前回から随分時間が空いてしまった。

ブログを書くのが慣れていないので、書くのが億劫になってしまったりする。

でも、今日は書いてみようという気持ちがわいてきたので、気の向くまま書いてみよう。


大学を卒業して、26年が経った。本当にあっという間の年月だったが、その間に勤めた企業はなんと9社になってしまった。まさか自分がこんなに転職を繰り返す人生になるとは夢にも思わなかった...

最初の転職を決断した時は随分悩んだものだ。

当時日本企業に入社し、一生そこで勤めようと思っていたのだから。

ところが自分が進みたい分野とはまったく違った世界しかないことがわかってから転職に踏み切るまで時間がかかった。しかし、その次からはだんだんと躊躇なく転職をするようになった。慣れというのは恐ろしいもの。

ただ、転職の要諦は必ずステップアップすることなのである。だが、現実にはそうもいかないこともままあるのだ。


1社目 D社 日系量販店

2社目 B社 外資系広告代理店

3社目 G社 外資系広告代理店

4社目 G社 外資系IT企業

5社目 J社 外資系自動車合弁E-コマース企業

6社目 F社 日系コンビニ系E-コマース企業

7社目 A社 外資系コスメ企業

8社目 S社 外資系マーケティングコンサルティング企業

9社目 A社 外資系ダイレクトセリング企業


この中で純粋にステップアップといえる転職は5社目のJ社までである。

全てに耐えることしかなかった1社目。大変ではあったががんばったことが結果につながった2社目から4社目。

5社目の転職で小規模ながら世界的な自動車会社の合弁企業の社長になった。

成長企業やネットバブルで浮き足立った私の野望に現実の厳しさをつきつけた5社目。

わずか2年で解散という株主の決定は新米社長の私にとってはとても乗り越えることができない壁だった。

5社目から8社目までの9年間は人生の試練ともいえる期間で、年収の乱高下やリストラの遭遇に2度も会った。

もちろん負の面ばかりではない。様々な業界にいたこともあり、普通では経験できない多種多様なビジネスモデルやアライアンス、企業文化を吸収できた。だから、アイデアの引き出しはいっぱいある。

ちょっとやそっとのことではたじろかない図太さと危機対応も身についたと思う。

今9社目にきてようやく長く勤めたい(られそうな)ところに来たという気持ちがある。

もう転職はしたくない。転職にはかなりのエネルギーを必要とするからだ。

50を目前にした今、外資の荒波の中でよく生き抜いてこれたと思うが、これからはじっくり腰を据えて今後の10年ちょっとの期間に取り組んで行きたいと思う。

どこまで行けるか、どうなっていくのかは神のみぞ知るではあるが、人生の集大成に向けて楽しいワークスタイルにしていきたい。

それぞれの会社での出来事はまた後日触れてみたい。


外資系第一世代の父が辿った生き方になんだか似てきてしまっているのは血筋なのか。

父は50歳のときに外資勤務から起業するという行為に出たが、今のところ私にはその気はないが...








私の外資系企業との出会いは小学生の頃まで遡る。


父が外資系企業に勤務していたのである。

今から40年以上前に父は日系企業から外資に転職していた。

マーケットリサーチの会社で世界的なネットワークを持っていたが、

小学生だった私には何をやっている会社なのか、皆目見当がつかなかった。

友人とよく親の会社の話をする機会があったが、説明に苦慮したことを覚えている。

よく居間のテーブルの上に父が持って帰ってきた英文の書類が置いてあったが、

もちろん何が書いてあるのかわかるはずもなく、たまに説明もしてはくれたがやっぱりわからなかった。


たまに休日に父が私を会社に連れていき、他に誰も居ないオフィスで仕事をしていたことがある。

会社の建物は今ではもう存在していないが、旧華族の洋館でそれは瀟洒であった。

前に東洋英和女子学院があり、石造りの門を入ると砂利がしきつめられたアプローチがあって、玄関には

ファサードが掛かっていた。

建物は2階建てで、その2階の大きな暖炉があるリビングルームにウッドの大きな机が2つあり、正面に社長の机、そして脇に父の机が設置してあった。その部屋の奥に会議室があり、ウッドのラウンドテーブルの周りに椅子が10脚ほど並べられていた。

私は父が仕事をしている間、その会議室の一端で学校の宿題をしていた。

窓から見える東京タワーの夜景を今でも鮮明に覚えている。


華族の洋館のオフィスなんて当時でもめずらしかっただろうし、今では存在すらしていないだろう。

とても優雅なその佇まいが、私の外資系企業との出会いであり、今でも外資系という響きのどこか憧れるそして惹かれるものがあるのである。


外資企業設立が日本で解禁されてから、父はおそらく第一世代にあたるだろう。

当時転職など想像すらされない時代であった。

まだ当時は日本人への差別的待遇も残っていたというし(父の会社では設立当時はトイレが外国人社員とローカル日本人と別々だった)、外資で働くことへの抵抗や偏見も相当強かった頃である。


はじめまして。


初めてブログを書く、ハードロック好きの中年外資系会社員です。


08年はアメリカに端を発したグローバル・リセッションが世界を巻き込んだ年でした。


外資系を渡り歩いてきた私にとって、まさしく世界不況の嵐に巻き込まれた1年でもありました。


3月末と11月の二度に及ぶ退職、8ヶ月間の就職活動をするに至りました。


幸い、年末に次が見つかり事なきを得ましたが、つくづくリスキーな人生を歩んでいるなと思いました。


昨年は例外的な年でもありましたが、外資に長く勤めていると日本市場撤退、事業閉鎖、リストラ、クビ等のリスクに直面することは1度や2度はあります。


これから外資での生き方や転職についてのあれこれを思いつくまま綴っていこうかなと思っております。