私が外してきた執着
分かってもらいたいっていうのも執着なんだよね
それこそ親だったり、親友、夫や妻
「なぜ分かってくれないの?」「こんなに頑張ってるのに」
これはたいてい、相手が悪い顔をして現れる
「今のあなたは遊んでるだけみたい」そんなことを言われることもあるし
「なんのためにやってるの?」とか
言われた時に心がざわつくこと
ざわついたときに現れるのが執着の正体
なんでざわついたんだろう?って考えてみる
・ほめてほしかった
・頑張ってることを認めてほしかった
・認められなくて悲しい
・そんなひどいことをいうなんて失望した
いろんな感情がでてくる
でもこれって、今日あったばかりの人に言われるのと
一番身近な人に言われるのでは衝撃が違う
だからね結局甘えてるの
「分かってくれて当たり前」
「褒めてくれて当たり前」
「わたしの家族なんだからいい人で当たり前」
当たり前に支配されてることがよく分かる
じゃあそもそもなんのために頑張ってるの?
認めてもらえないと傷つくってなんで?
仕事だとしたら
自分は家族のために嫌な仕事を疲れても頑張ってる
なぜやめれないの?
それは家族のためだから
なぜ家族のために頑張らなきゃいけいの?
結婚したから、子どもがいるから
なぜ結婚したらそうなるの?
なぜ子どもを守らなきゃいけないの?
ここら辺にくると言葉がつまりませんか?
結局仕事一つとってもわたしたちは
家族のため、子どものためという大義名分をもっている。
でもなぜ親になったからといって子どもを守らなきゃいけないのか?
それは守らなきゃいけないんじゃなくて
守りたいと自分が決めたことでは?
そうだとしたら嫌な仕事を頑張ってるのは家族のためじゃない
自分が家族を守りたいからしている
だから自分が自分のやりたいことのために働いてる、それだけなんですよ
でも、生きるためには働かなくてはいけないじゃないか!そんな声も聞こえてきそう
田舎暮らし、小さな畑をもってつつましやかに暮らす
そんな生活をするならば、もしかしたら今の仕事はやめて
もっと自分にあった仕事をできるかもしれませんよね
日本にはたくさんの制度があるので、それを使うこともできる
でもそれをしないのはなぜ?
今の土地は離れたくない
いい家に住みたい、いい車に乗りたい
家族で旅行にも行きたい
おいしいものも食べたい
だから仕事なんてやめられるわけないじゃないか!
そうですよね。だからやっぱり
自分のためなんですよね
わたしが今の家に住んで、いい暮らしをしたい
そのために嫌な仕事を頑張ってる
でも、その嫌な仕事がなければ自分のしたい生活ができないなら
その仕事にまずなにより感謝しなければいけませんね
誰かになにかを無理やりさせられてるのではない
自分が全て選んで、この現実をつくりあげている
でも本当に嫌な現実を変えたかったら
ああ、この家じゃなくても幸せにはなれるんだな
いい車じゃなくても、中古でも軽でも、乗れるだけ幸せだな
旅行に行かなくたって、家族の笑顔はここにあるな
おいしいものってお金をかけるんじゃなくて誰と食べるかが大事なんだな
そんなことに気付き始める
感謝の人生に変わり始めるんですね
そうするとあら不思議
嫌だいやだと思っていた仕事にも感謝が始まる
職場の嫌な人を見ても
この人も頑張ってるんだななんて思ったり
ちょっとくらいけなされても
自分がやりたくてやってることだもんなって思えたり
今まで苦しく感じてたものが自然と幸せに変わっていく
結果、今の家を手放して田舎暮らしの畑仕事
という生活にわざわざしなくても
今の仕事があることに感謝しながら
楽しい気分になりながら働けちゃうんですね
これが執着の面白いところ
はずした瞬間、その逆の本当にほしいものが手に入る
そして本当の幸せに気付き始めるんですね
本当にほしいものって、家でも車でも地位でも名誉でもなければ
「幸せ」って思う感覚ですよね
わたしたちは幸せを感じる一瞬のドーパミンを出すためだけに
相当頑張って生きてるんですよね
でも、本当の幸せに気付き始めるとなにもなくたって
ずっと幸せなんです
ほしいほしいと思ってる時は意外に当たり前にある
家や車に感謝することってないんです
なんならもっといいものを手に入れるために頑張るんだ!
なんてやきもきしてたりもする
でもね、ああ、別に家がここじゃなくても
わたしは幸せになれるんだって気づいた瞬間
逆に今いる家がとてもあたたかく、幸せに満ちたものに
感じられるようになるんですね。
面白い
でもね、本気で家族のためにと思って身を粉にして
働いてきた人はなかなか認められないんです
あんなに苦しいのを我慢してたのは
家族のためじゃなくて、自分のためだったって?
そんなことはない
自分じゃない、家族のためだった!!!って叫びたくなる
だって、だから平気で家族の時間を犠牲にした
家事も育児も全て奥さんに任せられたのは
お前たちのために頑張ってるんだからという大義名分があったから
それが全て自分のためだったと認めたら
穴があったら入りたい状態
家族から感謝されなくて当たり前
頑張ったねなんてほめられなくても当たり前
そんなこと認めるのってなかなか難しいよね
でもそれが執着外しのだいご味
これを外したらどうなるか特別に教えてあげる
今まで嫌な仕事に耐えて頑張ってきたのは
全て自分のためだった、と認めると
家族が自分のためにしてくれたことが
全部よみがえるんですね
奥さんが自分のために作ってくれた食事
自分が働いているのだからつくって当たり前だと思ってたもの
気付いたら大きくなっている子どもの姿をみて
涙が出てくる
当たり前なんて何一つないのだと。
自分が家族を守らなければならないという正しさの裏には
ここまでのしがらみを生んでしまう
一見よさそうな言葉なのにね
執着を外したあとの感動は
勇気をもってバンジージャンプした人にしか味わえない絶景
本当のところ、この感覚を知ってしまうと
海外旅行に行きたい、絶景を見たいとかっていう思いがなくなるほど
楽しくなりますよ