田吾作のブログ

田吾作のブログ

ブログの説明を入力します。

お金とはあくまで物を買う為の手段であって、お金を集めて貯める目的の為の物ではない。信用とは目に見えないもので築くのには長い時間と努力を要するけれど失うのは簡単で一瞬で無くなるもの。コロナ明けの2024年の日本は38年振りの超円安更新=日本円の価値・信用下落で、Over Tourism状態の外国人訪日客激増でIn Boun景気に湧いている。超円安の好機・こんな時にこそ輸出立国である日本は輸出の基幹産業である自動車産業に稼いでもらって日本に外貨をもたらしてもらうべき時である。それにも拘らず前回の円安好機に於いては、コロナ禍での半導体不足&出入国規制による輸出不振があり運が無かった。でも今回の大手自動車メーカー全社に及ぶ検査不正による大量生産停止&販売自粛は、日本人のモラルハザード&質の低下以外の何者でもない。1980年代にも三菱自動車に始まった自動車メーカー全社・全車種に及ぶリコール隠し&欠陥車隠し問題の大嵐が吹き荒れた時期が以前にもあった。歴史は繰り返すとはよくいったものである。そんな中でもプリンス自動車系列の開発車種であるスカイライン・グロリア・チエリー・ホーマー等は一車種足りとも不具合・欠陥車を出さず問題になる車はなかったのは、さすが零戦のエンジン誉一型を開発して世に送り出し世界の空を席巻した最強で最高の戦闘機零戦を作り出した中島飛行機の末裔が作った車の技術力の粋・誇りとプライドの結実の結果であると言わざるをえない。プリンス自動車工業の技術陣は採算割れしてでも最高の技術をつぎ込み、武士は食わねど高楊枝の精神とプライドで零戦と同様に最高の自動車を作った。その結果商業的に経営不振に陥り、行政指導で日産自動車に救済合併させられた歴史がある。この合併騒ぎは、R-380の技術を市販車にフィードバックしたスカイラインGT-R 等の技術力よりも、見かけの良さと販売力・商売上手が優ったという現実が日本社会に跋扈する走りでありエポックメーキングな出来事であった。プリンス自工の技術を盗んでの「産業スパイ事件」や「救済合併」と言う言葉が日本で初めて使われたのもこの時期である。

日本政府並びに日本のMedia各局も取り上げず避けて触れようとしない日本のGDP4位転落、そして5位転落間近の日本国の信用失墜は日本通貨円の価値下落=日本人の質の低下・日本国の信用低下の証左であろう。人口減少だけが原因ではなく、革新的技術・先進的開発商品が日本から生まれなくなった事、皆一様に幸せになりハングリー精神&向上心のなくなった事が日本の将来性・日本国の信用度低下につながり日本円通貨価値の下落に現れているのが今の円安水準膠着である。今般の自動者産業界の大量不正案件の発覚、人間とは得てして間違いも犯すしHuman Errorもあるし悪い事だって好んで行う生き物である。だからこそ銀行業務のように社内相互牽制&検査体制だけにとどまらず、旧大蔵省=金融庁が各銀行に1年に1度は各銀行の査察に入るという業務が、銀行業界に対しては従来から大名行列の如く毎年行われてきている。自動車産業界に対しても、国家認証検査と言う程の名目の制度に立ち入り検査も査察も何も行って来ていないのは、公務員・官僚達の怠慢の結果としか言い様がない。縦割り行政という魔法の言葉の言い逃れは、責任逃れ&仕事回避の言い訳であり、幼稚園児の嫌いや期と同等のレベルの行動でしかない。遅れず休まず働かずの実態・本領発揮である。仕事とはすればする程それに伴いミスも発生すれば批判も付いてくる可能性が発生するもの。仕事&人生を100杯のコップの水に例えるならば、1杯の喜びと99杯の忍耐・努力から成り立っているもの。自分の為だけにしか頭を働かせず動く時は損得勘定+自己保身の為、公務員と言う種族達は命令された事以外に対しては「触らぬ神に祟り無し」「知らぬ存ぜぬ関わらず」をモットーに目立たず出しゃばらず出る釘にならないように、大人しく従順である事を常に処世術と心得ていて、それが習い性になってるらしい。だから最近話題のカスハラとかに対しても、毅然とした態度を取らず収拾が付かなくなっている。だから社会主義国の生産性は上がらず経済が停滞、同様に民主主義国家でありながら明るく楽天的ラテン系民族国家であるギリシャのように、就労人口の75%以上が公務員であったという国の経済も、以前には低迷破綻してDeFault扱いに陥ったのである。元来人間とは悪い事もするしズルい事もする動物なのだから、相互牽制や情報開示・責任の所在の明確化と信賞必罰が肝要。人は褒められた方がPerformance上がるという。褒めて育てる褒め殺し=ピグマリオン効果である。人にはMerkmal=目標達成までの道程が必要であり墾田永代私財法である。当該法律を発布施行した昔の日本指導者を見習って参考にして、自民党長期独裁政権指導者達にはもう少しは勉強をしてもらいたい。奈良時代中期の聖武天皇の方が余程国民・住民の事を考えていた。現代が近代国民国家になったというのはIKKOさんの”まぼろし~!”なのかも知れない。痛いの痛いの”どんだけ~!”である。

