あれは2002年の12月だった。
その頃の俺はライブをやりたくてもバンドメンバーがいなかったし、今みたいに弾き語りに積極的ではなかった。
でも色々な好きなバンドのCDやライブを見て「自分もこういうバンドがやりたい。こういうライブがやりたい。」と自分なりにノウハウを蓄えていた。

そんな時、元KATZEのボーカリスト中村 敦さんとベーシスト高山克彬さんを擁する、まさに“Natural Born Live Band”を呼ぶに相応しいN☆M☆Aというバンドのライブを高知のライブハウスに見に行った時やった。
敦さんはKATZE時代はハンドマイクで歌う事の方が多かったけど、N☆M☆Aではギタリストがいなかったので敦さんがギターを弾きながら歌っていた。
ライブの本編の後半、曲の途中で敦さんはギターを手放し、ギブソンのゴールドトップのレスポールを抱えたギタリストがステージに登場した。
そのギタリストの基本の立ち位置はサポートメンバーという事もあってベースの克彬さんよりも下がり目の位置だったけど、ギタープレイだけでなくステージングも前へ前へとアグレッシブに迫ってきていた。
そのギタリストの名は尾崎浩司。
当時はサポートというよりは、曲によってたまにステージに上がるゲスト的な感じだった。

年が明けて2003年。
浩司さんはサポートという形ではあるが、N☆M☆Aのライブやレコーディングにレギュラーで参加するようになった(同年10月に正式加入)。
その浩司さんレギュラー参加後初のツアーの松山公演を見に行ったのは3月の事だった。
サポート参加とはいえ5人編成になったN☆M☆Aとそのリードギタリストとなる浩司さんを見られるのが楽しみだった。
その数か月前に高知で見た浩司さんは黒髪でノーメイクでギブソンのゴールドトップのレスポールを弾いてたけど、このツアーでは以後トレードマークにもなる金髪になり、ビジュアル系チックなメイクを施し、フェンダーのサンバーストのストラト(実はキーボードの河村征志さんの私物だった)を弾いていた。
そしてプレイもステージングもサポートメンバーの枠を超えた存在感を放っていた。

その2か月後の高知公演にも足を運んだ。
タイトルからしてブイブイの唸るようなロックチューン「Rock'n Roll Hoboes」で、浩司さんはギターソロをステージからフロアに降りてアグレッシブに弾き倒していた。
浩司さんのその姿形に強烈なロックフィーリングを感じ痺れた。
そして今でもその時の光景を鮮明に覚えている。 

前々から自分の中ではじわじわと来ていてけど、この時から尾崎浩司というギタリストに強烈に魅せられていくようになった。
この高知のライブではギブソンのゴールドトップのレスポールを弾いてたけど、松山で弾いてたようなフェンダーのサンバーストのストラトが欲しくなり、その年の誕生日に自分へのプレゼントとしてフェンダーUSAやなくてフェンダージャパンのではあったけど、サンバーストのストラトを買った。
そしてそのストラトやエフェクターに浩司さんも含めN☆M☆Aのメンバーにサインをしてもらった。

今でも結局見つからずじまいやけど、ブックオフでTHE BOLD(浩司さんがプロデビューしたバンド)のCDを探した事もあった。
県外のファン仲間が「LIVE TOMORROW」や「FIRST GUEST」を持ってるのが羨ましかった。

とにかく浩司さんに憧れた。
とにかく浩司さんみたいになりたかった。
とにかく浩司さんみたいに強烈なロックフィーリングを放つようなライブパフォーマンスをしたかった。

そのストラトを買う前も買ってから後も、N☆M☆Aはもちろん、N☆M☆Aが無期限活動休止に入って以降も克彬さんのツアーに参加していた浩司さんのライブにも足を運んだ。
松山だけでなく、高知、高松、新潟、東京、大阪、そして浩司さんの生まれ故郷の長崎にも足を伸ばした事もあった。
ライブ後に打ち上げに参加させて頂いた事もあり、司牡丹(高知の日本酒)を一気飲みさせられた事もあったけど、それもいい思い出(それ以降の打ち上げでは無理して飲むなよという言ってくれるようになり、俺がソフトドリンクを頼んでもそれを優しく見守っていてくれた)。
おまけにその時に泊まったホテルが偶然にもメンバーと同じで、一緒にエレベーターに乗った事もあり、その時に「何でもいいからもしお前の音源が出来たら聞かせてね。」と言われ、それから半年後くらいに大阪に克彬さんのライブを見に行った時、当時やっていたREVIVEというユニットで作ったMD(「AWAKE」も入ってた)を渡して約束を果たした。
雑炊に思いっきり一味唐辛子を入れられた事もあった(それでも普通にうま辛く食えました)。
ありがたい事にピックを頂いた事もあり、しばらくそれを自分のライブで使った事もあった(さすがにこれは投げられないので、今は失くさないように保管してます)。

