前にインスタで、近いうちにこのブログにNAKED FLOGやSTONE HAMMER Fes.の事を書こうと思うという事を書きましたが、今日は僕がサポートベーシストとして参加したNAKED FLOGの事を書きたいと思います。

俺の音楽活動は13年前からギター弾き語りソロでのライブが中心になり、たまにそれと並行してロックバンドのベーシスト(サポートも含む)として活動をする事もあったりで現在に至るけど、元々音楽を始めた21年前はベースやった。
ちなみに初めて組んだバンドはベースではなくボーカルやった(ベースを初めて1年4ヶ月後、初めて組むバンドのメンバーが集まる前にボーカルに転向)。


NAKED FLOGにはサポートという形でベーシストとして増田さんに誘われたけど、ちょうどその頃俺はもしベースをやるならロックバンドのサポートで弾いてみたいと思ってた矢先やったので、まさにベストタイミングやった。
あくまでも正式ではなくサポートとして声がかかったのも、俺には自分の活動があるという事を増田さんは理解と考慮してくれた上での事でもあり、これは俺の推測やけど、俺が言い出したら聞かない性格やという事もよく分かった上での判断でもあると思う(笑)。
それが今から2年ちょい前の事。

その増田さんも晃さんもTAKUYAさんも、元々共通して好きなアーティストである元KATZEのボーカルの中村 敦さんのライブを見に行った時にファン仲間として出会ったかれこれ十数年前からの知り合いやった。
この四人で一緒にやることになるなんて、きっと誰も想像してなかったと思う。


このNAKED FLOGのメンバー集結とバンド結成はTAKUYAさんの思いから始まった。
その思いというのが西条市で2014年にスタートしたSTONE HAMMER Fes.(通称“ストハン”)に出演する事。 

増田さんからサポートの誘いをもらい、後日二人でファミレスで会った時にすでに公演が終了済みやったその年(2015年)のストハンのポスターも目標のための参考資料(?)として受け取った。
またその時に、TAKUYAさんがこのバンド用(当時はまだバンド名もきまってなかった)に作った2曲を3人がスタジオで合わせたのを録った音も聞かせてもらった。
それが「Resilience」と「あの丘の向こうへ」やった。


4人でのスタジオ入り2回目の時にどんな曲を作っていこうかという話をした時、増田さんが「TACASHIもサポートやけど曲も書けるんやけん書いたら良えよ」と言われた。
それで以前にやってたバンドの時に思い付いてスタジオで合わせたもののお蔵入りになってたベースリフとコード進行のアイデアを、バンドのグループLINEに送ったらメンバーからも反応も良かった(特に晃さんからの反応が良かったような気がする)。

次のスタジオから本格的にアレンジに手を付け始め、メンバー全員でアレンジや構成のアイデアを出し合い、TAKUYAさんがメロディを付け、俺が書いた詞にTAKUYAさんの手直しが加わり完成したのが「JUMP OUT!」。
今でもNAKED FLOGの楽曲で、最も自分の感覚に馴染んでる1曲。

その頃にも既にTAKUYAさんは「SUVIVE」と「FLOWERS」と「GEMINI」、増田さんは「We can make new world」の原曲をスタジオに持ってきてて、一旦は保留になった物も含めてアレンジに手を付け始めてたので、この時点でバンドの主要レパートリーは形になったり青写真が描かれたりしていた。


2016年4月に今治ジャムサウンズで初ライブ、6月には2回目にして初の松山ライブ(BAR-STANDARD)、そして7月にはオープニングアクトという形ではあったけどバンド結成のきっかけとしての目標であったストハンへの出場を果たし、同日には1stシングル「SUVIVE / Resilience~Psychological Resilience~」をリリース。


それ以降もライブやラジオ番組出演を重ね、2ndシングルのレコーディングとストハンに向けてバンドも忙しくなっていった。

ライブのペースも月2本が当たり前になり、精力的、積極的になってる状況を楽しみやりがいを覚えてる自分もいれば、精神的な余裕を徐々に失いどこか疲れていく自分もいたのも事実。