自分の仕事を増やしたくない公務員警察官は「民事不介入」と念仏を唱えるだけでストーカー達はいつまでも野放し。殺害された被害者には「何度か相談には乗ってあげた」と毎度同じ言い訳するだけでいつも被害者達は浮かばれない。まるで心療内科の精神科医「相談には乗るけれど何もしない」と言うカウンセラー状態。安心して下さい!厚労省だって負けてはいない。幼児虐待懸念が住民から警察に通報があっても、警察は児相に報告書を回すだけの縦割り行政業務のたらい回しをするだけ。住民が警察を信頼して頼りにしているからこそ警察に通報するという期待や使命感&正義感などよりも、仕事したくない症候群・身の保身&組織防衛欲求の方が皆一律一様に勝ってる組織であるらしい。警察から報告を受けたその児童相談所も、当該自宅に対して「電話した」「留守だった」「面会したがその様子は見受けられなかった」等と怠慢・無責任対応のお手本みたいな対応ばかりで、幼気で歳端も行かない幼児たちがこれから何人、虐待死・拷問死されれば気が済むのか?その後同じ事件案件は何度繰り返されても対応は改善されず、児相担当者達は改革する意思も意識も、その気もやる気もその気配すら何もない。政治改革と同じで何もやりたくない・やらない症候群の公務員組織連合体群である。有名無実で無用の長物の代名詞でもある教育委員会も同様で、学校での虐めの相談があっても、それを認めず対応せず警察同様に被害者児童本人が殺されるか自殺でもしない限り動かないし何もしない。北海道の教育委員会の対応を見ても分かるように児童の自殺案件でさえも、始めは中々虐めを認めず遺族側の検察審議会への再調査依頼の結果の末、3年後にようやく「虐めの存在」は認めたが何と「相当因果関係は認められなかった」と宣った。要するに虐めがあったことは認めるけれど「自殺は虐めとは関係なく勝手に自殺しただけ」と言っている。組織防衛本能の強い役人である教育委員会は「何も関係無いヨ知らないヨ」と言ってるのである。被害児童の自殺後にいつも謝罪会見ばかりが同じ台詞で行われるのみで、いつまで経っても決して改善改革が行われないのは何故なのか?日本は人権意識が低くあり、尚且つ常に他人事対応の今の日本人は、ロシア人の如く政治に無関心・無責任の風潮があって、日本人の昔の武士道・大和魂は絵巻物語の神話になっているらしい。

