これは自然と繋がり易くなるための媒体なんだ!』


自然って気持ちいい…

森の中にいると、澄んだ空気や心地良い風に心が洗われる気分になる事がある。

でも、いつでも簡単に森にいける訳でもない時、その効果をいつでも手に入れる方法、それが媒体!

それに気が付いた時に全ての意味が繋がった。

私は「ふらのあ」というところの毛糸を使って編み物をしています。

その糸は、国産の綿で人の手でよられた糸でその糸を使って手袋、ネックウォーマーとか編んできました。

私は特に腕が痛くてそのアームウォーマーを使っているのですが、着けると不思議と痛みが少なくなります。

そのおかげで編み物も長く続けることができます。

なんでそういう事になるのか?なんで痛みが少なくなるの?

ずっとそう思っていたのですが、それ(私のアームウォーマー)が自然と繋がり易くするための媒体だ!ということに気が付いてめっちゃくちゃ納得したのです。


私のアームウォーマーは、日本の自然の中で栽培され、人の手を通して糸にされ、人の手により作り出されていて、自然の気持ち良さを私の腕に伝え易くしている媒体だった!という事に気がついてから、色んなことを考えてみたら…あれよあれよと全てが繋がっていって、私のなんで?と思っていたことが分かってしまいました。


風が媒体だった

私は『自然と繋がった』という経験をしたことがあります。

森の中であれこれ考えている時に、心地良い風と共に光に包まれた感じがして、物凄い安心感を運んで来てくれた。

自然が私に語りかけてくれたと思っています。

そしてその感じを運んで来てくれるのは風なんだという事に気が付きました。

自然(大地、木、花、草)は動くこともないし、言葉も持たない(持ってるかもしれないが人間の言葉じゃない)

そんな自然が心を通わす手段として風を媒体として選んだということでしょう。


野菜が媒体だった 

自然農の野菜達はめっちゃ強力な媒体

これは身体に取り込むから直接的な媒体なので、ちょっと違った見解だけど。色んなものを繋げてくれると言う点で媒体かな?


自然農で育った野菜が何故健康にいいのか?

何故同じ種類の野菜でも沢山の栄養を持っているのか?(知らんけど多分栄養多いと思う、味濃いし)

自然農の野菜はとってもお喋りなのだろう…っていうのはすごく沢山の自然の情報を持っているから。

どう言うことかというと…

自然農で育つ時、肥料を使わないとなるとその他の方法で栄養を手に入れる必要がある。そんな時には菌と友達になり栄養をもらっているそうだ。

薬を使わない自然農では虫や病気から身を守る必要がある時、植物たちは大きな情報コミュニティーを作って様々な困難から逃れるそうだ。

そんなこんなで、人間でいうと、沢山の大人の中で沢山の情報を得ながら逞しい大人に成長している…って事かな。

ってことで、私たちはその情報、自然からの癒しの情報(栄養を含む)を食べることで、お喋りな野菜たちは私たちの体に沢山話しかけてくれて健康にしてくれます。

なんでお喋りなのかって?…それは人間の愛情をたっぷり受けた野菜達だからです。

自然農を実践している人たちは毎日野菜に顔を見せ、声を掛け、手を掛けています。

その分沢山の愛情を返してくれているのでしょう。

そう考えてみると、育ててくれた人に特に愛情を返してくれると思うから、自分で育てた野菜達はもっと沢山の愛情で健康を与えてくれるかも…って、それって人間のエゴ的な考えだね…

でもとにかく、感謝だよね…本当に感謝しかない。種を蒔くだけで育ててくれる土さんに感謝!

多分、慣行農法であっても愛情を受けて育った野菜達はものすごくおしゃべりだと思うんだよね…ね!そうだよね野菜さん


自然と繋がることは難しい?

例えばテレビのコマーシャル、新聞のチラシ、ネットの情報。そういう媒体は多ければ多いほど情報は広がりやすい。

ってことは自然と繋がり易くするためには、その媒体を増やせばいいってことだと思った。

自然からの癒しを得るために、私のアームウォーマーや自然栽培野菜、水だってそう水道水より山の水が良いよね。

いっその事山に住むか!笑笑

でも実際、田舎に移住する人最近多いよね。だって部屋に観葉植物を入れると…

その植物が媒体となって自然を運んでくれるよね、だけどその植物が枯れてしまう場合、媒体元(大きな自然)と繋がりが切れてしまっているのが原因と思うから、その自然をなんとかして与えてあげないといけないよね…部屋に自然光を入れるとか風通しを良くするとかね。

そう考えると、植物のためには何が良いのかが見えてくる。そうして人間のために何が良いのかも見えてくる。


もともと人間も自然の一部

人間も自然から離れたら生きていけないんだよね。

色んな病気は、人間が自然から離れたために起こってしまった必然なんだって、思うんだよね。

植物が部屋に入れられて枯れてしまうように、人間も大きな自然から切り離された時、病気になって死んでしまうんだ…自分の人生をまっとうすることなく…


全体は繋がっている

私たちは自然と繋がっていると思う。

貴方の目の前にあるその物は、媒体が少ないかもしれないし…多いかもしれない。でもそれらが自然からの由来であるのは確かで…

人間はそこにある物でしかそれを作ることは出来ないし、空気だって自然なのだから。

だから、どこにいても繋がることは出来る!その気持ちと、力があれば。

でも、力がある人なんてそうそう居ない…だから媒体が必要なんだ

例えば木の家、コンクリートの家より媒体が多い気がする。

暖房のエアコンより薪ストーブ

プラスチックのカゴより竹のザル

扇風機の風より外の風

木、竹、風。ねえ?全部お喋りって感じしない?沢山の媒体持ってそうじゃない?



あと書き


『自然から癒しを得る』って言葉に違和感がある

何故だろう、この文章を書く時にこの言葉だけは避けたい気分だった。

なんだか自然から何かを奪い取ってる気分

自然を軽視している気分になる。

癒しは得るものじゃなくて、与えるものだから?

そっか癒しをもらえるって言えば良いのか!

OK!了解しました!