こんばんわ、長女ですねこ

今、平良さんとメールラブレターしてて思い出しました。そういえばあたし、大学時代はひたすら「カントの世界政府を実現可能にするにはうんぬん…」ということをやってたなー。
今は、世界のシステムを変えるとか現実味のないことは考えてないですねーにへ例え変えることが可能であったとしても、どのシステムでも必ず長所・短所の両方があって、完璧な理論やシステムなんか存在しないのに。そこを見落としていたのが、あたしの大学時代の大きな過ち。

「特に日本では国連に対する幻想が強すぎてうんぬん…だから世界連邦的ななんちゃら…」とか言ってましたf(^-^;
そんなあたしは、世界連邦に大きな幻想を抱いていたという。あー恥ずかしい。
卒論もずっと世界政府でいくつもりだったのですが、とても手に負えないことに気が付いて、直前で「憲法九条」に差し替えました。(これまた全く違うテーマ。)

自分の理論に絶大な自信があって反論を蹴散らす自信がある時ほど、何かとても大切なものを見落としていることが多いと思います。そんなに熱くならないで、冷静なときの方がいい議論ができる。

今日、ロールズを読んでいたら偶然、カントの世界政府への言及に出会いました。ロールズの解釈を読んでいると…「え!?カントこんなこと書いてたっけ!?」って感じ。

同じ本を読んでも、人によって(または同一人物でも読む時期によって)受け取り方が全く違うんですよ。というのは、そもそも人間って、本を読むとき、自分の読み取りたいことだけをピックアップしてしまうから・・・

例えば、「憲法九条-日本の視点と世界の現状-」と聞いて、九条賛成派と反対派ではどういうことが書いてあるのか想像する内容は真逆なはず。というのはコンテクストが…読むということは確認作業で…

うんぬん。

一般的に、アメリカの国際関係論は経験論的(だっけ?empirical)で、イギリスは哲学寄りだと言われていますが、それは全くの事実です。
自ら好んで哲学寄りのイギリス学派に入門したのですが、「哲学的にこの理論はこういう落とし穴があるだろうどうのこうのって、なんでこんなどうでもいいちっぽけなことについて議論しないといけないの!?実際に問題が目の前にあるんだから、この問題を解決しようとするのが先じゃないの!?」と思うこともよくあります。

「トマス・ポッゲはこういう理論を打ち立てたけど、この理論って本当に普遍的に通用する?例えばこれが地球内じゃなくて、地球と他の惑星との関係だったらどうなる?ほら、この理論の欠落が見えてきたでしょう。」とかっていう議論。
「他の惑星とか今、どうでも良いんじゃない!?泣」って(笑)「地球の問題を先に解決しようよ!」って、ねぇキャハハ

いえ、これは、「他の惑星」を出すことによって理論の欠陥を見つけだし、その欠陥が地球上の一部の地域でも起こる可能性を示唆しようと試みているんです。本当に他の惑星について気にしているわけではなくて(笑)
でもさぁー、そんなに重要ー?この議論。もっと他に、先に解決しなきゃいけないことがあるんじゃないのー??みたいなね。
「世界の格差を解消する義務が先進国にはあるのか」(←これ、あたしの春休み中のレポートテーマの1つ。)とかさぁ、「哲学的にどうであるにしろ、今んとこ世界は義務があるかのように縛られて動いてるんですから、どうやって解消していくのが効率的なのか議論する方がいいんじゃないですかー??」みたいなね。

(って言う表現をすると「効率的」=社会正義と国際正義がうんぬんで、そもそも「正義」とはなんぞや「平等」は本質的に価値があるのか、とかいう議論に持っていかれてしまうんですけど。(でも実は、この手の議論は苦手ではありません。))

?なんであたしここにこんなこと書いてるんだろ。全然要らない前置き、失礼致しましたayaごめん
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じつは先日、8日(木)、初めてイギリスに語学留学で来た時に滞在してたイングランド南部のリゾート地ブライトンに行ってきました!日帰りで。
ブライトンのビーチは砂浜じゃなくて、全部「石」なんですよポイント
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懐かしかったーにへハート大学卒業したてのあの頃は、実は英語、全然できなかったのに、今はちゃんと院で勉強できる程度にまで成長してて(院進学に必要な英語の試験のスコアをクリアするのにだいぶ手こずったけど)、ちゃんと一歩一歩地道に前進しているんだなぁ~と思いました。気が付かなかったけど。
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こっちはブライトンミュージアムの館内です。小料理 多恵-brighton4