宝塚歌劇団の24歳劇団員が虐めで自殺しても、お偉いさんの宝塚責任者達は当初会見で堂々と「虐めは無かった」を繰り返し豪語強弁して責任逃れの主張を強行した。歌劇団と言う客商売の為にか1年後、ようやく遺族側の抗議に仕方無く折れてやっと虐めの存在を認めたが、政治家と同じような棒読み謝罪会見を開いたけれども、虐め行為で名指しされた先輩劇団員達からの謝罪は認めず、遺族には誰が書いたかも分からない「謝罪文」を手渡す事だけを約束した。捏造・代筆可能な幼稚園児並のアオヤギさんからのお手紙は着いたのであろうか?人権欠如の差別扱いは大手Mediaだって負けてはいない。 Literacy&Intelligenceのお手本であるべきMass Mediaの日本テレビと講談社も人権欠如・差別対応の旧体依然とした組織構造を長年変えようともせず、人気Comic「セクシー田中さん」の作者である芦原妃名子さんを自殺に追いやり、それに対しての会見さえも6ヶ月間もの間開かずに無関係・無関心・無視を装い、おとぼけ三四郎で貫き通そうとした。Comicのドラマ化での原作者とストーリー脚本家との打ち合わせの場に原作者本人は「作者vs脚本家」間で喧嘩になるからと日本TV局側は同席・列席を認めず、それが慣行であると豪語反論。講談社側もそれに応じて原作者よりも日本TV側への忖度とその意向ばかり尊重して、その同席させない事に同意していた。これにより誰も原作者の味方をしてくれず、原作者の芦原妃名子さん一人が孤立化・孤独化してしまったのは明白。原作者芦原妃名子さんの意向・希望である「原作に忠実に」と言うだけの簡単な約束をも守らず反故にして作者の意思・希望・約束を完全に無視したのが自殺の原因。今の日本人は他人との約束・斟酌は簡単に破り、自分に利益ある所には忖度・胡麻すりをしまくる姑息でイヤラシイ人間達ばかりになった。この様な人種達に対して自殺して訴えても、その様な感性の相手だから何も感じず犬死するだけであるので、生きて「物言う株主」の如く嫌らしい存在になって事実を世間に詳らかにして訴え続けるべきである。そんな反論する事すら出来ない幼児達は可哀想でならない。日本の幼児達は日本人の無責任さと公務員官僚達の不作為と言うSabotageに依って見殺しにされ続けている。こんな状態に何ら手を付けずに無対応で責任逃ればかりしていて、少子化対策だ子供手当支援だとばかり宣う政治家達の公約は、片手落ちで正に上手の手から水である。

アメリカのように虐待容疑の家庭があったら即刻親から子供を取り上げ、親が裁判でも起こさない限り子供を取り戻せないくらいの制度改革・改善をしないのは何故?これは虐待死・拷問殺人を黙認・容認した無責任対応の児相担当者&児相責任者らが何ら責任を負わず追及されず責任すら感じず注意・譴責すら行われないからである。これは人権無視の幼児差別であり人権後進国対応以外の何者でもない。人権無視とは究極の差別対応である。戦争は差別と貧困&教育の欠如という三要素で起こるもの。日本の人権民意度は世界132位だとか。ロシアが138位で民意度の低さはロシアに近い。かと思えば元ジャニーズの退所者の一人がJonny喜多川社長本人が逝去後、性加害があったと国連人権委員会に出席演説して日本の恥を世界に広め復讐を果たした。その後は「我も我も」と性加害被害者が名乗り出てきて、その数は300人近くに上った。韓国慰安婦に対して日本政府が補償金を出した時にも70万人以上の韓国人が「我も我も」と続々と名乗りを上げ、更にその遺族までもが請求しだした構図とよく似ていて被る。そもそも性加害とは何ぞや? 強制猥褻・不同意性交・強制性交・強姦・準強姦・暴行・迷惑防止条例・パワハラ・セクハラにも該当しない新語・流行語であり一体何をされたのか不明朗な造語である。加害者本人の死亡後、後任の第三者である他人から謝罪の言葉をもらっても納得出来るものなのか?訴え出る事はとても良い事ではあるが、それにしても如何せん遅すぎるし、加害者本人不在の「死人に口なし」の状態でしか物を言えないのは余りにも意気地がなさすぎるし男らしくない。今この言葉は差別用語であるとの事なので(面倒臭くてややこしい時代)言い換えれば、潔くない・遅すぎる・悠長・意気地無し・弱腰・軟弱・卑怯者・武士道精神無縁者か? だからNET上に「要するに金目的か!」と書き込まれてしまうのである。現在拝金主義日本人の神である心の拠り所は今やお金であるから。国連で演説するなら、日本人拉致被害者問題の件も一緒に報告・発表・糾弾してきてもらいたかった。

