2019年7月29日~8月8日の予定で、ヴィエンチャン(ラオス)への旅をします。まだ日本からの直行便がないため、往路はソウル、復路はバンコクでトランジットします。(なお、11月29日に、在留邦人らの念願していた直行便が、熊本空港発着で週4便就航予定。) これからしばらく、旅の雑感を語っていきます。

 昨夏、92歳の恩ある神父さんと、郷里の山口で再開した。若い日に、フランシスコ・サビエルらが創立したイエズス会に入って、はるばるスペインから戦後まだ荒廃していた日本にやってきた宣教師である。お元気、どころではない、すこやかにいらっしゃると書いてご健在、驚いたことに、教会の仕事からしばし解放される二週間の夏休みに、成長途上のカンボジアへの視察旅行にお出かけになり、さらに生き生きとして山口に戻られたのである。体力以上に、その気力に撃たれてしまった。

 さて、私も生来の視覚障害が進行し、白杖歩行や同行援護ケアを頼むようになって、もう干支が一回りする。じわりじわりと行動の幅を広げてきた十数年、かつてのようにふらっと気ままにどこなりとも飛んで行ってしまうには遠く及ばないけれど。そして、先述の神父さんもそうだと共感するのだが、しばし日常を離れて、新しい出会いと何かしら創造的な旅へのあこがれは、増すばかりなのである。

 宣教師魂の神父さんの足元にも及ばぬひよっ子ではあれど、私もリクリエーションの旅に出ることにした。行き先は、東南アジアの内陸国、ラオスの首都ヴィエンチャンである。なぜそこか、の理由は追々明かされるだろうが、私はこの旅を考考える際に、自分なりに条件を課した。それは、日本の、東京での、恵まれた白杖での生活・行動から、あえて離れることである。 具体的には、白杖やユニバーサル・デザインなど通用しない土地へ。しかも、言語的にもコミュニケーションの成り立ちにくい場所へ。ただ、まったくのガイドなしでは危険に過ぎるから、キーとなるだれかの最低限の助力は必要である、と。 それらの条件をクリアしたのが、ヴィエンチャンである。

 OECD国連・経済開発協力機構が示す世界GDPランキングで下から数えるほうがはるかに早いラオス人民民主主義共和国 People's Democratic Republic of Laos (Laos P.D.R.) は、しかし、各国からの多額の開発援助によって、著しく発展しつつある。 少なくとも、点字ブロックなど存在しないし、視覚障害の人が容易に行き交う街でないことは確かである。障害児教育の実態も、劣悪といわざるを得ないが、視覚障害についてはそれを支援する学校すら見つからないようである。 言葉は、ラオス語、語族としてはクムに属し、タイ語に近く、隣国タイの経済・文化の影響が強いから、タイ語を聞きわけられる人は多いらしいが、かといって、ラオス語がタイで通じるかといえば、ほぼ無理である。一党専制の社会主義国なので、初等教育年齢の識字率は比較的高く、ラオス語の全国識字率は75%との統計がある。それはよいことなのだが、私は、タイゴも、ましてラオス語も、読めない・書けない・話せない・聞き取れないのである。カタコトの英語と、ボディ・ランゲージで…と言いたいところだが、私は相手の動作が見えないので、どうなることやら。 

つまり、生まれたままの赤ちゃんみたいな状態で、ヴィエンチャンの人たちと接する。どんなハプニングやトラブルがあるかわからない。こういう状況は、……いくつになってもわくわくする! この旅を決意してから、私なりに、白杖の通用しない場所に出向いて方向感覚を磨いたり、体力アップのトレーニングを数か月積んできた。準備は大事だから。しかし、どれほど周到に計画しても、とてもではないが、重文などということは訪れないだろう。とどのつまり、「ええい、ままよ」という見切り発車の勇気で出かけるものである。いくつになっても、トム・ソーヤにあこがれた自分を、忘れられないものなのだ。(ちなみに、マーク・トウェイン著『トム・ソーヤの冒険』を読み直した、もちろん。)

 人に会うこと、体験する事、自分を見付けること。この旅の目的は、それ以上でもそれ以下でもない。豊かな旅路を歩めるように、応援いただければ幸いである。