本当に、あの時の英語はひどかったなぁ。日常会話がなんとかできる…ようなできないようなレベルで。
語学学校では文法を重点的に教わりました。これ、日本人には意外でしょ?
「日本の英語教育は文法ばかり教えるのが悪いびっくり」なんて言われてますけど、文法が分からなければラジオを聴いても新聞を読んでも意味分からないですよポイント特に問題なのが、文法が分からないと、話せない。「お腹すいた」とか「ビールビール下さい」みたいな、単語1つ・2つで済むような簡単すぎる文章は別として、普通に母国語で話したいことを話そうと思うと、文法を知らずしては単語をつなげても意味が全く伝わりません。理解不能。特に細かいニュアンスなんかは絶対に無理。

確かに日本の英語教育はアウトプットが少なすぎます。海外の語学学校では書く・話すなどのアウトプットと、読む・聞くなどのインプットが同量程度に行われているのに対して、日本ではインプットばっかり。
でも、文法の話はそれとは別。

初めての語学留学では、常に誰かと交流していました。同じ留学生同士でとにかく遊んだ、遊んだわーい語学学校の先生の1人とは、学校外でもたびたび付き合ってもらっていました。彼はサセックス大学に通っているイギリス人で、アルバイトで語学学校で英語教師をしているという人で、ドライブに連れて行ってもらったり、サセックス大学内のパブで飲んだりと。(イギリスの大学内には必ず、学校の生徒会運営のパブがあるんです!)(それに比べ今は、遊ぶ暇なんて有りやしないですねショック)

語学教師って、一緒に遊んでもらえるとすごくありがたい存在なんですよグーなんてったって、安全ですから。一般男性は狼オオカミに変身するときがあっても、語学学校の先生はそうはいきません。何かあれば、職を失うものー。それに、教え慣れしている「先生」。しかもネイティブ。
留学生同士との交流で得る英語スキルとは別のアプローチでの英語学習になりました。

(そういえば、大学3年の時に行ったメキシコでのスペイン語留学でも、語学学校の先生に遊んでもらってました。)

そんなこんなで、始めの語学留学では友達同士で使うような英語を覚え、次のプレ・マスター留学では文法を更に補強+イギリスの大学での学習スキルを勉強。帰国して、(留学費用を貯めるためにアルバイトをしつつ)マスター進学への語学勉強を独学で進めるうち、若い者間の言葉ときちんとした丁寧語の使い分けを知るようになりました。

英語にもちゃんとあるんですよ、丁寧語。
先日、近くの郵便局を訪れたときのこと。いつもの挨拶もしないような店員さんとは違う、中年の女性が美しい英語で対応して下さいました。その丁寧な対応で、なんとあたしその日丸1日、とても気分よく過ごせましたとさラブ気持ちよかった~びっくり

英語を覚えたての頃は、好んで「崩れた」、こなれて聞こえる英語を使いたがったものですが、今ではきちんとした美しい英語を話すように心がけています。
YesかNoか訪ねられて、「Yeah」と返事するよりも、「Yes, I do.」と、中学時代に習ったような英語が美しいことに気がつきました。

「これ、食べる~?」と友達に聞くときも、「Wanna have?」と言うのをやめて、「Would u like to have this?」という言い回しをするようになりました。

実は驚いたのが、日本に居るときにたまたまTVで観たドキュメンタリー番組TVフランスで開催されている(秋葉原伝統の)コミケに行き、そこで出店しているアジア人の何割が日本人なのか調査するという日本の外務省に勤める女性を追いかけた番組だったのですが、

その女性、出店しているアジア人を見かけてはおもむろに近づいていき、第一声が常に「Are you a Japanese?」。

・・・なにそれ汗

日本語に訳すと、知らない女性がいきなり近づいてきて「ねぇ、あんた日本人ー?」ですよ!?そんなのちょっと、失礼にも程がある。

当然HelloなりHiTEなりの一言があって、「私は日本人です」だけでもいいから軽い自己紹介をして、それから「伺ってもよろしいですか?貴方は日本人ですか?」でしょー!!泣

日本語では普通にしているはずのことが、なぜ英語だとできない!?