北海道の出没熊駆除要請に出動を拒否した駆除ハンター達の拒否理由も、「熊駆除1頭55000円・出動1万3000円では高校生のアルバイト代だ」と主張して出動依頼を拒否している。「熊に遭遇しない時&駆除しない時も危険手当として日当55000円が妥当・駆除時には13万円以上が必要。相手は強力な武器を持ったゲリラであるから危険手当が必要」と日本人の神である紙の金の要求をしているという。高額ギャラの危険手当を支払ってあげて対HAMASや対ロシアでUkraineの為に戦ってもらいましょう!値上げ交渉は当然の権利であってもっともであるけれど、地道な交渉と説得も無く、まるで故 安倍総理のごとく突然の職場放棄は人命被害に繋がるだけに如何なものか。ハンター達の気持ちも理解出来るが、日本人にはボランティア精神という気持ちが根付いていない現れのようにも思える。いまの経済界の賃金上昇Base Upの機運に乗ろうとして「我も我も」と要求したのかも?とまたNET上に書き込まれること必至である。長時間労働&夜勤勤務有り&人命相手でミスが許されず常に緊張を要する業務にも拘らず、ただ信念と使命感だけで医師よりも薄給に甘んじている看護師たちのBaseUpはいつも話題に上がらず、諸外国のようにストも行わない日本の看護師達に感謝する人間はどれだけいるのか?自分が病気・怪我にでも会わない限り一顧だにしないのは、児相対応・警察対応・政治家対応に無関心なのと同じで、自分がその当事者にならない限り無関心なのが今の日本人である。「情けは人の為ならず」と言う日本語は現在の日本人にには理解されず死語になって久しいらしい。

こんな矢先に先進G7諸国内で唯一稀有である、観光地&飲食店での二重価格を導入すべき論が今熱を帯びてきいる。それも極端な大幅値上げの二重価格である。本来二重価格とは「大廉売50%off」と銘打っておきながら、実際は従来の元値を50%ほど高い値札を急遽付け換えそこからの50%o値引きOffという「詐欺まがいの二重価格の値札付け替え販売」の事を指して二重価格と言う。これを法律用語で欺瞞と呼び刑法の準詐欺罪にあたる。しかし軽犯罪法の立ち小便と同じく微罪なので検挙・立件されないだけ。法律の刑法に規定されている欺瞞行為&日本国憲法に規定されている平等・公平の理念は外国人だけ除外するのは人種差別そのものであり、韓国司法の「反日無罪」「窃盗OK」と同じである。この明白な人種差別扱い行為を愛知県&大阪府の首長達が率先垂範して宣言して、民間業者を扇動し日本人の人種差別大国アピールを行うのは如何なものか?こんな時にこそ国の方向性を示すべき立場にある国会議員達も「民間業者のやってる事」「民事不介入」とどこかの役所の決め台詞を宣うのは間違いない。もしくは「我関せず」「関係ない」と黙して語らずの拒否権・黙秘権発動であろう。今日本がやろうとしてる二重価格は欺瞞と呼ばれる詐欺に近い値段設定値付けであり、更に人種差別扱い対応そのものである事は間違いない。こんな日本に誰がしたのか?小学校の運動会の徒競走で走った全員が皆1等賞だという、世界にも類を見ない奇妙な平等意識は一体どこへ行ってしまったのか?

