人生がすごく上手く行っているとき、突然大きな「幸運」がやってきて、チャンスに恵まれたときに、
私は絶対に忘れないようにしている教訓がある
それは、そもそもの願いを忘れないということ。
そんなことを、最近またふと思い出しました
というのも、私も過去にものすごく大きな「幸運」がやってきたのに、「そもそもの願い」を見失ったがために、それを取りこぼした痛い経験があるから。
中でも特に忘れられないのが、新体操時代の苦い思い出。
私の地元にはオリンピック選手を何人も輩出している有名な新体操の名門クラブがあって
私は小学校2年生の時にたまたまそれを知り、何となく練習場を覗いてみたら、「楽しそう!」と思って、お遊び感覚でそのクラブに入ったんだ
でもそのクラブの発表会に初めて参加したとき、その名門クラブのトップの選手たち (A団体と呼ばれた) の演技を初めて目の当たりにして
私はそのあまりのレベルの高さと輝きに感動してしまい、そこから「私も選手になって活躍する!」と決めて、小学校4年生のときに一般のお遊びコースから、選手を目指す競技コースなるものに入ったんだ
競技コースに入ったはいいものの、素人で踊りも手具扱いも何もできない私は一番下っ端で、友達もできず仲間にも入れてもらえず。
それでも選手になりたい気持ちが強かった私は、一人黙々と夢中になって練習を続けていって、段々と周りに追いつけるようになっていった
それから一年経った小学校5年生のある日
私は突然、発表会でまさに憧れた、そのクラブの花形であるトップ選手5名で構成される「A団体」の補欠に選ばれたんだ
一番下っ端で下手すぎて何もできなかった私が、たった一年で憧れてたトップチームの補欠に選ばれるなんて・・・
まさにワープ
嬉しかったし、憧れの選手たちと一緒に練習できるときめきで、私は毎日夢を見ているような気分だった
でね
これはまさに、私に突然訪れた「幸運」だったの。「選手になりたい」と放った私の願いを、神さまが想像もしないルートと速さで後押ししてくれたんだ
本当に、「本物」の人なら、そんなチャンスを絶対に無駄にしないと思う。その幸運に感謝をして、一緒に練習ができることになった憧れのトップの選手たちから学び、その幸運を自分のものにしていくはず。
なのに私は、そこで「勘違い」をしてしまったんだ。
そこから学ぼう、活かそう、とするどころか
「トップの人たちと一緒に練習する私♡」に酔ってしまったの。
たまたま私にその幸運が先に与えられただけで、実際にはその選手たちと私には
実力も経験も天と地ほどの差があったのに
私はすっかり勘違いをし、傲慢になった
それは「選手になって活躍したい!」というそもそもの願いを忘れ
「優越感」という一時の快楽に浸ってしまったためだった
憧れのトップ選手たちと。このときの私は「補欠」
その後どうなったか
本来「補欠」であれば、正式なメンバーが卒業したら自分がそこに入れるはずなのに
私は翌年も、その翌々年も、「A団体」のメンバーに選ばれることはなかった
結局、私が正式に「A団体」のメンバーに選ばれて、全国大会でメダルを獲得したのは、それから4年も経った、卒業ギリギリの中学3年生のときだった
今でも、この頃の写真を見ると、当時のときめきと共に、胸の奥に痛みを感じる
それは、
「私の努力をずっと見ていてくれて、引き抜いてくれた先生たちへの感謝」
「突然入った下っ端の私にも対等に優しく接してくれた憧れの先輩たちへの感謝」
「いつも応援してくれていた親への感謝」
もなく
ただ「自分の実力」だと思い込んで、その幸運全てを取りこぼした
当時の「傲慢な私」に対する痛み
選手になって活躍したい!
この本来の願いをしっかりと自分で見据えていれば、私はただその願いに真っ直ぐで在れたのに。
唯一の救いは
何年経ってからでも、いつからでも、そんな自分の経験から愛を学べるということ。糧にしていけるということ
いつからでも、それは気づいて明らめた時から繁栄に向けていけるということ
「感謝」を忘れそうになる度に、私はあの頃のことを思い出す
そもそもの願いを忘れない。本質を忘れない。
これは、これからの人生でも、ずっと見据えていきたいところ



