成功が怖い。

というより今の自分のままで成功していまうのが怖い。

私はこれを抱えてこの数年生きてきた。
気付いたのはつい最近だけど。

他人からすればとんだ自意識過剰だと思う。自分でも思う。どういうこと?未来が見えるって?
成功ってなんだよ?どこの事を指すの?
まず自分が成功してしまうと絶対的に思っている時点で笑かすなという事である。

もうこれは自分の中の感覚の話でしかないけど、私は何かに集中したり熱意を持つと常に自分が他より抜きん出てしまうと潜在的に思っている。
言い方を変えれば、自分でこれを叶えると決めてしまったことは否応なしに叶えてしまえるというかなんというか…自分の事限定だけど、直感で分かってしまう。気がする。

例えば漫画を頑張っていた専門学校時代。
2年の最期の漫画制作の時、技術は未熟だったものの、自分の全てを表せた作品を描き切った。その制作中、ふと、ツイッターで
「1年以内にデビューする」
と謎の宣言をしていた。今はないリア垢で知り合いが見てる中での宣言だったので、取り消しは出来ない。自分の中では半信半疑ながらも、やると腹を決めていたのは覚えている。
そんな宣言を頭の片隅に置きながら、作品は完成され、紆余曲折あったものの、丁度半年後に賞を受賞し、丸々1年後にその作品が掲載された。
普通ならばすごい事だと思う。でも私はそれが自分の最良の形では叶わなくて、寧ろ心の中は複雑に拗れる原因になってしまったので、そこで一気に自分の宣言に恐怖を覚えた。今思うと、その経験を自分でトラウマにしてしまったんだと思う。

もっと詳しく書く。これは私の過去の清算なので、長くなるが、良ければお付き合い下さい。

賞を受賞する前に、10社ほどの出版社を巡った。今は何を言われたのか忘れたが決して良い印象はなくて、担当編集が着くまでには行かなかった。学校の教師達もまあ渋い顔をしていた記憶がある。
私はその反応を見てこれは失敗作なんだと思った。まあ人の目に自分の全てを曝け出したんだ。何人もの人に性癖さらけ出して批判を受けるぐらいの痛みは保ってたと想う。傷付いた。
自分の中の結論としては、この作品は思ったままに描きすぎたと言うか、剥き出しでさらけ出しすぎた問題作だなと思った。
漫画っていうのは、テーマをそのまま読者に全力でぶつけるべきじゃないんだと。テーマをエンタメでラッピングして、浅くも深くも楽しめるようにしないといけないのに、私は剥き出しで描いてしまったんだ。クドすぎた。そのように感じていた。
もっとこれからは技術を磨いてエンタメ部分を頑張ろう。そうすれば隠れた真のテーマを話さなくても、読者が後は宝探しのように読み深めてくれる。
その作品のことは忘れようとしていた。
手元に原稿さえも残していたくなくて、まだ気になっていた1社に丁度賞の応募があったので、どうせなら送ってしまおうと思い、投稿した。

これが全貌。
ここからは何となく想像つくと思うけど進める。

私は賞の結果発表さえもどうでもよくて忘れていて、日常を過ごしていた。見たところで受賞してないし、受賞されても困るからと思っていたら、一本の電話。
そこの出版社からだった。
特別賞を受賞したと電話の声は言う。見てないんですか?と驚かれた。
そりゃそうだ、向こうはこっちの複雑な心境を知らないし、そもそもそんな気持ちで応募なんてするなよって話だ。
とりあえず地下鉄でアニメイトまで行き、雑誌を買って帰宅した。本当に載っていた。
特別賞とクリスタの景品。あとは担当編集がついてデビューに向け進んでいくというもの。
電話をくれた方が実際に担当さんであったので、改めて挨拶をした。
学校や知人、家族にも報告した。嬉しいのか何なのか自分ではよく分からなかった。だけど皆が祝ってくれた。報われたねと言われた。
確かに事実だけ見ればそうなのかもしれない。
喜ぶ所だった。実際に喜んでいるような感情も少しはあった。
だけど、私はそれでもその周りの反応にさえも人間不信を感じていた。
そして心の中ではこう思ってた。

「いや待ってよ。私が報われてない時、お前らまぁそうだよねって顔してただろうが」

まだ次回作が受賞されたなら良かった。それなら報われた。脱却できた事になったんだと思う。だけど同じ作品なんだよ。同じ作品でこんな天と地ほどの差が出るのかよ…って。出版社も周りの反応も正直全く信じてはいなかった。

作品自体の純粋な価値ではなく、賞とか何か大きな結果で自分の価値は大きく左右される気になってたんだと思う。また、更に怖いのが、私はその時にそう感じていた事を表にちゃんと出せば良かったのに平気なフリして喜んだように片付けてた。そうしないと報われない気がしたから。
自分自身には腑には落ちなかったが、その作品が何故か代原で掲載までされる事になったので、この作品自体は一度ちゃんと報われたと想うことにした。
だけど、それからきちんとした漫画は描けなかった。
出版社ともやり取りを終えた。
これが成功の全貌。ツイッターで宣言した、デビューは一応まる1年で叶えてはいた。

暗いな。暗いけど、今だから分かることがある。

あの時、私は様々な人の反応で自分が傷付いていると思っていた。
だけど、本当は、自分が自分の価値を信じきれず、他人の感情に左右されていた事が分かった。他人の評価で自分の評価を簡単に下げてしまえる、その自分自身に悲しんでいた。

人は他人からは絶対に傷つけられない。何かを言われたりされたりしても、それを自分が「傷付いた」ことにしてしまうかどうかなんだ。
だから自分を傷付けられるのは自分しかいない。これが分かったのは自分の中で革命だった。

後はやはり自分の心と行動、全て裏腹にしていた。思ってることと行動が伴ってなかった。
わからないなら止まればよかったのに。
怒ればよかったし、泣けばよかった。担当さんに複雑なんです…って本音言えば良かった。
これを後悔と言うんだろうか?

それからは時間が私を癒した。
あと私自身が自分と向き合い続けて、今は全く違う景色の中にいる。
そして、過去があるから今がある。今はあの経験さえも無かったらよかったのにとは思わない。
あの時あのまま進んでいればとも思わない。

自分の中の抵抗は成功すること、結果を出すこと。一本に道を決めること。
決めてしまえば、前みたいに取り返しがつかなく、引っ込みどころが無くなる気がして怖いのだ。それはわかった。
それはやはり今のありのままで全てを出す、それを評価される恐怖なんだと思う。
別に今もそれは無くなってはない。もう今からは成功してやるぞとも思ってない。

じゃあ何なんだよって話なんだけどね。この話の終着はどこ?って。
とりあえずこれからは、
私は一旦怖いんだということを自覚して生きていこうと思う。消すのではなく、てかすぐ消せないから自覚して生きていく。
自覚さえしていれば、色々途中経過な物、書き上げられなかった作品達を責める必要はない。
寧ろまだなんだなっていう指標になって確認になる。途中でもそれが完璧なんだなって思える。無理やりかな?笑
でももう自分を一番大事にするって決めた、攻めない。可愛そうにしない。

後はそんな事よりも楽しいことしてればいいやと思う。仕事で成果出すとかそんな事よりも、現状の自分を幸せに出来るかどうか、それだけ考える。どうせ嫌でも生活してるとこんな事忘れてマイナス思考にもなるし、底抜けに明るくもなる。だからそれを認めよう。そんな自分を許したいなと思う。

ほんと、ただそれだけの話でした。