この間、アレクサンダーテクニークのレッスンをしていて、相手に伝えるときにどう伝えるか、どうしたら伝わるか、という話題になったときのこと。
どういうわけだか、私が説明してたのが、クジラとフジツボのはなし。
それがね、
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クジラの身体にね、フジツボっていう貝みたいなイソギンチャクみたいな生き物がくっついてるのを知ってますか?
アレクサンダーテクニークってね(私の恩師が話していたことなのだけど)、問題に思えてることや対象となる出来事と同化してる自分から、だんだん自分本体に気がつくことを通して、問題や出来事は自分ではないとわかっていくことを学んでいくことでしょう。
それって、自分はほんとはクジラなのに、自分のことを付着してるフジツボの方だと思って悩んだり、フジツボから相手とコミュニケーションしちゃったりしてる無意識の習慣だったところから
「はっ!私はフジツボじゃなかった!クジラだった!」
って気がついて、クジラである自分本体から話ができたらどうなるか??
しかも、クジラ本体の自分が、相手に付着してるフジツボに話しかけるのでもなく、これまでのように、自分のフジツボから、相手のフジツボに話しかけるのでもなく、クジラ本体の自分からクジラ本体の相手と話ができたらどうなるか?
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という内容。
たぶんね、これ、フジツボ=常識 なんて言い換えたりもできるんだけど、それだとね、話がまじめになりすぎちゃう。
クジラとかフジツボとか言って、ふざけて遊んでるくらいのゆるさで、感覚的に理解できた方がずっと気楽に思い出せるし、笑い飛ばしながら色んなことを眺められるから理解がはやい。
学ぶときって、こどもみたいに好奇心いっぱい、遊び心で縦横無尽にアンテナや電波をはりめぐらせると、過去の自分では思いもかけないところまで行けちゃったりする。
たぶん、その推進力がクジラの持つ本来の力なのだと思うけど、フジツボモードになってると、クジラ本体のチカラは封じちゃって、何をするのにも余計な努力がいっぱいになっちゃうのかもしれない。
(クジラの推進力は、アレクサンダーテクニークでいう「プライマリーコントロール(=人間が生まれつき持つバランスや流れの調整作用)」とも言えると思う。)
案外、私たちは、自覚しないうちに、自分ではないものの考え方や、モノの見方に乗っ取られていることが多くて、クジラなのにフジツボになってることが当たり前になっているのに、悲しいかな、そのことに全然気がついてなかったりする。
ひとつ前のてへぺろ力の最後に書いた「ゴリマッチョ精神」も、じつはフジツボの一種でもあって、個人のアイデンティティと同化しやすいのだけど、じつは個性でも性格でもなく、後から身につけた装備みたいなもの。
それで楽しめてるうちはいいのだけど、体力や気力が落ちてる時にも、ゴリマッチョ精神ONだとキツイこともある。
てへぺろ力もフジツボと同じく装備?の一種だけど、クジラを縛るものではなく、解き放つもの。
自分にくっつけてるフジツボに気がついて、その中身が役に立つか立たないか、自分を損ねるか損ねないか、見つめなおして、外してみてもよいなと思えたものから手放していく。
かわりに、てへぺろ力みたいな役に立つ必要な装備をお供にしていく、というプロセスを、成長というらしい。
もしも、自分のことや自分の可能性を、小さく見ていたり、暗いものだと思えてしまっているとき、それはフジツボ視点で見てるからかもしれない。
クジラが海の上にジャンプして、海面にカラダを叩きつけるのも、フジツボをカラダから落とすため、なんて言われてる。
そんなクジラのダイナミックさを、ほんとの自分はもっていて、自分と同様ほかの人も、フジツボじゃなくてクジラなんだって気がついて、ひろびろと眺められたら、それだけでどうなっていくだろう?
という、クジラとフジツボ理論(ホネーキン博士みたい!)で色んなことを眺めつつ、てへぺろ力を駆使したら、もう少しらくちんに楽しく生きていけるのかもしれない(とくに、地球に紛れこんじゃった宇宙人には)。
【おまけ】
フジツボは、貝やイソギンチャクではなく、甲殻類の一種らしいです。
雌雄同体で、となりのフジツボに触手?を伸ばして交尾をして、自分の精子をとなりの卵子と結合させ、となりのフジツボからの触手からとなりの精子をもらい自分の卵子と結合させる、という不思議な生態を持つのだそう。
世の中には色んな生命態があるものですね。びっくり。




