母さん。

 

今日は市の花について書きたいと思います。

 

市の花とはその名の通り、市で決められた花で、それぞれの市のシンボルのような存在です。


例えば、私が生まれ育った土地の市の花は造花で、当時は市内のあちらこちらで見られました。


小学生時分、遠足では市の花の絵を描き、読書の時は市の花をしおりにし、ゴルフの時は市の花をパターの時のマーカーにしたものです。

 

最近はあまり地元に帰れてませんが、その市の花をふと街角で見かけると、故郷を思い出し体にブツブツが出来るのです。

 

 

 

そして、市の花は、その市に住む際の入試で必ずと言っていいほど問題に出てくるもので、実際私も今の家に引っ越す際に頭で覚えるより体で覚えた記憶があります。

 


しかし、近年、そんな市の花を知らない子供たちが増えてきてるというのです。

 

実際に、18歳未満の子たちにアンケートをとると、それどころじゃありませんでした。

 

では、なぜ市の花の存在感が薄れてきたのでしょうか。


それは、8年前に遡ります。

 


当時、市の施行記念日に、市立の学校に続く市道一面に市の花を散りばめて、その花のカーペットの上を市長が歩くというセレモニーが全国各地で見られました。


そこで、その年から市に移り住んできた家族の入団セレモニーが行われ、市から市の花柄のエンゲルスが贈呈されるのです。


小銭数える時に使うエンゲルス、家にあったあったと思う方もいらっしゃると思います。

 

 

しかし、8年前に事件が起きてしまいました。

 

市道と県道の交差点、どちらの管轄かがはっきりしていないいわゆるデッドゾーンで、市が県の許可を得ずに交差点内に市の花を置いてしまったのです。

 

もちろん県側も市にはできる限りの協力はするという姿勢でしたが、ただこういうことは、一言断っとくだけでどちらも気持ちよく仕事ができるという基本的なコミュニケーションを市側が怠ってしまったのです。

 


激怒した県は次の年から、セレモニーの日に、その交差点内に県の花でバリケードを作るという強硬手段に出ました。

 


いつものルートを封鎖された市は仕方なく県道を避けるように手前を右折しました。

 

しかし、右折したその道はなんと区道でした。


激怒した区は次の年から、区の花でバリケードを作るという強硬手段に出ました。


またしても、一言断っとくだけでどちらも気持ちよく仕事ができるという基本的なコミュニケーションを市側が怠ってしまったのです。

 

 

再びルートを封鎖された市は仕方なく区道の手前の道を右折しました。

 

しかし、右折したその道はなんと私道だったのです。


激怒した副島さんは次の年から、集めた牛乳パックだけでそれは見事なバリケードを作るという強硬手段に出ました。

 


またしても、一言断っとくだけでどちらも気持ちよく仕事ができるという基本的なコミュニケーションを市側が怠ってしまったのです。

 


三度、ルートを封鎖された市は仕方なく引き返しました。

 

引き返しの道中、職員が地図に載っていない道を見つけました。


そして、入念に確認しました。


その道は、県道でも区道でも私道でもありませんでした。


思い切ってその道にルートを変更しました。

 

ただ、その道は残念、第二東名でした。


さすがに第二東名に花を置くことはできずに、そのイベントはいつしかなくなっていき、市の花も忘れられていきました。


くれぐれも道を通るときは気を付けてください。