蟹二つ食うて茅舎を哭しけり たかし
グルメツアーで女性に人気の高い蟹の食べ放題ですが、
江戸の頃も女性に人気がありました。
『女のすごさ蟹の足がありがり』(柳多留17)
よく情景をとらえています。
足の肉は旨い反面小さいのは意外と面倒で、
蟹の足をがりがりと食べる気持ちが伝わって来ます。
食べ方から茹でた蟹と思われます。
西鶴の好色一代女巻一には、
『此人酒よく呑みなして、いつとても肴に
東なる最上川に花蟹といへるを塩漬けにしてこれを好る。
有る時坂倉此蟹のこまかなる甲に、
金粉をもって狩野の筆にて笹の丸の定紋をかかせける。
此絵代ひとつ金一分づつに極め…』
こちらは塩漬けですが、甲羅に蒔絵できる程ですから、
水分はほとんど無かったのか半乾燥した製品でしょうか。
仁勢物語(著者不詳 宝永16,7年 1709年~1710年)に、
『御料理にせんとて大蟹、車海老を相持ちて出でたり。
いと久しくこひ出し食べ参らず』
こちらは調理方法は不明です。
羹学要道記(元禄15年 1702年)にある蟹鉢の図に、
『蟹は見事に拵う可しと思はば成る程足の太さを求め、
節々をば斬り捨て、足の能き所をば筋違いに斬る可し、
箸にてつけば身ぬける也…
斬りて鉢に並べ塩ふるべし。右叮嚀の斬り方図に具さに表す』
と説明の絵図があり、タラバガニに良く似ています。
料理法は分かりませんが箸で足の身を押し出したり、
塩を振りかけるところを見ますと茹で蟹でしょうか。
変わった利用法として、生の蟹汁は漆のかぶれを治す妙薬との事です。
本朝食鑑には沢蟹の汁を用いるとあります。
傾城禁短気(江島共碵 宝永8年 1711年)三之巻には、
『生きた蟹の甲を割りて餅米と一つにして、
おかんが面躰手足に塗れば、
忽腫引きて明けの朝は昔の花の顔と成て』 とあります。
根無草後編(風来山人 明和6年 1769年)二之巻にも、
『漆蠏(ウルシカニ)を得て泥のごとく、海参藁を得て水のごとく』
と記されています。
和漢三才図会にも同じ事が書かれていますので、
かなり効き目はあったようです。