こういう接し方は、受け取り手側には普通、英語力の問題だとは認識されません。ただの失礼なヤツです。
彼女は、性格が良く皆に好かれていて、後輩からは憧れられている素敵な女性なのかもしれないあんぱんまん彼女の中身のことは知りませんが、その英語がとても残念です。人間性を誤解されかねない。

あたしのこちらの同級生にも、残念な英語を使う人が居ますよー。
相手が何を言っているのか聞き取れなかったとき、あたしは「Say again?」という言い回しが好きではありません。だって、上から目線じゃない。友達同士で喋ってるときに「Say again?」って誰かが誰かに言ってるのを見ると、「なんで上から目線なの、あんた…」って思ってしまいます。
このせりふは、どんなにおだやかに言ってもせいぜい、母親が愛する幼い子供に「なぁに?もう一回言ってWハート」くらいのもの。どうしたって、上から目線。
これ、荒い口調で言えば「もう一度言ってみろ!!え~!!」ですよ。メロドラマで怒った男性が、相手の胸ぐらを掴んで言いそうなセリフ。

この、いつもSay againと言っている彼が先日、授業中に先生に対しても言ったんだ!「Say again」ってびっくり汗言い終えて、ふと何か違和感を覚えたらしい彼、ほんの少し間をあけて、もう一言つけたしたびっくり「...Please.」

・・・遅いっびっくりっていうか、Say againにプリーズをくっつけても、文章が変!だって、「もう一度言ってみろ!・・・お願いします」って、『は!?』でしょう?(笑)

そういうのは、「腰掛けて下さい(Please take a seat)」と言おうと思って「Sit down, please:お座り(まるで犬に言うみたいに)!…お願いします。」と言ってるのと同じ間違い。

この春休みに計量経済学の先生が産休に入ったので、生徒みんなで寄せ書きをした時のこと。
博士課程在学中の留学生が「I'm proud of you.」って書いたの。アメリカ人留学生がソッコーで「なんであなた、そんなこと書いたの!?」と質問。すると彼、「だって、先生は未婚の母なのに子供を産む決断をしたんだよ。彼女は素晴らしいじゃないか!だからProud of youって書いたんだ」と。「先生よりも随分年下で立場も下なのに"Proud of you"って、ありえない…」と、アメリカ人。

そう。"proud of you"は、日本語の直訳で(きっと彼の国の言語での直訳もそう)「貴方のことを誇りに思います」ですが、英語だと実は上から目線の言い回し。
これは難しいね。「(挨拶無しの)Are you a Japanese?」とは違って、丁寧に接しようと思う心意気があっても、本気の間違い。

そうそう。あたしも今日、自分の英語の間違いに気がつきました。「subtle」という単語なんですけど。
あたしこれ、日本語で「わずかな」みたいなニュアンスで覚えてたの。subtle smell=わずかな匂い、subtle smile=かすかな微笑みとかって。だから、言い換えると「少ない」とか「取るに足らない」みたいな感じで覚えてたのね。日本語で。

そして今日、ロールズさんの議論について書かれている英語の文章を読んだとき、"Rawls' reply is subtle."っていう一文がでてきてさぁ。「その反論に対するロールズの回答は、取るに足らない」って解釈してしまって・・・次の瞬間、そんなわけねーッ!!★a泣って。ロールズさんとは、正義論での大権威!今、国連で使われている「人間開発指数」を発案したノーベル賞受賞者のアマルティア・センさんも、ロールズさんの研究から始めてるんだ。「取るに足らない/わずかな」わけがないでしょうが!

…と思って、英日辞典ではなくて、英英辞典をチェックしてみた。
すると、subtleって、「じゅうぶんに注意を払わないと、簡単には気づかない・もしくは理解できない」っていう意味だったんですね!そこから、日本語に訳すと「じゅうぶんに注意しないと嗅ぎ取れないほどのかすかな匂い」とか「意図的に隠そうとされているから、慎重に見てかないと分かんない=捉えがたい」とか「=難解」とか「=手の込んだ/狡猾な・ずるがしこい」とかっていう意味に派生していくわけですね。
おおっとービックリマーク「ロールズの回答は、取るに足らない」じゃなくて、「ロールズの回答は巧みに仕組まれていて、理解するのには少し手間が掛かる(要するに、分かりにくくてこんがらがってるよー)」みたいなニュアンスじゃん♥akn♥大間違い!こわー汗

やっぱり、単語を覚えるのには、英和辞典よりも英英辞典の方が断然にいいです。マジですあんぱんまん

実はずーっと、「自分は中高生くらいの頃から(酒お酒の正しい飲み方を覚えたくらいで、)全く成長してないんじゃないか」と思っていたのですが、今回のブライトンへの旅電車で自分の変化を見ることができ、自分なりに小さく一歩一歩足跡こつこつ歩いていることが分かって、

なんてゆうんだろう。別に嬉しくなったわけでもないし、自信家になったわけでもないけど…

えぇーっと、そう。「あ、ちゃんと進んでんだな。よし、それならこの調子で、目の前のモノにがんがんぶつかり続けていくぞ」と、頑張る決意を再確認。

休み明けの論文提出終わったって、最終試験終わったって、卒論出し終えたって、就職勝ち取ったって、仕事やプライベートで大きな壁にぶち当たったって、常に頑張っていこうと力こぶ