日本の円安状態持続での訪日客の円安恩恵までをも恨み骨髄で、対外人観光客にだけ高額別枠値段を設定して「Gloval Standardで世界標準に合わせただけ」等と誇らしげに主張するRacist差別主義者の輩を見てどうなのか? G7先進諸国では民主主義=平等を謳ってるのと、G7は元来先進富裕諸国だという自負とPrideからこのような議論すら湧き上がってきた事は今だかつて一度もない。日本は以前はGDP世界第2位であった時期もあったというPrideもなければ尊厳や自負もなく、今や日本経済だけでなく日本人の心も貧しくなってしまっていて、高額二重価格の設定は日本がRacist差別主義国家であると喧伝するようなものであると考えるのは自分だけで、心配する人間は他に誰もいなのか疑問?お金とは物を買うための手段であって集めて貯める目的のものではない。物やお金がいくらあっても幸せにはならない。勿論お金は無いよりもあった方が良いには越した事ないが、いくらあってもキリがなく心貧しい金持ちは際限なくお金を求めてしまうもの。預金通帳の数字が増えるのを眺めるのが生き甲斐らしい。今の日本人はGloval Standardとやらでベイル-トに国外逃亡した金の亡者カルロス・ゴーン化してるらしい。その国外逃亡を100億円の弁護料で請負い手助けしたのが、無罪請負人と名高い評判の日本人弘中弁護士である。拝金主義国日本・差別大国日本・汚職不正大国日本・人権後進国日本・スパイ天国日本・戦争放棄&防衛放棄国日本万歳!<幸せとは自分の心が決める-相田みつお>

38年振りの超円安目的で安い飲食&買い物を楽しみに来日した外人だけ差別扱いの高額値段を設定するのは人種差別扱い以外の何者でもない。黒人差別と同じである。何度かの海外渡航経験でこのような差別扱いは受けた事は一度もなく、逆にドイツでは過去に日独が元同盟国だったと言って特別に親切にしてもらったり、イタリアに於いては伊は開戦後3ヶ月で即刻降伏したのに日本は独軍降伏後も単独日本唯1国で最後まで世界67カ国を相手に戦い続けて凄い国だと尊敬までされた事もあった。(注=韓国では日本人価格と言うものがあって差別扱いされて気分が悪かった。韓国は反日国家で反日無罪の国・反日教育国家なので仕方無い)高額二重価格設定で小銭稼いでどうなのか?国際収支の赤字にどれだけ貢献するというのか?今こんな事をしても円安傾向が収束した時に残るのは「日本とは人種差別国家で感じ悪かった」という印象だけが残る。信用を築くには長い時間と努力を要するが、信用を失うのは一瞬で簡単である。第一に外人と日本人を差別区別するというけれど、中国人&韓国人で日本語が堪能で流暢・達者な外国人達はどのようにして見分けるのか?(日本人でもネプチューンの順チャンの顔はカンボジア人・次長課長は中国人のモノマネをネタにして受けている)日本在住の日本国籍を持った外国人はどうするのか?対案も無ければ思慮もVisionもLiteracyもない行政の短絡的で浅はかなOver Tourism対策である。

