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「死にたい」という母の言葉に・・③
オンボロ・・・か
たしかにね![]()
私は道代さんと談笑している母を改めてまじまじとみつめた。
昔からくせ毛で多毛だった母の髪
今ではすっかり白髪頭になり、ピンクの地肌が透けてみえるほど薄くなってしまった。
身体もいつのまにか骨に皮を被せただけのようにすっかり痩せてしまったし・・![]()
手足の皮膚も薄くなって、この前なんか絆創膏の粘着テープで簡単に皮膚が剥がれてしまってぎょっ
としたなんてこともあった。
爪だって普通の爪切りが使用できないほどもろくボロボロになっていて
看護師さんにお願いして専用の爪やすりで優しくお手入れをしてもらうようになった。
それに
筋肉も衰えてきたせいで自分のからだを支えることもシンドくて椅子に長く座っていられず、ベッドに横になることも増えた。
また、便意を催してトイレ
に行くも、踏ん張る力も弱くなったせいで結局「出なかった
」といって残念そうに戻ってくるなんてことは日常茶飯事で
苦労の末ようやく出た💩暁には
「ようやく出たわ〜
」
「やったーおめでとうー
」
と2人で手を取り合って喜んだものだ。(笑)\(^o^)/\(^o^)/![]()
心臓💓も徐々に弱くなってたから、頻脈とか不整脈とか言われて最初は大騒ぎしてたけど、
処方されている投薬以外に適切な対処法もないとのことで・・![]()
それからは脈を測るたびに「脈が飛んでますね」とか言われても
「はぁそうですかぁ・・」と誰も驚かなくなっていた。![]()
母は日々
そんな痛みや不調と戦いながら少しづつ劣化して崩れていく自分の身体に
「まったくこのオンボロは!しっかりしなさい![]()
」
と叱咤激励をしていたのだった。![]()
しかもつらいのは身体だけではない。
晩年母はトイレに間に合わなくて粗相をして下着🩲を汚してしまうことが何度かあった。
ある朝私が実家につくとそこには
「仕方のないことだよ 大丈夫だよ」
と優しく汚物を後始末をしてくれている家族の傍らで申し訳無さそうに
「すみません すみません![]()
」
と何度も謝っている小さな母の姿があった。
私は思わずギュウっと胸が締め付けられるほど切ない気持ち
になってしまった。
「迷惑をかけたくない」
そんな自分の思いに反して誰かに頼らざるを得ない現実。
『老いる』ということはそういうことなのだろうが
人一倍そんな思いの強い母にとってはそれがどれだけ苦痛だっただろうか・・
それにしてもそんな状態・・・
いつかは終わりを迎えるとはいえ
もし自分だったら果たして耐えられるだろうか
いやいや根性のないわたしなら間違いなく“死にたくなる”
だろうと思う。
おそらく
母の『死にたい』という言葉には…
容赦なく訪れる身体の衰えや痛みと更には耐え難い心の痛み
“もういっそのこと消えてしまいたい”と全てを投げ出したくなるような
とにかく私の想像以上に
言葉では形容し難いどうしようもなく複雑な思いがたくさん込められているのではないか
『あぁ…母は頑張っているんだなぁ』![]()
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そう思うとなんだかちょっと母への尊敬の気持ちが湧いた。
道代さんの言葉がきっかけになり
それ以来
私はそんな懸命に頑張っている母に対して“100歳まで頑張ろう”などとは言えなくなった。
(もちろん長生きはしてほしいが…)
また母の口からも「死にたい」とか「オンボロ」などという類いの言葉は聞かれなくなった。
母が生涯を終える日まで私に出来ることは
ただただ1日1日を一瞬一瞬を懸命に生きる母をそばで支えること。
そして母の幸せな笑顔が沢山みられるように…と願いながら過ごすことだと思った。
その後も母はお陰様で寝たきりにもならずに
ゆっくりだがトイレにも自力で行けたし
食べる量は減っていったがちゃんと食欲もあり(笑)
認知症も少しずつ進んではいたがある程度普通に会話もできた。
そんな母の頑張りは介護をする身としても非常に助かったしありがたかった。![]()
そうして穏やかに月日は流れ
母は今年も無事に自宅で91歳の誕生日を迎えることができた。![]()
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今年の冬も風邪一つひかずなんとか乗り切れたことに安堵をしていた頃のこと。
道代さんは訪問してくださった日の帰り際に母のいないところで突然私に言った。
「お母さん、今は薬でなんとかお元気に暮らせていますけど・・
心臓がかなり弱ってきていますのでもし風邪などなにかあったら、ちょっとしたことでもガタガタと一気に悪くなってしまいます。どうか気をつけてくださいね」![]()
何十人もの高齢者に関わってきたベテラン看護師さんの言葉はさすがに信ぴょう性があっただけに
その言葉を聞いた時、私はドキッ
として緊張が走った。
直接的ではないものの『死』というものがもはやそう遠くない現実になることを覚悟しなければならないということだ。
わかってる。(頭では・・・
)
でも
介護をし始めてからこれまで11年間
どんなに体調を崩しても不死鳥のように必ず蘇る母の生命力
だ
きっとまだまだ大丈夫!
