昨日、都内のイベントでお会いした人と、標題のことを話す機会があった。

 

2011年の東日本大震災で、石巻市立大川小学校で74名が命を失った。その際、命を落とした人のほとんどが校庭にいたとのこと。教師の指示だったそう。それに従わず、近くの高台に逃げた生徒は無事だった。犠牲者は北上川を逆流した津波にのみ込まれた。

 

一方、同じ石巻市の日本製紙の工場では、全員が高台にのがれ、結果、一人の死者も出さなかった。防災担当者が「家に戻りたい」と言った社員を引き留め、当該担当者と相当の葛藤があったそうだけど、安全な場所から離れないという判断は賢明だった。

 

三陸地方で言われる「津波でんでんこ」は生きていた、ということ。そして、正しい知識を得て、それを実践すること。

 

津波でんでんこ: https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B4%A5%E6%B3%A2%E3%81%A6%E3%82%93%E3%81%A7%E3%82%93%E3%81%93