指導者はどうあるべきか?自分達の経験だけから判断するのでなく
子供たちのために正しく科学的に判断してほしい。そのためには勉強もしてほしい。
先輩がこうだったから自分もこう教えるというような単純な思考に陥らないでほしい。
以前は当たり前といわれたことも今では非常識になることもある。うさぎとび、熱中症予防給水の考え方。
青山学院は監督だけが目立っているが実は複数のコーチ陣スタッフがいて選手のパフォーマンスをいかにあげるか考えている。
東福岡では短い練習時間をいかに効率的にするか科学しているはず
指導者はどうあるべきか?自分達の経験だけから判断するのでなく
子供たちのために正しく科学的に判断してほしい。そのためには勉強もしてほしい。
先輩がこうだったから自分もこう教えるというような単純な思考に陥らないでほしい。
以前は当たり前といわれたことも今では非常識になることもある。うさぎとび、熱中症予防給水の考え方。
青山学院は監督だけが目立っているが実は複数のコーチ陣スタッフがいて選手のパフォーマンスをいかにあげるか考えている。
東福岡では短い練習時間をいかに効率的にするか科学しているはず
息子が足を痛めギプスをつけていると監督に「そんなものつけてあまちゃんが」と暴言、罵倒され続けるため、足が痛んだほうがましだからギプスはずして欲しいと、思うような異常な事態。どんな監督か会わないといけないと思い鹿児島の合宿先まで行くことにした。
私はレンタカーを飛ばしながら練習中に怪我させたのだから「すみませんでした」と申し訳なくわびる監督を想像していた。しかし、現実はこちらから監督のいる体育館の奥のほうまで行って近寄ってもり無視するような横柄な態度。こちらから「野崎の父親です」と挨拶すると「あ、どうも」と怪我の事は何も言わない。妻から「何も余計な事を言わないでね」と念を押されてい私はそこで引き下がった。後でこのとき対決していたらと思った。しかし、妻はここで余計な事を言ったら、親もとはなれて寮生活する息子は何かあってもわれわれは守ってやることができない。父親が怒りに負かして監督を怒らせると息子に危害が及ぶという事を心配していたのだ。
小学のスポ少、中学の部活と違う。高校では選手は将棋の駒のように、監督が勝つための
道具であると感じた。そこでは監督が絶対。複数のコーチがいる外国と違う。
当時妻は、離れていて他の父兄から情報をもらうため
監督に逆らうことはできなかった。息子を人質に取られているような。
医師の父としてやれることは、鹿児島のスポーツ整形の病院へ紹介することだった。
そのときの紹介状。
妻から骨までやっていると聞いて、整形の先生に相談し効果は?だが
当時サッカーのベッカムの骨折治療のように、超音波の機器を業者から取り寄せ息子の寮に送ってやることしかできなかった。この時点で監督と体罰指導問題で対決していれば2年生のとき、暴言におびえ恐怖し自殺考えるほどに、息子につらい思いをさせなかったのにと思うと悔やまれる。
息子はT監督が赴任2年目で初めて推薦獲得した選手であった。息子は身長は170cmもないがジャンプ力がありある意味目をかけられていた。1年生の5月の連休ぐらいから3年生を差し置いてアタッカーとして使われた。後でわかったことだが入学前の合宿から体罰はあった。前胸部に足蹴りの跡がくっきり赤く残っており皆に笑われるほどだったと。息子にとっては体罰は日常茶飯事であった。10月春高予選前に練習中にそれは起こった。ブロックに飛んだ後ジャンプ力がある分遅れて着地する。左足で隣のブロッカーの足を踏んで受傷した。
保護者会長が先生に頼まれ整骨院に連れて行きテーピングのみ。3日ぐらい放置。
練習はパスのみ。妻が足を怪我したと聞き試合見に行く予定だったので早めに行こうかと監督に連絡したが、ことわられ先生と保護者会長とで整骨院受診が決められていた。
(上は大会前夜の写真)
5日後の大会にテーピングして試合に出場させるも、いつもの動きができてないとすぐベンチへ。みんなの前で「ずっと痛いと言っておけ、3年の最後の試合に足ひっぱりやがって」と。
大会終了後、息子は「テーピングはずしたら力が入らず、おかしいと、何かおかしい」と先生や親にも言えず黙って開業医受診。診断の結果は骨折、精査必要。
そこでやっと妻と一緒にスポーツ整形を受診しMRIとった。
(白いところが炎症や水がたまっているところ骨にも挫傷が認める。
診断は外側靭帯損傷、内果骨挫傷、距骨踵骨載距突起骨挫傷疑い)
ギプスして松葉杖となる。4-6週間固定安静を要するとのこと。
しかしその姿で練習会場に行くとT監督は
「そんな見苦しい格好で 入ってくんな」と。
それから1週間、「言われっぱなしがきつい」と
「痛いほうがましだからギプスはずしに来てくれ」と息子から妻に連絡あり
何とか2週間がんばらせたあと「本人がはずしたいから」ということではずすことになったと。
「こんなおかしいことはない」と思う私だった。