そう言い聞かせながら風邪などひかせないようにと慎重に過ごしていたが
数カ月後
その忠告通りのことがおきてしまった。
5月のゴールデン・ウィークが過ぎ季節が夏に向かおうとしていた頃だ。
母は軽い咳から始まり、みるみる悪化して3日後には緊急入院、“肺炎”と診断されてしまった。
入院時に医師より万一の時の“延命治療”について聞かれた。
戸惑う私に、
母が高齢であることや心不全などの持病があることで急変する可能性があるとの説明があり
思ったよりも厳しい状況であることを知った。
母からは近しい方が亡くなるたびに
「あたしの時は延命治療はやめてね!」とはっきり言われていたので延命治療は断り、
「それでも万一の時は出来るだけ痛みや苦しみを取り除いてあげてほしい」とお願いした。
…その万が一は突然に、そして予想以上に早く訪れた。
母が入院して3日後
急変の知らせを受け駆けつけた時
「お母様はつい先程…静かに息を引き取られました。」と看護師から告げられた。
信じられない気持ちで病室に入ると
モニターの数値は0になっていて
母は病室のベッドに仰向けになり動かなくなっていた。
もう現実を認めざるをえないのだと知ったとき
身体の奥から込み上がる感情とともにとめどなく涙が溢れ出た。
「母さん、母さん」![]()
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カサカサしたまだ少し温もりの残った手を握り私は何度も声をかけた。
母さん、本当によく頑張ったね
お疲れ様!
🍀🍀🍀🍀
人は苦しい時、“言葉”にして誰かに聞いてもらうだけでその痛みやつらい気持ちが和らぐことがあるという。
私はこの11年間ずっと母のそばにいられたお陰で、母の飾らない素直な思いをたくさん聞くことができた。
これがほしいとか
あれは嫌だとか
嬉しい楽しい
ありがとう
悲しい淋しい
痛い
つらい
そして「死にたい」…
母はいつも子供のように感じたままを言葉にしてくれた。
なのに私は、イライラしたり上の空で聞いていたり面倒になって適当に生返事をしたりして、
未熟さ故にちゃんと受け止めてあげられないことも多々あって
もっと優しく包み込んであげれたら良かったのにと悔やまれることもあるけれど・・
それでも母にとっては
たとえどんな雑な反応だったとしても隣に
自分の素直な気持ちをいつでも吐き出せる娘がいたことで
少しは救いになっていたのかもしれない・・とそう思うことにした。![]()
そういえば…
亡くなる数時間前の面会で酸素マスクを外しながら訴えていた母の最後の言葉は
「お腹すいた」だったっけ。(笑)![]()
母はきっと最後まで『生きよう』として頑張っていたんだね。
🍀🍀🍀🍀
母が亡くなって半年が経った。
久々に母の大好きだった『サザエのおはぎ』を買ってお供えしようかな。![]()
なんて、そんなことを考えながら私は今日も母の遺影に手を合わせる。
『死にたい』という母の言葉に… 終わり


