あれから、それまで当たり前だった事が当たり前でなくなり、当たり前になって欲しくなかった事が当たり前になってしまった人達が今でもたくさんいる。

自分が直接関わった事でない故に、その痛みのどれだけを自分が理解できているのか。
今でも震災や原発の事を取り上げた本が書店に並んでるし、それを手に取って少しだけ読んでみても、悲惨な光景や事実に目を背けるように棚に戻してしまう。
現地の人達、あるいは現地に向かった人達は目を背けずに向かい合ってる事は、頭では分かってるのに。

以前にう~みさんというシンガーソングライターの方のインタビューをさせて頂いた事があった。
う~みさんは震災以降、現地に足を何度も運ばれている。
僕が前述の事を話したら、紙面上でも語られてるように「自分の体調とか精神状態に合わせて行く人は行っても良いし、行かないで応援したいなとか知りたいなという人は、本だとか写真とかで知っていくのも良いと思います。」と言われた。

自分にできる事ややりたい事が、自分のやる事、やるべき事。
こういう事で「自分のため」という言葉を出すのは不謹慎ではあるけど、それが自分のため、人のため、世のためなのではないかと思う。
結果としての大きな事は、過程としての小さな事の積み重ねでできているし。
千差万別ではあるけど、自分のやる事、やるべき事をやるという小さな事を積み重ねるしかない。

最後にまだ曲は付けてないけど、新ユニットLuis+Ciar(ルイシャ)用に書いた詞を載せます。
届く範囲は小さく狭いかもしれませんが、祈る範囲は広いと思っています。


流れ星の恵みの雨


喜びと痛みが降り積もった この街に あの大地に
夢や希望や願いをのせた 流れ星の恵みの雨が降りますように

星の形をしたカードに書かれた 星の数ほどの願い事
青色ダイオードのイルミネーションと寄り添いながら ツリーを彩る

心の奥にかすかに残る純粋さや 面影さえ忘れた幼き日に見た光景(もの)
いつしか引き出しから取り出して 眺める事さえ忘れた夢や想い

手に入れたかった物 実らせたかった恋 なりたかった憧れは
決して恥ずかしい夢(こと)じゃないから もう一度星に願いを

“平気なふりして隠そうとしても 誰もが悲しみ傷ついた目をしてる”って
歌ってたロックバンドもいたけど あの頃も今も 痛みや悲しみの雨はやまない

涙の水たまりは深く冷たいけど 今日も星空を映してる
流れ星も映れば いつかきっと 暖かい泉(オアシス)になると信じてる

喜びと痛みが降り積もった この街に あの大地に
夢や希望や願いをのせた 流れ星の恵みの雨が降りますように

心の奥にかすかに残る純粋さや 面影さえ忘れた幼き日に見た光景(もの)
今こそ引き出しから取り出してみよう そして今宵 星に願いを

手に入れたい物 実らせたい恋 なりたい憧れは
誰もが求め願う 純粋で力強くて輝ける希望の星

喜びと痛みが降り積もった この街に あの大地に
夢や希望や願いをのせた 流れ星の恵みの雨が降りますように