母さん。
今日は、物心について考えたいと思います。
一般的に物心は、5,6歳で付くと言われていますが、実は私はまだ付いていません。
なんでそんな大事なこと今まで黙っていたんだと思われるでしょうが、聞かれなかっただけで隠すつもりはありませんでした。
思えば、6歳のころ物心が付きそうになったときに、アレルギー反応が出て2歳に逆戻りしました。
しかし、体は6歳のままでした。
そこからの1年は大変でした。
なにせ6歳の体なのに心は2歳なのです。
当然、補欠になりました。
今思えば当たり前のことなのですが、当時は若かったのでどうしても納得がいかず監督に詰め寄ると、
「6歳の体なのに心は2歳の者には出場資格を与えないと規約にもはっきり書いてある、読んでみろ。」
と、規約を投げつけられました。
そんなはずはないと思い、規約を拾い上げ読もうとすると今度は規約アレルギーが出て読めませんでした。
2度目の物心がつくチャンスは、4年後の10歳のころにやってきました。
そうです。心の年齢が再び6歳を迎えたときです。
いつものようにスイスパビリオンで遊んでいると、警備員に「ここでのみじん切りは禁止だよ」と怒られてしまいました。
仕方なくザク切りにしていると急に意識が遠のく感覚に襲われました。
これはと思い、横になり目を閉じました。
遂に物心が付くかというときに、横やりが入りました。
しかも10年に1度クラスの横やりです。
なんでこんなときに限って白いTシャツを着てきてしまったんだと後悔をしました。
しかし、そんなことはおかまいなしとばかりに横やりは入ってきます。
仕方なく、横やりを投げ返そうとしましたが、ここでも横やりアレルギーが出て2歳に逆戻りしてしまいました。
当番から外されました。
納得がいかなかったので、自治会長に詰めよると、「10歳の体なのに心は2歳の者は当番から外すと書いてある。読んでみろ。」
と、タウン情報誌ぱどを投げつけられました。
拾い上げ読もうとすると残念、ぱどアレルギーが出て読めませんでした。
迎えた14歳(心年齢6歳)。
3度目の物心がつくチャンスは突然やってきました。
メインの仕事を終え、自宅に帰ったときです。
ドアを開けると、突然照明がつき、パーンというクラッカーの音がしました。
出迎えてくれたのは、なんと山田洋二監督スタッフでした。
スタッフから花束を受け取り、当然のように次回作についての話題で盛り上がりました。
花束には白紙の紙が刺さっていて、これになにかを書けば物心が付くことは火を見るより明らかでした。
しかし、教育テレビしか見せてもらえなかった私が簡単にわかるはずもありません。
盛り上がりに欠けだしたころ、スタッフの一人が突然倒れ発作を起こしました。
そのスタッフはかすかな声で「必要事項」と言っていました。
私は、紙に必要事項を記入し提出しました。
そして、あとは物心を受け取るだけというときに、そうです、あのリーマンショックが起きたのです。
私はすべてを失いました。
家、車、前髪だけならまだしも、大事な本人控えも失ってしまいました。
本人控えがないと残念ながらこの世の中はなにもできません。
万事休すです。
それからというもの、現在まで物心が付く感覚に襲われることはなくなりました。
皮肉にも、ぱどアレルギーだけ治っていました。