誰にでも経験のあることだろう。

普段使わない引き出しの中には、古い写真、手紙、手帳が埋もれていて、

一段の引き出しの整理をするのにあっと言う間に数時間経ってしまう。

沢山の写真や手紙を見返し読み返してしまうからだ。

もう数十年前、外国から届いた手紙や送り主の記憶を辿る。是非パリに遊びにいらしてくださいと何度も書いてくれている。私はこの時、何を思ったのだろう。憧れのパリには行きたいと思ったはずだが。


若い頃のステージでの写真。若い頃の自分の表情は、あどけないけれど、自分で言うのも厚かましいけれどとても綺麗な表情だ。こんなふうにして歌っていたんだなぁ。


一番長い歳月、私の歌にピアノを弾いてくださったピアニストとの写真。ふたりとも若くて、生き生きとしている。私より十五歳ほど年上の方で、昨年11月にお亡くなりになった。今は天国で好きなお酒を飲んで、ピアノを弾いているだろうな。音楽だけでなく、お酒の飲み方、お料理の名人だったので、美味しいレシピも伝授してくれたり、人としての生き方まで教えてくださった。私はステージで歌い、その時間は幸せで、永遠に続くと思っていたのかもしれない。それほど、若かったのだ。一枚一枚の写真の中から、音楽も笑いもお喋りも聞こえてくるようだ。今でも会いたいなぁと思う。でも、どんなに会いたいと思っても、会えないのだと思うと、果てしなく寂しい気持ちになる。でも、想い出はいっぱいあるから、そんなことが何より幸せなことなのだ。想い出と再会することは、いつだって出来るのだから。


赤や黄色の和紙の表紙の手帳。数冊。

中学生の頃からの大親友のふたり、私の17歳のお誕生日のお祝いに、数十ページも手書きで、短編のメルヘン、詩、エッセイ、、清い心が書いた美しい文字で綴られている小冊子。

いままで何度か読み返してきたが、いつも何度でも感動してしまう。大親友のふたりは、教師と染色家、私は音楽で三人三様、まるで違うタイプ。

中学の頃から、一度として私のことをないがしろにしたり、裏切ったり、そんな心配は一ミリもなかった。どんな時でも状況でも、私を信じ、守ってくれると信じてきた。かれこれ40年の歳月にもなる。それぞれ個性的で、実に魅力的なふたりなのだ。

切せつと書かれた文章は、当時17歳で書いたものだが、無駄も無く成熟している。感心してしまう。そして、それより何より、真心の籠もったその贈り物に感動し、無性にふたりに会ってお喋りしたくなった。改めて「ありがとう」と言いたくなった。ありがとう!

私も当時から詩を書くのが好きだったので、同じように詩集をプレゼントした。親友だけでなく、好きな男の子にも詩集を贈った。

高校を卒業して20年以上経った時に、あの詩集は自分が死んだら棺に入れてもらうように遺言を書いておくからね、それほど嬉しかったのだよ、とそんなことを言われた。私の方が100倍も嬉しい。


母は毛筆で手紙を書いてくれた。。茶の道を極めた母は、いつも凜として美しかった。

今はもうそんなことは出来なくなっている。


年齢を重ねるほど、人の想いを大切に感じる。その優しさや痛みを、もっと強く感じる。

だから、写真や手紙の中で生きてる人々をよりいっそう愛おしく思うのだ。


明日は一番下の引き出しの整理をしよう。

引き出しの奥に眠る記憶と想い出に再会しよう。



via 松坂多恵子 Homepage
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