テキスト:梨木香歩『西の魔女が死んだ』(新潮文庫,2001)

発表者:弘野貴行

 

○発表概要

・まいの精神分析(人間関係、ホームシックから)

・『西の魔女が死んだ』における死生観について

 

○質疑応答、意見など

※まとめるにあたり、順番を入れ替えた個所がある。

※「・」はフロアからの意見、質問 「→」は発表者回答

【先行研究について】

・児童文学における死の描写は2001年というのがどれくらい先駆だったのか。

・作品の「死」に関する分析は先行研究としてあるのではないか。

→参考文献に挙げた藤本英二さんのシュタイナー論

 

・まいの成長をメインにしていくのか、作者の死生観からみて行くのか

→死生観でいきたい

 

【作品における死について】

・死とは存在の消滅ではなく魂の開放であるとすることで、死にまつわる悲しみや後悔を乗り越え、残されたものとして生きようとする動きが描かれている。

・「死」について、死が悪いことや怖いことだという概念を感じさせないようになっている。「ダッシュツ、ダイセイコウ」というメッセージも自由になるというイメージを後押しするように思えた。

・児童文学における「死」の扱い方は様々だが、どれも「死」までの道のりというか、結局は生き方の問題に発展していくものが多い印象。『西の魔女が死んだ』でもおばあちゃんの教えがその後のまいの生き方に大きな影響を与えているので、死から生を学んでいるのだと思う。

・「善く生きる」ことと来るべき「死」への準備にフォーカスされている気がした。他作品にみられる登場人物にとっての大切な人がいなくなるという単なる「喪失」ではないところが特異性なのではないかとも思う。児童に対して「生物は死の悲しみを乗り越えつつ、その人との記憶を大切にしながら生きていくものだ」というメッセージを伝える方法としてこの作品は死を扱っているのではないか。

→死を乗り越えて生きていくというのがメッセージだと思う。魔女修行を行い、おばあちゃんが死ぬことで終わり、まいは死について学んだ。

 

・持病で亡くなったおばあちゃんの死と殺された鶏の死が「あの鶏の事情」としてそこまで区別されていないことが特徴的だと感じた。

 

【死生観について】

・経歴からわかったシュタイナーの影響を挙げて、思想のつながりを支持する手がかりで終わっているので、そこから見えてくる新しい作品の見え方を示せたらなお良いかと。

・「老人と子ども」という関係をユング心理学から考えるなどもあった。心理的な部分からみるならそれも考えてみても良いと思う。

→先行研究でシュタイナーについて触れていたため今回取り上げた。ユングについても触れたいと思っている。

・輪廻転生的な思想が伺えるとあったが、どのあたりか。

→魂の旅が新しいからだにやどってまた、という旅を続けている点が生まれ変わりの思想に繋がっているのではないか。

 

【魔女修行について】

・不登校の直接原因は明白だが、不登校から自ら学校を選べるようになるまでの変化も解析する余地はあると思う。「魔女修行」というやり方の意義、ゲンジさんに対する態度の変化も何かの意味がとれそう。

→魔女修行については弱いと思っていた。魔女修行についてとまいの気持ちの変化を掘り下げられればと思う

・魔女修行について自らの意思を重要視することで生きやすくするための心理トレーニングという印象。

・おばあちゃんがまいに言ったこと、魔女修行として教えたことや結果的に起きたおばあちゃんの結末は生きていく上で大切な、突き詰めた当たり前のことで、魔女であるという特別さを利用することで普遍的なことをまいに特別感をもたせていたのだろうかと思った。

 

【ホームシックについて】

・承認欲求にも近いが、自分の場所を求める行為というのがしっくりきた。不登校の原因もそれに近いと思う。

・思春期における揺れに加えてまいが死を恐れている点にも特徴がある。ホームシックは父親に告げられた死後の話がかなり影響しているのではないか。

→場所か存在かで迷っており、マグカップの場面では自分の場所が広がる感じがするとあり、まいにとって場所が大事なのだと思う。まいには注目を浴びる存在になりたいという考えもあり、孤独な気持ちは認めてもらいたいのかと思ったため承認欲求とした。迷っている。

 

【ゲンジさんについて】

・ゲンジさんは思春期でなくても嫌悪感を抱いてしまうような存在にも思えるが、思春期特有の心理関係という点で考えていることはあるか。

→思春期の女の子は父親を嫌う傾向があると思う。父親が単身赴任でおらず、中一で異性の親がいない状態で癖の強い異性の大人がまいの前に表れている状況。思春期の攻撃性を母親の前では見せておらず、抑圧していた部分がゲンジさんに示されている。

・作品においてゲンジさんはどのような役割を担っているのか。

→父親に向かわなかったものが分かりやすい男性に向かっていっている

・最後に急にいい人になったゲンジさんをどう思うか。

→ゲンジさんは感情をまいの前で見せていない。はじめて人間らしさを見て、いい人と言う感情を持たせている。

・ゲンジさんがまいと「似たもん同志」と言われていること、ゲンジさん自身が自分のことを「出来が悪かった」と言っていることから、ゲンジさんとまいは似ているところがあるのでは。

 

・後日談である「渡りの一日」は論に組み込んでいくのか。

→おばあちゃんも登場せず、迷っている。梨木香歩の他の作品には触れていきたい。

 

【他作品との関連】

・梨木果歩は『裏庭』でも意図的に死や魂を児童文学というフィールドでやろうとしているように見えた。

・『裏庭』は抱えた傷みたいなものがテーマだった記憶がある。おじいちゃん、おばあちゃんとの繋がりのようなものが出てきて、似ている部分を感じた。

・湯本香樹美の『夏の庭』を思い出した。

・香月日輪『妖怪アパートの優雅な日常』を思い出した。死を扱うことは教育的な面が強いYA文学ではままあることかと思う。

 

文責:HP担当 上田