9月12日 日曜日、無事に最終出勤日を全うすることができました。
本当にありがとうございました。
 
余りにも急なことでしたので、
直接ご挨拶が出来ない方が多すぎるのは本当に心残りです。
申し訳ございません。
 
本当はコロナが落ち着いて少し景気が良くなってきた頃に引退を考え始めようかと思っていたので、少し早かったですが…
 
吉原に勤めて〇〇年
がむしゃらに生きてきた気がします。
たくさんの方に支えていただきました。
 
よい事も悪いこともありましたが、
お蔭さまで何とか色々と乗り越えて来ることが出来ました。
 
最高の接客業と考え、いつも心で接客させて頂いていたスタンスは間違っていなかったと思います。
いつもお褒めいただいて嬉しかったです(*^^*)
たまに言われましたが、案外私は真面目気質なのかも知れません。
 
吉原で学んだことを糧にこれからも人として成熟していきたいと思います。
 
感謝の気持ちを忘れず
いつも笑顔で
少しだけあざとく
可憐に
頑張りたいと思います✨
(あざとくは無理かな、私の性格上(笑))
 
今年はコロナ禍で東京オリンピックがあって、
終わらないと言われていたエヴァンゲリオンが終わりました。
卒業するにはよいタイミングだったのかも知れませんね。
昨日、毎週日曜日の目覚ましも削除しました。
 
お伝えしたいことはたくさん
書ききれないくらいありますが、
潔くこの辺にしようと思います。
 
寂しいですが、たくさんの「ありがとう」をありがとうございました。
橘は幸せものでした。
 
では、おさらばです。
(大好きなエヴァから台詞をいただきました)
 
長い間、本当にお世話になりました。
 
橘を好きでいてくださってありがとうございました。
大変嬉しかったです。
 
心からの感謝を込めて。
 
皆さまもどうか健康で心健やかに…
 
末永いご健勝とご多幸を心よりお祈り申し上げます
 
 

皆さま。ご無沙汰しております。

橘です。

 

最近はお店のブログは頑張っていますが、こちらは全く手が付けられない状態で申し訳ございません。

 

そんな中、返信を強要するようなメッセージやメールが一部の方から届いていますので、

こちらで近況報告を簡単にさせていただきます。

 

2017年初夏

母がとうとう倒れました。

倒れた日の夕方、元気いっぱいに電話をしていたのですが、

その日の夜間、愛犬が亡くなりそのショックで脳梗塞を起こしました。

(私は後述する経緯までその事実を知りませんでした)

 

犬が亡くなった5日後

「新聞受けに新聞が5日分溜まっている」「異臭がする」と連絡がありました。

すぐさま仕事を早退し、「実家のカギを誰も持っていない&事件性がある」ということで警察に連絡しました。

 

というかなぜ老人の家に新聞が2日以上溜まっている時点で管理人が管理組合や私に連絡をしなかったのかわかりません。

発見がすぐであれば、母が間違いなく今の状態にはならなかったと医師からもお叱りを受けました。

(管理人やマンションの管理については、今後突き詰めていこうと思います。)

 

鍵開錠確認、警察突入。

事件性があるので私は警察の指示があるまでは入れません。

 

「女性発見!大丈夫ですか?」と声が聞こえます。

確かに異臭がするので、腹をくくっていたその時です。

 

「わああああ!」

と女性の声が聞こえました。

 

 

・・・生きてた・・・!!!

 

「お嬢さん来てください!」

 

確かに母は生きていました。

が、何日前に倒れていたのか、床ずれがひどく、ミイラのようでした。

異臭は愛犬で、ベットを見ると大切に大切に寝かされて愛でられていた愛犬が大変なことになっていました。

「知らせてくれたんだね、ありがとう・・・」

 

異臭があっても管理人は無視していたそうです。

 

たまたま理事会のお知らせに仲の良い女性が家に行ったところ、新聞の溜まり具合や異変に気付き、管理人に知らせに行ったところ、「なんか臭いけど誰にもどこにも連絡しなかった」とのこと。

 

そこで私に連絡が来ました。

 

片っ端から搬入病院を救急隊が当たってくれています。

なかなか決まりません。

 

やっと決まったところで検査開始。

ぱっと見は、捻挫による転倒

だったらしいのですが、17:00~23:00まで検査が続いているようで、黙って待っているしかありませんでした。

 

結果、MRI等々受けていて、

・脳から出血がかなりあるということ。

・出血も固まりかけているので、この2~3日起きたことではないこと。

・足の床ずれ(褥瘡)が、切断レベルであるかもしれないこと。

 

以上をよく2:00頃連携されました。

もちろん即入院で、翌朝(細かく言うと当日ですが)に持参物を教えていただきました。

 

しかし、愛犬をそのままにしておくわけにもいかないので、

朝一番で警官が教えてくれた、区の対応部署に連絡し、引き取ってもらいました。

死後5日の子は大変なことになっていましたが、

私はボロボロ泣きながら「ごめんね、ありがとうね、あなたのおかげで母は最悪の状態にならずにすんだよ」とたくさんのお気に入りタオルとでくるみました。

本当に、あの子のおかげで母は今生きています。

 

その後、激しい身体の弱体化で手術もできず、管だらけの母の介護が始まりました。

 

4~5日飲まず食わずで倒れたままの混濁状態も理解が出来るはずもなく、声も発していますが何を話しているかわからず、

お水が飲みたいとわかっていても、飲ませると器官に詰まってむせて窒息するので、手を握ってひたすら謝るしかありませんでした。

一か月がたつ頃、

リハビリの病院が決まり、その頃にはきざみ食が摂取できるようになりました。

あとはリハビリテーション病院に転院し、頑張って前の生活が出来るようになるようにと。

晴れて転院です。

 

この時点では、まさかまさかの今の状態になるとも誰も想像が出来ませんでした。。。

 

 

【すみません、長くなりそうなのでその後150日は、気が向いたら書きます。何も考えず書いたので、文章の下手さや、時間軸の分かりづらさは許してください】