西穂高岳落雷遭難事故は、1967年8月1日に長野県と岐阜県の県境に位置する北アルプス西穂高岳の独標付近で発生した悲劇的な事故です。長野県松本深志高等学校の2年生を中心とする登山パーティー(生徒50人、教員5人、計55人)が、学校主催の集団登山中に落雷に遭い、11人が死亡、13人が負傷しました。この事故は、学校行事としての登山における安全管理の重要性を浮き彫りにし、その後の登山教育や安全対策に大きな影響を与えました。

事故当日の気象状況は不安定で、本州を挟む形で高気圧が2つあり、南海上に台風が存在していました。このため、大気が不安定で雷雨が発生しやすい状況でした。パーティーは7月31日に松本市を出発し、上高地で一泊後、8月1日朝から西穂高岳へ登山を開始。13時40分頃、独標付近で下山中に突然の雷雨に遭遇し、落雷を受けました。落雷は複数の生徒と教員を直撃し、11人が即死または重傷により死亡。犠牲者には教員1人と生徒10人が含まれ、教員では30歳の男性教諭、矢島茂雄先生が亡くなりました。矢島先生は生徒を引率中、雷撃により命を落とし、その献身的な姿勢は後年も追悼されています。

事故後、松本深志高等学校は詳細な調査を行い、1969年に「西穂高岳落雷遭難事故調査報告書」を発行。報告書では、気象判断の難しさや雷対策の不足が指摘されました。当時は学校単位での集団登山が一般的でしたが、この事故を機に、文部科学省や各教育委員会は雷雨時の登山中止や安全マニュアルの整備を徹底するよう指導。現在も同校では毎年8月1日に追悼式が行われ、2024年には約170人が参加し、犠牲者を悼みました。また、事故現場の独標では慰霊登山が行われ、卒業生や関係者が黙祷や校歌斉唱を通じて追悼しています。

この事故は、登山における天候急変の危険性と、事前の安全教育の重要性を示す教訓となり、現代の登山活動におけるリスク管理の基礎となりました。