こんばんは。
皆さま、今日も頑張りましたね。
お疲れ様です。
ゴールデンウィークですね。連休中でどこかに旅行している方もおられるでしょうし、仕事をされてる方もおられるでしょう。
私は仕事をしたり、農作業をしたりしております。
いずれにおかれましても、体調を崩しやすい気候ですので、少しでも調子が悪いと思ったら、なるべく早く休んでくださいませ。
今日の記事の題は「嬉しかったこと」にしました。
私は子供の頃、学校の野球部に入って3年間野球をしていました。
小さい頃からプラスチックボールとプラスチックバットで遊びで野球をしていましたが、学校の部活に入り、指導者の元で本格的な環境で野球をすることはそれが初めてでした。
運動神経は個人的には良いと思ってましたし、遊びとはいえ野球の技術には恥ずかしながら少し自信のようなものもあったと思います。
実際部活で野球をするようになると、少年野球をしていた人はやっぱり上手いですし、先輩という存在もありましたので、気圧される場面はたくさんありました。
部活に入る前は公園で遊びで野球をしていた私ですので、本格的に野球をするということに対して遊びではなく真面目にやるという意識が薄かったんだと思います。
少年野球に所属して、球の投げ方やバットの振り方などの基礎を指導されたわけでもないので、言わば自己流で野球をしていました。
実際に部活動の練習が始まると、上級生からある日「お前の投げ方おかしいよ」と言われるようになりました。その先輩からは、練習が終わっているにも関わらず、球を不意に投げつけられたこともありました。私としては、今まで自分の球の投げ方について考えたこともありませんでしたので、内心驚きました。
それからというもの、私は自分の球の投げ方がおかしいということを自覚するようになりました。
家であれこれ練習したり、アドバイスをもらったりもしましたので、自分としては努力していたつもりでしたが、それでも球の投げ方が改善することはありませんでした。
もっと熱心に指導を請い、練習に励めば投げ方が改善したかもしれませんが、今思えば、その時の私にとって野球は遊びでやっていたのかもしれないと思います。
部活では相変わらず投げ方について否定的な事を言われる状況が続きましたし、投げ方がおかしいんだということを強く自覚していましたので、気にすれば気にするほど自分の球の投げ方がさらにおかしくなっていくような気さえしていました。
部活に入ってどれくらいの期間が経ったかは分かりませんが、いつもなら投げて届く距離のはずなのに、なぜだか分からないけど球が相手に直接届かずに相手から離れたところでバウンドしてしまうことがありました。相手に届くように投げているつもりなのに不思議と球が届かない。いつものように投げているはずなのに届かない。投げ方ばかりか、頭さえもおかしくなったような気持ちになりました。
それからは、相手にバウンドすることなく球を投げられる日もありましたが、相手に届かない日もありました。
あれこれ自分なりに試行錯誤しながらでしたが、ことあるごとに「投げ方おかしいよ」と言われることは変わりませんでした。
もはや自分でも自分の球の投げ方をおかしいと思っているので、周りから言われるとつらく悲しい気持ちになりました。
そうはいっても野球部での活動では楽しい思い出も多くありましたし、大切な友達も多くできました。とても幸せな日々でもありました。
それから時が経ち、つい数ヶ月前までに起きていた事なのですが、寝て夢を見ることがありますが、その内容で多くあった場面は、私が球を投げる場面です。球を投げるのですが、腕がしびれたように力が入らず球はすぐに地面に落下するか、とてもゆっくりとしか腕を動かせないので、ゆっくりとしか球を投げられずに目標に届くまでにすごく時間がかかることもありました。この夢を20年弱の間時々でしたが見続けました。起きてからその夢を思い出すと、つらい気持ちになることが多かったです。昔の部活動での記憶がよみがえり嫌な気持ちになりました。
この前私の大切な友達と遊びました。公園でキャッチボールをしました。久しぶりにボールを投げたので、上手く投げれないこともありましたし、昔よりも投げられる距離も短くなりました。それでもとても楽しかったです。
その時も少し私は自分のボールの投げ方について気にする事もありましたが、楽しいという気持ちがはるかに上回りました。体を動かすことも気持ち良かったです。
友達に昔、自分は投げ方がおかしいと言われていたことを言うと、「そうだっけ、全然気にしていなかったよ」と言ってくれました。嬉しかったです。
そのおかげなのか、最近夢でボールを投げる場面を見ることが減りました。嬉しいです。
朝起きて嫌な夢だったと不快に思うことも減りました。
人は言葉を使います。厳密にはお猿さんもゴリラさんも使います。最近知りましたが、鳥さんも声でコミュニケーションを取るようで、単語ではなくて文章も操るようです。
放たれた言葉というのは人の感情を大きく揺さぶる力があります。人を傷つけることもあれば、反対に幸せにすることもあります。
人間というのは嫌な記憶の方が気持ちの良い記憶より残りやすいようです。
私は生きている限り、私の口からは綺麗な言葉を発したいと思っています。 人を貶めるような言葉は誓って使いません。そうすることで安心、安全を提供できるようになります。
そして、世界一優しい人になります。
先ほど書いたキャッチボールをしてくれて、大切な言葉をくれた友達には何度も救われました。心の綺麗な友達です。そういう人が社会を変えていくんだと思います。
今日も私の記事を読んでいただきましてありがとうございました。