朝仕事に行く前に朝ごはんを食べるのが面倒。家に帰ってから晩ごはんを作るのが面倒。
読みたい本は何冊も買ったけど、そのほとんどが読みかけどころか読み始めてもない。
本来の自分の活動用のライブも入れたくても入れる気が起こりきらなければ、新曲を作る事を行動に移すのも億劫。
一事が万事そう。

とにかく良くも悪くも動きつづける周りの状況に自分が精神的に追い付けてないと感じるのも10回や20回ではなかった。


その一方でNAKED FLOGの活動を楽しみ誇りに思う事も10回や20回ではなかった。

2ndシングル「ロックンロール☆タイムマシーン」はそのお陰で出来た充実の自信作やし、またその出来のお陰で楽しみや誇りの気持ちもさらに抱く事もできた。

前作と聞き比べても音の“力”が違う。
表面的な力まかせだけという意味ではない。
よく言われる音から滲み出る物というか、五感以上に第六感で感じられる物って言ったら良いのかな?
自画自賛やけど、バンドの成長の証が音として楽曲として出てると思う。

特にタイトル曲の「ロックンロール☆タイムマシーン」はスタジオではもちろん、ライブでも試行錯誤を重ねてきた。
初めて会うよりも前にライブハウスで同じお客さんとして見かけた時からTAKUYAさんは俺の中でずっとロックなお兄さんという印象が強くて、最終的に書き直した間奏明けのBメロ後半の歌詞は彼のロックなお兄さんぶりがそのまま素直に出てると思う。

実はこの曲のベース録りは、座ってではなく立ってライブの時のように動きながら弾いた。
パフォーマンス性を意識した方がロックンロールバンドのライブっぽいノリや雰囲気が録った音に反映されるかなと思ったから。


そうこうしながら前年に続いてまたもオープニングアクトとしてではあったけどストハン出場を果たした。

写真で見比べても、たった1年で垢抜けたというか同じバンドとは思えないくらい。

↑こちらは2016年



↑こちら二つは2017年

前年にUnder Limitのドラマーとして出場してて他のライヴも見に来てくれた事もある宣光くん(Death Adder)も見てくれていて、「NAKED FLOGというバンド自体が前よりもかっこ良くなってると思いました。やっぱりバンドはかっこ良いのが大事」と言ってくれた。

実はストハン前日の晩になかなか寝付けなくて、泊まってたホテルの部屋でベースを取り出して構え、スマホでYouTubeでLUNA SEAの「ROSIER」のPVを見ながらINORANさんとJさんを見てパフォーマンスを練習をしてた(笑)。
前述ののぶくんの言葉もこの深夜特訓(LUNA SEAのドラマー真矢さんとかけてる訳ではありません)が功を奏したのかも?

今でもNAKED FLOGのライブで自分の中のベスト1を選ぶなら、間違いなくこの時のストハンを選ぶ。
ロックバンドとしてロックバンドらしいライブが出来たから。


しかし、翌8月に突然の活動休止に。
当たり前ではあるけど、4人それぞれが違う条件で生活をしている社会人で集まったバンド。
いつかそうなる時が来てもおかしくはなかったのかもしれない。

活動休止のアナウンスをバンドや各メンバーのSNSでしたら、翌日から音楽関連の会う人会う人から「何で?」、「どしたんすか?」、「マジっすか?」と言われた。
自分達の想像以上の反応があったし、自分達の想像以上にNAKED FLOGは色々な人達に知られていた。

有り難い事に、みなさん色々と心配してくださったり気にかけてくださったりしてた。

バンド休止後に自分の活動を再開してからも、あちこちでNAKED FLOGの事で色々言われたり聞かれたりする事もある。
その度に2年足らずやったけどやってきて良かったなと単純に思った。

自分が過去にやってたバンドを引き合いに出せば、
VISAGEは1番純粋にやれたバンド、
CRYSTAL EDGEは1番熱くなれたバンド、
D.j.d(Short Hack改名後も含む)は1番楽しかったバンド、
そしてNAKED FLOGは1番達成感を得られたバンドやったのではと思う。