室町時代を生きた臨済宗大徳寺派の禅僧。京都生まれで幼名は千菊丸。
後小松天皇あるいは足利義満の血を引くともいわれています。
6歳で京都の安国寺に入門し、周建の名前を授かりました。
幼い頃より漢詩の才能を開花させ、『長門春草』を13歳のときに、15歳では『春衣宿花』を著しています。
一休の名付け親は大徳寺の高僧、華叟宗曇(かそうそうどん)。 一休の「「有ろじより 無ろじへ帰る 一休み 雨ふらば降れ 風ふかば吹け」の言葉から、華叟が道号として授けました。
その後、さまざまな人生の紆余曲折を経て、1481年、88歳で病没。一休寺で静かに眠っています。
酬恩庵 一休寺 京都府京田辺市薪里ノ内102