克彬さんとその実弟でありKATZEのドラマーでもあった高山靖彬さん、そして浩司さんのよって3ピースバンドとして結成されたTHE Syndikate 7の1stツアーと2ndツアーでは念願叶って対バンさせて頂いた。
特に1stツアーの時は、自分にとってもサロンキティでライブをやるのが初めてだったから特に思い入れも強かった。
しかもその時、克彬さんにステージに上げられ、克彬さんのベース、靖彬さんのドラム、そして浩司さんのギターに乗せて「Hey!Hey!Hey!」を歌った。
しかし3rdツアーの最中、突然浩司さんと靖彬さんが脱退した。
それも松山公演の数日前に。
この時は対バンではなくお客さんとしてチケットを買っていく事にしてたから、初めてお客さんとしてTSK7を見られるという事も楽しみだったのに・・・(この時は克彬さんがギターの弾き語りをした)。
それ以降も太鼓隊をフィーチャーした新体制のTSK7のライブの松山公演は欠かさず見に行ってたけど、やはり浩司さんは今どうしてるのかなと気になっていた。

浩司さんがTSK7を脱退してから約半年後、俺はベーシストしてCRYSTAL EDGEを結成。
見た事や共演した事のある人達はご存じの通り、クリスのライブでの俺はステージからフロアに降りたり、会場にある椅子の上に上がったりしてベースを弾く事がよくあり、そういったステージングは完全に浩司さんの影響による所が大きい。
俺のこのステージングに関しては賛否両論あるけど、それを良いと思ってくれたり楽しみにしてくれてる人達の中には、かつて俺が浩司さんのそういったステージングに魅せられた時と同じよような感覚を抱いてくれてる人もいるのかななんて思う時もあります(実際の所はどうなんでしょう・・・)。
それに敦さんや克彬さんがそうであるように、うちの看板ボーカリストは抜群の存在感を放っていて俺がステージでどんなにガツンガツン行こうが絶対にその存在感は霞まない。
そして浩司さんがそうであるように、そういったフロントマンがいるからこそ俺も気持ちも感性も研ぎ澄まされステージで自分が自分でいられるし、それとは逆に影役や引き立て役に回る事にも遣り甲斐を感じられる。

クリスの活動休止から2年ほど経った去年の冬の始まり頃、タウン情報松山のライブ情報のページを読んでたら本間章浩さんのライブがある事を知った。
本間さんはKING BISCUIT TIMEというバンドのボーカリストであり、そのバンドはかつて浩司さんがN☆M☆Aのツアーサポートを始める前後くらいまで在籍していた事があった。
それもあって本間さんのライブを見に行った。
ライブ後、本間さんに声をかけ「昔は尾崎浩司さんと一緒にやってたんですよね。」と俺が言うと、本間さんは「浩司の事を知ってるの?」と少し驚いていた。
敦さんや克彬さんのライブを見に行ってたので知ったという事を俺が言うと、「今日持ってきてるキングのアルバムは浩司がギターを弾いてくれてるし、来年のツアーは浩司と一緒に回ると思う。」といった感じの事を言った。
その言葉に大きな期待を抱いたのは言うまでも無い。

つい最近、俺の音楽仲間の尊敬する先輩でもある山崎倫靖さんの新バンド、フープスがOWLで無事初ライブを終え、早くも2回目のライブが決まった。
会場は星空JETT。
山崎さんからその告知のメールが届いた時、その日のブッキングの出演者名を見てびっくり。
そこにはKING BISCUIT TIMEの名が。
去年本間さんが言ってたように浩司さんも参加するのかどうか気になって本間さんのブログをチェックしたら、間違いなく「今回のツアーからギター尾崎浩司が加わりツインギターの4人編成で」と書かれていた。
マジで嬉しかった。

最後に浩司さんに会い、対バンさせて頂き、ライブも見て、そして一緒に飲んだのがTSK7の2ndツアーで来た時だったから、あれからもう5年になる。
やっと途切れた時間が繋がる。
そんな思いでいます。