高校生の時に初めてチームのエースになって初めてキャプテンを任命されてそれからの人生もリーダー的な立場にたくさん立たせてもらいました。
大学でもキャプテンをして、卒業してからはコーチをして、指導者として監督になって。
あたしは元々リーダー気質だったわけではなく、立場に育てられたというか、肩書きがつくと人はそれなりにそれっぽくなるものです。
高校生の頃は選手として闘いながらチームをまとめるということが上手くできず、ワガママで甘ったれなあたしは先生に怒られてばかりで、チームメイトに助けられてばかりでした。
リーダーは正直であること。
口にした言葉は実行すること。
人の立場に立って物事を考えること。
チームにとって何をするべきか。
自分のことより人のこと。
17歳でキャプテンになってそれまでの自分の中にない感覚をとことん叩き込まれました。
「柳川」という名誉あるチームの顔になることは責任もありましたが、同時に誇りでもあり、色々な場所で注目してもらえることは喜びでもありました。
でも、あたしは未熟でキャプテンらしいことは何一つできず卒業。
チームで勝つこともできませんでした。
負けた責任はお前にある。
初めてキャプテンとして挑んだ全国大会で負けた時に先生に言われて、それからずっとその言葉の意味を考えて工夫をしてあたしなりに努力をして夏のインターハイに挑みました。
しかし、思うような結果は出せませんでした。
応援してくれる多くの人のガッカリした顔は今でも忘れられません。
自分が勝って喜んでくれる人がたくさんいるということは同じだけ負けた時も悔しいと思ってくれる人がいるのです。
最後の観客席への挨拶で頭を下げたまま顔を上げることができませんでした。
そんなダメすぎるあたしが卒業する時のことです。
いつもどんな時も厳しかった監督さんが
「お前のことは自信を持って世の中に送り出せる。いい人間に成長した。今までおつかれさま。いいキャプテンだったよ。」
と、笑って肩を叩いてくれました。
その手が温かくて、ここに入学して良かったと改めて思えた瞬間。
人の想いや期待を背負うことの重さと誰かに支えられる心強さを痛感したほろ苦いキャプテンデビューの高校生活でした。
そして、大学に進学してからも3年生の秋にキャプテン生活はやってきました。
1年生の途中でオーストラリアに留学して、散々やりたい放題のあたしが筑波大のキャプテン…
立候補する時は正直迷いましたが、チームのみんなに、特に同期にはたくさん迷惑をかけた分だけ残りの3年間は全力で部活に捧げると誓って帰国したオーストラリア。
その時の決意はいつも心にあったので自分からみんなにお願いをしてキャプテンをやらせてもらうことにしました。
筑波大は当時、関東1部リーグに所属していて常に日本一を目指すチームでした。
チームメイトにはあたしよりはるかに強い後輩がたくさんいて、小さな頃から憧れていた同期がいて、監督さんは高校の大先輩で、応援してくれるOBのみなさんがたくさんいる素敵なチームでした。
そして、部活は自主性を求められました。
運営する幹部の学生が何でも決められて、部活の時間もオフの日も、練習メニューも何から何まで自由にやらせてもらえる部活でした。
とにかくもう、あたしは「日本一」になることだけしか頭になくて、それがチームのみんなに対する恩返しだと思っていたし、柳川高校に対する恩返しにもなると思っていました。
たくさんトレーニングを組み込んで、たくさんミーティングをして、自分の熱い想いを伝えて。
しかし、大学の部活には色んな学部の色んな思いを持った20人弱の仲間がいました。
そして、色々なことを抱えてみんな部活を頑張っていました。
怪我をして思うように練習ができない子。
試合でなかなか勝てない努力家の子。
学業との両立に苦しむ子。
どうしてもテニスと向き合えない子。
部活以外にも夢がある子。
恋愛に悩む子。
チームに馴染めなくて悩む子。
どうにか力になりたくて、たくさんたくさんチームメイトと向き合いました。
初めは「勝つためにキャプテンとして」動いているだけでしたが、みんなと向き合っていると、
チームメイト全員が居心地のいい部活にしていきたい。
そんな想いも生まれました。
勝つことだけが全てじゃない。
人生とは…
そんなことを常に考えさせられました。
それでも、あたしの中の「日本一」へのこだわりもブレることなく、時には非情な判断をしたり、きつい言葉を投げかけてしまったり、チームメイトには痛い思いをたくさんさせてしました。
キャプテンとしてチームを率いていく中で、あたしの中にはたくさんの矛盾と葛藤が溢れかえっていました。
どんなに苦しくても最後にてっぺんに立って見える光景が全てを吹き飛ばしてくれる。
それがあたしの信念でした。
それでも、勝てなかった。
日本一への道は本当に遠かった。
敗者は勝者を称えて悔しい光景を目に焼き付けて前に進む。
それは、これまで負けるたびにあたしがずっと守ってきた儀式。
でも、人生最後の日本一への挑戦が終わった時はどうしても耐えられなくて同期の肩を借りて泣いてしまいました。
本当に悔しかった。
でも、泣いているあたしの頭をぽんぽんとしてくれた同期の手がとてもとても温かくて、このチームで良かったとも思えた時間。
あ、ここでも支えられてばっかりだったなと思った表彰式でした。
あたしに何が足りなかったのか。
チームに何が足りなかったのか。
よくやったよ。なんて言葉はいらない。
勝たなきゃ意味がない。
でも、あたしは弱音を吐いちゃいけない。
ありがとうを伝えなくちゃ。
みんなにありがとうを伝えなくちゃ。
後輩に前を向かせなきゃ。
そんな複雑なたくさんの思いの中でキャプテンとして最後のミーティングをしました。
あたしは笑って終わりたかったのですが正直なところ、自分が何を話したのかほとんど覚えていません。
ただ、泣きじゃくりながら
「あたしたちの代では絶対に日本一に」
何人もの後輩が口にしてくれて、物凄く嬉しかったことだけは覚えています。
それと同時に、あたしはもう目指すことができないんだ…ということも突き付けられて淋しかったのも事実。
今でもその時を思い出して、考えたり、思うことはたくさんあります。
でも、全てひっくるめて楽しかった。
本当に楽しくて熱い時間でした。
あたしみたいな人間についてきてくれたみんなには感謝の気持ちしかありません。
今更ながら、みんなありがとう。
キャプテンという立場を経験することで自分の弱さにたくさん気付かされました。
と、同時にその弱さを奮い立たせてくれたのもキャプテンという立場でした。
仲間はたくさんいるのに孤独を感じてしまうのは完全にあたしの弱さでした。
人の上に立つには大きな器と優しい強さが絶対に必要。
そして、何より続けることは素晴らしい。
あたしはテニスを投げ出した人間だから、色んなことを続けている人に出会うと尊敬とヤキモチと自分の中にあるちょっとした後悔に出会います。
でも、こうやって熱かった頃の思いは消えないことも思い出させてもらいます。
だから、今を一生懸命生きる。
それがあたしの選んだ道。
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