今日は前の記事でいっていた通りお墓参り。
墓は割と山奥にあるんだけど、
山奥からでてくるエネルギーみたいなものの存在を感じました。
その周辺に竹がたくさん生えてるんだけど、
竹ってすごい!(笑)
最初はたけのこみたいな大きさなのにアレが10mくらいの大きさになるんだと思うと
生命の凄さを思い知らされました。
ふっとしたときにそんなことを考えます。
近代は思考の猶予を与えるものが減りすぎている。
玩具にしても、ゲームはどんどん高度化し、いかにリアリティーを
持ったものを作り出そうとするかに邁進してるけど、
そうした遊びっていうのは遊び主が「こういう形で遊ぶ」っていうものを
完全に規定した中で発展しているものだから、
そのゲームの全体像を把握してしまうと、とたんに飽きが来るような傾向に
あるのが最近のゲーム事情。
それと対極にあるのは、例えば組立式のジャングルジムとか。
その一部を分解して、棒のようなものに別の部分を取り付けて「これは飛行機
だーー」っていって遊ぶ。
そういった飛行機は本人にとっては本物の飛行機。
ただ、客観的に見ればそれはただのジャングルジムの部分なんだけど、
その遊び方が製作主が意図していたものとは完全に逸脱していても
それが遊びとして明らかに成立している。
そんな自由性が思考に幅をもたらすように感じます。
まぁこんな趣旨の入試問題(現代文)があって
すごい感動したのを覚えてる。
まぁ勉強もそんな自由性の高い遊びっていう認識でいるのがいいと思う。
勉強なんて地位やそんなもののために
やるものじゃないしね。
遊びの延長線上としてやるのがベスト。
明日は高校時代に所属してた部活の定期演奏会見に行ってきます。
高校時代は音楽してました。
多分、大学行っても音楽は続けると思うけど。
まぁ今日は勉強してなかったのですごい惰性な記事ですいませんorz
では( ̄^ ̄)ゞ