美酒あふれ蟹は牡丹の如くなり  水巴


古事記中巻に、応神天皇の国見の話があります。

『一時、天皇近淡海国に越え幸でましし時、

宇遲野(ウヂノ)の上に御立ちしたまひて、

葛野を望けて歌日ひたまひく、


(千葉の 葛野を見れば 百千足る 家庭も見ゆ 国の秀も見ゆ)』


ここまでは無事行幸のお勤めを果たしたのですが、

『木幡村に到り坐しし時、麗美しき嬢子』

に出会い、そして見染めます。


(汝は誰が子ぞ) と親の名を聞き出して、

翌日はやる気持ちを押さえて訪ねます。

矢河枝比売(ヤカハエヒメ)の家です。


そこで大御饗(オホミアヘ)となり、その折に歌をを詠みます。

『この蟹や 何処の蟹 百伝ふ 角鹿の蟹 横去らふ 何処に到る』


この後延々と矢河枝比売の容姿を褒めたたえます。

そして行きつく先は、

『對ひ居るかも い添ひ居るかも』 となり、

『如此御合(カクミアヒ)したまひて』 と御子がお生まれになります。


この時の蟹は角鹿(敦賀)の蟹です。

越前蟹とすればズワイガニで、

この頃すでに食べられていたのかと思うと夢ふくらみます。

横去らふとは横歩きの事で、天皇も興味をしめされたようです。


『草蟹を 大君召すと 何せむ 

吾をめすらめや』(万葉集巻第二十 3886)


草蟹は干潟に住む蟹と思われます。


『稲舂き蟹の や 嫁を得ずとて 捧げては

や 下しては捧げて や かみなげをするや』(古代歌謡 神楽歌細波)


稲舂こ蟹とはどんな蟹でしょうか。

杵で臼を搗く仕草から、片方に大きな爪を持ち

ユーモラスな動きをする潮招きでしょうか。