日本人は今やアベノミクスで失われた10年間で世界から取り残されていて、その結果国民が貧しいからどうしても二重差別価格を導入したいというなら「日本国籍者の免許書・保険証・マイナンバーカード提示者は1割引にする」程度であれば十分であり、それが両者双方にとっても納得出来る金額であるはず。それなのに日本Mediaは各局共に海外後進国・低開発国での二重価格をしきりに喧伝して放送。Peru マチュピチュ5000円vs1000円 Egypt ピラミッド1800円vs200円 India タージマハール 2100円vs90円を全面に出して二重価格導入を後方支援。愛知県清元市長が唐突に打ち出した、姫路城の入場料1000円を外国人だけ4倍以上の4300円にするという二重価格制を導入するとの宣言を正当化援護。大阪吉村知事もそれに追随して大阪城でも導入する予定と援護発言をした。それに続いて鎌倉の円覚寺も二重価格の導入を宣言。In Bound景気で大繁盛の飲食店群も続々二重価格導入宣言をし出した。日本の地方自治体が率先してこの様な差別発言をして外国人虐めのボッタリ差別値段の導入を宣言するものだから、露の起こしたUkraine戦争による諸物価高騰&燃料代高騰のツケもこの時とばかり、外国人だけから根拠も示さず4倍以上のボッタクリ二重価格制導入をブチ上げ、取れる所から搾取する作法のボッタクリ差別対応での御持て成しJapan。京都の祇園祭り等に於いても2023年から京都市観光課が特別観覧席を設けて、富裕層セレブ相手に一席40万円の特別観覧席を設けたけれど高額過ぎて売れず、2024年度は一席20万円に値下げしての販売に変更した。祭り見学だけで40万円席設定の根拠は何だったのか?無論根拠等は何も無いに等しく、徴税感覚での公務員の強突く張りで短絡的思考の浅ましい銭ゲバ根性と外国人訪日客の人種差別扱い助長政策に他ならず、日本人として謙虚・遠慮・恥の文化など思いやり精神・御持て成し精神etcなんぞはGloval Standardに従って過殴り捨てたらしい。従来、昭和の時代には極東の島国日本に外人旅行客が訪日するの事は珍しくて、わざわざ遠い国から高い航空運賃をかけて来てくれたお客様であると感謝して、外人割引というのがあったくらいの厚遇の逆差別待遇の時代もあった程である。その名残でか新宿御苑の入園料金50円を長年に亘り外人だけ無料で入園させていた高齢の受付係担当者が問題視された事があった。その後50円の入園料がなんと急遽1500円に激値上げされた。単なる庭園で一気に1500円への入園料大幅値上げの値段設定は如何なものか?500円程度で妥当なのではないのか?天皇家の庭としてボッタクリ値段ではないのか?新宿御苑は関東大震災後に天皇陛下が庶民に、天皇の御所庭園を無料開放した事が契機の新宿御苑公開の開放理由。そもそも物価高の現在まで50円というタダ同然の破格に安い値段設定を放置し続けてきた事、行政の怠慢自体が問題であろう。激値上げで儲かるのは天皇家ではなく宮内庁の公務員達であって、天皇家がセコイがめついとの印象を与えらてしまうだけ。それならば天皇家も英国王室のようにRoyal Brandを活かして天皇家にも商売を認めて、王室経費の一助にでも充てるように貢献策を検討したら如何か?公務員達は国民からの増税しか考えないし、そのような皇室維持費低減への貢献策を議論すらしない政治家とは一体何者なのか疑問しか湧かない。浅草浅草寺の仲見世通りの区有地店舗のテナント料に関しても、戦後設定の3000円~4000円という激安破格金額が今日まで放置されてきていた。行政がようやく8万円程度の値上げに踏み切ったが、それに応じない8軒の店舗が区と裁判になって今も係争中である。現地不動産業者によると現地の相場価格は一区画40万円~60万円と言われている。このような無駄な裁判費用出費に陥った原因は行政側の怠慢・仕事したくない・責任取りたくない・婆ぬきのババは引きたくないと言う公務員体質が、無駄な税金出費と不公平な店舗賃料の未徴収差別をもたらしている。不公平で差別的な賃料未徴収差別・公園を廃止にして幼児達の遊び場を奪う子供差別・公務員の怠慢仕事忌避を放置黙認し差別厚遇する政治家・アメリカでは今まで差別されてきた黒人が腹いせにアジア系東洋人に差別暴力を行っている。その腹いせに西洋人旅行者に対して人種差別扱いを公然と行おうとしてる国が今の日本である。関係のない所に迷惑をかけ困らせる事を目的とするOver Tourism対策は正に中東のテロと同じである。差別・依怙贔屓をされた側はどう思うのか?その共感力も想像力も無くなったLiteracy無き今の日本人。戦争は差別・貧困・教育の欠如の3つの要件で起きるもの。戦争の種を撒き散らす日本人の頭の中はやはりお花畑であるとしか説明がつかない。