な場所。MILBON(ミルボン)やWELLA(ウエラ)、Schwarzkopf.(シュワルツコフ)のスタジオで開けば完璧だと思ったけどまさかの展開でね(苦笑)。




その2へ続く…