ここ数日何もかもうまくいかないので少し書き出してすっきりしたいと思う。

最近、東京メトロの東大前駅で刺傷事件があった。男の動機は「教育虐待の被害を受けた子供の末路を『教育熱心』な親たちに示したかったから」だそう。刺傷行為を正当化していい理由にはならないが、この男の気持ちは僕にはよくわかる。なぜかって?自分もされていたから。

教育虐待という言葉を初めて聞く人も多いのではないだろうか。身体的虐待、心理的虐待、性的虐待。よく知られているのはこの3つであり、大概これらのいずれかに分類することができると思う。教育虐待をこの3つに無理やりあてはめようとするならば、身体的虐待と心理的虐待の両方に当てはまるように思う。

虐待とはそもそも何か…Wikipediaによると、「繰り返しあるいは習慣的に暴力をふるったり、冷酷・冷淡な接し方をすること」とある。教育虐待はおおまかに教育熱心な親が子供に学びを強要させることであり、どこからが行き過ぎた教育、教育虐待なのか。僕は本人が少しでも辛いと感じたらそこからもう虐待だと思う。

 

ここからは僕の記憶の限り昔あったことを書いていこうと思う。

僕は国立の小・中学校に通っていた。家族からは将来を期待され、県内一の公立進学校に行くよう強く言われて育った。そこに行けば将来は安泰だ、官僚にでも医者にでもなれると。

当時母ではなく伯母に勉強を教えられていたのだが、テストのために市販教材を何度もやらされた。少しでも間違えれば正解するまで寝ることも許されず、ほぼ徹夜で学校に行った日もあった。カラーテストで100点以外を取ることは許されなかった。95点でも褒められることはなく、80点台を取ろうものならこっぴどく怒られた。殴られて眼鏡が壊れたこともあった。今でも夢に出てくることがあって、恐怖で飛び起きてしまう。

放課後に遊ぶことなど許されるわけがなく、家と学校を往復するだけの毎日。学校の長休みと昼休みだけが何も考えずに過ごせる唯一の時間だった。下手だったけどサッカーしたり、ドッジボールしたり。あの時間がまた戻ってこないかと時々思う。紛れもなく教育虐待である。

ここまでやっているのだから、学校での成績はトップクラスだった。作文コンクール、書道、絵画なんでも入賞したし、自主学習ノートも1年で30冊近く書いたっけ。ただ一つスポーツを除いては。(笑)先生は面談でいつも頑張っているとほめてくれたが、僕は自分の本当の気持ちを何一つ言い出すことができなかった。今思えば、辛いという感情すらなく心が死んでしまっていたのかもしれない。

 

そんな小学校生活を終え、僕は中学に入学する。基本、小学校から中学校への内部進学は形式上の試験はあったものの、エスカレーター式に進学できた。もちろん、外部(公立小学校など)からの進学は形式だけではない試験が必要となり、相当な学力が要求される。中学に入るとき家族から猛反対され、実家から徒歩5分ほどのところにある公立中学を勧められた。僕は友達を失いたくなかったし、国立というブランドが大好きだったから残ることを選んだ。この選択が正しかったのか誤っていたのか、今でもわからない。

入学して初めてのテストでは外部からの進学者がいる中でも僕は好成績をたたき出した。学年で160人いたが、順位も1桁に近い2桁だったような。嬉しかった。これまでの努力は中学でも通用する!と喜んだ。

しかし、そんな僕の淡い期待はあっけなく打ち砕かれる。授業がわからん。ついていけん…。小学校のときは1学年上のことまで先取りして勉強していたから余裕があったが、僕は中学の予習は何もしていなかった。伯母も国立中学までは対応できないとか言い出して、頼れる人がいなくなった。授業をその場で理解することができなくなり、聞かなくなった。わからないなら教師に質問すればよいのではないか?と多くの方は思うだろうが、僕は自分が頭のいい将来有望なエリートであると完全に錯覚していたから、そんな恥ずかしいことできるわけがない!としょうもないプライドを捨てることができず、質問できなかった。

成績は下がる一方、僕より勉強ができなかった友達にどんどん追い抜かれていく。その上彼らは部活をもこなし、県大会やブロックの大会に出る者もいた。絵に描いたような文武両道の世界で、勉強はできず、文化部幽霊部員の僕に勝ち目はなかった。

そして現実逃避に走った。母にねだりiPod touchを買ってもらってSNSを始めた。しかしすぐに伯母にバレて没収である。もちろんYouTubeを見たりゲームをしたかったというのはあったが、それよりも放課後にLINEで連絡を取りたかった。しかし没収により僕はそこでも皆から置いて行かれ、完全に孤立。ためていたお年玉をこっそり持ち出し、スマホを買った。またバレて没収。そのあとも3回くらい繰り返した気がする。

 

中2の秋、すべてが嫌になって家出した。朝学校に行くといってJRの切符を買って隣県に住むTwitterのフォロワーの家に行った。1日もたたないうちに警察に見つかって連れ戻された。取り調べ的なものをされて犯罪者になったような気持ちでとても辛かったのを覚えている。実家に帰った後も最寄りの警察署に何度か呼び出され、似たようなことを何回かされた。

何を話したとかどうやって帰ったとかは、解離性健忘なのか詳しいことはあまり思い出せないが、とにかく家出騒動があった。

学校にも呼び出されて学年主任の先生に怒られた。でも僕はなぜ自分が怒られなければならないのか理解できなかった。家出が家族や教師に心配をかけることなどわかっていた。何ならむしろ心配されたくてやったのだから。でも何ひとつ家庭のことを話さなかったのは僕のほうだし、成績も悪い問題児だったから怒られて仕方なかったのかも。

 

家出以外にもたくさんあったが、詳しく書くのはまた別の機会にしようと思う。

そうして中3になり高校受験が近づいてくる。ここでwakatte.TVに出会った。学歴がすべてというコンセプトのYouTubeチャンネルである。僕は勉強しようと思った。昔は勉強できたんだ、今からでも頑張ればできると思って死に物狂いで勉強した。でも、2年のブランクは大きかった。憧れであり、家族からも進学を望まれていた県内一の高校への進学は明らかに無理だった。その下でもそのまた下の学校も無理だった。最終的に偏差値64の公立高校、偏差値50程度の私立高校を併願受験。2日目の出来具合から公立高校は不合格なのはわかっていた。

 

僕の出身県では公立高校の合否は中学の卒業式の翌日に行われる。不合格の生徒のための配慮であろう。

落ちてるのはわかっていたから卒業式では写真も撮らずに一人で帰った。翌日に"不"合格発表があるというのに友達とワイワイする気にはなれなかった。

翌日を迎え、案の定僕の番号はなかった。倍率は1.6倍ほどだったのにね。受験者の最下層だったわけだ。

担任に報告すると1年の頑張りをとても褒めてくれたが、僕は自分の才能を結果でつきつけられた気がして絶望した。

そうして僕は偏差値50程度の私立高校に進学することになるわけだが、ここでもまた新たな壁が立ちはだかっていた。

 

<つづく>